見出し画像

自分の中で忍者はずっとスーパーマンだ

忍者が好きだ。

忍者に興味を持ったのは、小3の家族旅行で行った滋賀県の甲賀流忍術屋敷がきっかけだ。
3階建てなのに外からは平屋に見える屋敷からしてたまらないし、どんでん返し、縄ばしご、まきびしにワクワク。
屋敷中央に口を開ける落とし穴の説明には背筋がゾクゾクしたが、帰ってから書いた旅行記にはこうある。

落とし穴は、この忍術屋敷をたてた大工を忍者が落としたと、教えて下さいました。なぜ、落としたかと言うと、屋敷の中を作ったのだから、全部、しくみは知っているはず、てきに言ってしまうとこまるからだそうです。大工は37人いたそうです。ぼくは、かわいそうだナァーと思いました。

そこからどっぷり忍者の魅力にはまり、子供向けの忍者の解説本を買ってもらってからは、毎日そればかり読んでいた。
生長の早い草木を植え、毎日その上を飛び越える訓練を積んで、最後は屋根まで飛び上がれるようになると知っては、自分もそのトレーニングをしたいと思った。
捕まって牢に入れられた時は、与えられた握り飯を食べずに隠し持ってカチンコチンに固まらせ、それで手を縛る縄を切り土壁を削るのだと知っては、いつか捕まったら自分もそうしようと考えたりもした。

大学を出て出版社に入り、希望が叶って日本史の書籍編集部に配属された時、どんな本を作りたいか訊かれて、間髪入れず、忍者の本!と叫んだ。
結局、在籍5年の間に作るチャンスは巡ってこなかったが、上司が『忍者の生活』(山口正之、雄山閣)をくれた。

忍者は飛んだり消えたりと超人的な活躍を見せるが、あれは後世の歌舞伎や映画で作り上げられたフィクションだ。
そんな空想世界で生き続ける忍者も好き。
でも戦国時代に活躍した本物の忍者は、スッパ(透波)やラッパ(乱波)と呼ばれ、偵察やスパイ、ゲリラ戦法に長け、敵を悩ませた存在。
そんな現実世界の地道な忍者も好き。

泰平の世になって忍者は江戸城の守護の任に就き、裏門を固めた服部半蔵の名は「半蔵門」として今に残る。
さらに400年を経て自分の名を冠した東京メトロの路線が走るとは、百戦錬磨の忍者もさすがに思っていなかったに違いない。

前述の『忍者の生活』にはこうある。

忍者は、たえず身体を鍛錬し、孫呉の兵法を学び、技術を錬磨し、和漢の教養を積み、歌道に励んで忍歌を作り、いわゆる忍技・忍芸にいそしんだ。また一方精神の修養を怠らず、正心を倫理綱領とする忍道を確立したのである。(『忍者の生活』)

文武両道オールマイティーな忍者、かっこいいではないか。
自分の中で忍者はずっとスーパーマンだ。

(2021/5/8記)

チップなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!