享年88、父は骨になった
昨日、父の葬儀を滞りなく終えた。
生前の父の希望で、無宗教の家族葬。
兄の家族、僕の家族から合わせて7名が参列した。
僧侶も呼ばないから読経もない。
けれど祭壇には、焼香台、おりん、仏花、俗名の位牌。
無宗教というより微宗教。
1時間の葬儀は7名が順に焼香して5分ほどで終わった。
あとは棺を開いて最後のお別れ50分。
この時間配分すばらしい。
敬虔篤信な方にとっては信じられないかもしれないが。
棺には祭壇の花だけでなく、父が自宅に飾っていた子(つまり兄と僕だ)や孫の写真をいっぱい入れた。
50分もあるから、父を偲ぶだけではなく話は各方面に逸れる。
気づいたら僕の30年前の写真を6人が囲んでいる。
もしかしてかっこよかった? 美少年だった? と息子、娘から。
いやぁ、まぁねぇ…ん? 全部過去形かい!
今もやろ? え? なんで全員押し黙るん!
とてもよい式だった。
こじんまりとして、終始笑いの絶えない式。
僕も自分のときはこういう形で見送ってもらいたいな。
淡路島をはるかに望む絶景の高台で火葬。
遺骨を実家に持ち帰り、合葬墓に並んで入るため3年前から自宅で待機している母の遺骨の横に並べた。
「あんた、いつまで待たせるんかヤキモキしてたわ」
母の声が聞こえたように思った。
今日は父の誕生日だ。
今日まで生を永らえていれば、御年89。
しかし父には89も90も意味のない数字。
1日1日実直に、いや愚直に過ごしてきた積み重ねが父の人生だ。
父なりに幸せだったと信じたい。
享年88、父は骨になった。
長い間、ありがとう。
またね。
(2024/4/29記)
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