オンライン上のつきあいだけれど、リアルの息づかいを感じる世界
人の記事に触発されて書くnoteも多い。
その人のコメント欄に、僕も今度書こうと思います!と宣言したりして。
そうすると、楽しみにしてます!と返してもらえることがほとんどだ。
けど、なかなかうまく書けなくて、いたずらに時が過ぎる。
宣言などしなければもっと好きに書けたのにと後悔することもある。
楽しみにしてもらっている以上、おかしな記事にはしたくないから。
そうやって数か月もお待たせすることが多い。
それでも書き上げて、お知らせすると喜んでもらえるnoteの世界。
待ってました、ありがとう!と。
*
触発されて書こうと思いながら、なかなか書けない記事があった。
優に1年ほど経ってしまったが、そろそろ書けそうな気がした。
その前に、きっかけをくれた元記事を今一度読んでおこうと探す。
…ない。
あれ? 探し方がまずかったかな?と何度もやり直す。
…ない。
クリエイター名から探す。
…ない…
僕はしばらく何も手につかなかった。
*
フォローしている人が突然noteを去ってしまうこと。
もちろん、人にはそれぞれ事情があるから、やむを得ない。
しかし、何この喪失感…と胸が焦がす感情が押し寄せる。
noteにはその人となりが色濃く滲み出るからだろうか。
友人を、恋人を失う悲痛な苦しみに襲われる。
「今度僕も書きますね」
「わぁ! 楽しみにしてます」
それがその人と交わした最後の会話になってしまった。
何も言わずに彼女はnoteの世界からいなくなってしまった。
きつい。
本当にきつい。
せめてアカウントだけでも残してくれていたら、はこっちの勝手な思いだ。
アカウントを消す=連絡が取れなくなる。
彼女はそう分かったうえで、その道を選んだのだ。
少なくとも、僕は約束した記事をもっと早く書くべきだった。
「書きましたよ」
「わぁ! ありがとう!」
と会話を続けるべきだったのだ。
今さらそんなことを思っても間に合わないけれど。
*
僕もいつの日かこのnoteを去る日は来るだろう。
それが自分の意思なのか不可抗力なのか、あるいはポジティブなのかネガティブなのかは別として。
その日、同じように悲しむ人がいないとも限らない。
だから僕は、その日が来たら必ずお知らせをしよう。
何も言わずに消えることはしない。
突然帰らぬ人になった場合は無理だが、その時は僕のアカウントからみんなに報告してほしいと家族には伝えている。
オンライン上のつきあいだけれど、リアルの息づかいを感じる世界。
それがnoteだ。
(2023/6/17記)
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