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とてもかわいい存在であり、後の人生を決定づけた頼れる相棒だった

1983年に登場した、MSXというパソコンがあった。

当時、パソコンはそれぞれ独自規格で、ソフトは各機ごとに開発する必要があった。
その問題を解消すべく登場したのがMSXで、この規格に準拠していればどんなメーカーの機種でもMSX向けのソフトが使える。
今ではWindowsがこの役割を担うが、当時としては画期的だった。

この世界初のパソコン統一規格を提唱したのが西和彦。
ビルゲイツとともにMSXをマイクロソフトの規格としてスタートさせた。
西といえば、神戸の須磨女子高の学園長に就任するや数々の改革を断行し、共学の須磨学園として進学校に生まれ変わらせたその人。

小5から小さなポケコンでプログラムを組んでいた僕は、画面の広いパソコンを欲するようになっていた。
しかし当時のパソコンは30~40万円もしてムリ。
そこに登場したのが4~5万円ほどで手に入るMSXだった。

MSXは12年後に打ち切りになるまで性能を向上させながら世界中に400万台普及したが、その間に僕は3機のMSXを渡り歩いた。

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MSXの電源を入れてみる。

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RAM(メモリー)が128Kbytesって、今どきのPCの3万分の1ほど。

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起動すればBASICと呼ばれるプログラミング言語が使える状態になる。
何かをしたければプログラムを組むしかない。

簡単なプログラムを打ち込んで実行してみよう。
プログラミングの教科書の冒頭にあるような例題だ。

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赤枠で示したのが、画面に「Hello, Hen-ichi!」と表示させるプログラム。
緑矢印で示したのが、そのプログラムを実行させる命令「run」。
黄矢印で示したのが実行結果、正しく表示された。

こんな例は何の役にも立たないが、いろんな命令を組み合わせて大きなプログラムを組んでいく。

もちろん市販のゲームもできた。
コナミのこの「激突ペナントレース」はもっともよく遊んだゲームだ。

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ただ、MSXはとことん不運だった。

MSXが世に出た同じ年、任天堂の初代ファミコンが誕生。
ゲーム機として開発されたファミコンに比べ、ゲーム性能に劣るMSXはすっかり陰にかすんでしまった。
また専用モニター不要でTVに繋げるという家庭向けの仕様も、逆に当時のパソコンと比べておもちゃとの評価を下されてしまう。
ゲーム機としてもパソコンとしても中途半端との謗りを受けたのだ。

でも初心者がパソコンを学ぶのにこれほど安価で分かりやすいシステムはなく、広くパソコン教育用として利用されたのも頷ける。
僕もMSXと出会っていなければ、大学で人工知能を学ぶこともなかったし、その後出版社に勤務することもなかっただろう。

大学時代の下宿のスケッチにも、上で紹介した3機のうち真ん中のMSXが描かれている。

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仕様どおり、ちゃんとTVに繋いでいる。

僕にとってMSXは、とてもかわいい存在であり、後の人生を決定づけた頼れる相棒だった。

(2021/10/16記)

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