きっとまた陽が当たる日がくる
月に下り立った日本の〈SLIM〉。
月面着陸の成功は世界で5国目という快挙だ。
しかし、発電ができていないらしいというニュースもセットだった。
着陸姿勢がまずく、ソーラーパネルが太陽を向いていないというのだ。
SLIMは地球からの指令でバッテリーを切り離し、電源オフとなった。
数日経って、逆さ向きで月面に立つSLIMの画像が報じられた。
着陸直前に分離された小型ロボットが撮影したものらしい。
ちょっと痛々しい。
今後太陽の向きが変われば再びSLIMが電源オンになる可能性もあるらしい。
しかし、その日までは誰もいない月面で静かに待つしかないし、もしかするとその日が来ないかもしれない。
僕はそういう話にとにかく弱い。
〈はやぶさ〉のときもそうだった。
難しい小惑星の調査を終えて離陸したあとトラブルが生じ、行方不明になったのだ。
しかし宇宙を7週間さまよったあと、再び地球と交信を始め、還ってきた。
その7週間を思うと、ちょっと心にくるものがある。
なんだろう。
僕は人の、いや、宇宙船の孤独を憐れんでいるのか?
これまでの人生、僕はなにかと人と違う選択をしてきた。
選択した先に同輩がいなかったり、先人さえもいなかったりはざらだ。
ある意味、それを孤独と呼ぶこともできるかもしれない。
でも宇宙船を自分に重ね合わせているわけではない。
僕は自分の孤独を悲劇と捉えたことはなく、むしろ楽しんでいるからだ。
自分がもっとも納得いく選択をしたらそこに誰もいないのだから、悲劇ぶる余地などかけらもなく、その孤独を楽しんでいる。
…いや、やっぱり宇宙船を自分に重ねているな。
孤独を受け入れ黙々とがんばる先に報われる日があることを信じたいのだ。
行方不明になって誰もが諦めかけた7週間後にまた交信を再開させたはやぶさの執念を、僕は自分の秘かなお守りにしているのだろう。
だからまるでブレイキンのような逆さまのポーズで静止したままのSLIMにも、きっとまた陽が当たる日がくる。
歩む道を微妙に狂わせるハプニングも、すべて自分の選択のうちだと俯瞰することができれば、こんなに楽しい人生もまたとない。
(2024/1/27記)
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