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Rock me Amadeus...!

オーケストラの仕事は紛れもなく流れ作業だ。毎日毎日リハーサルに行くと、譜面台の上には望むと望まざるに関わらず決められた楽譜がセットされている。当たり前のことだが「この曲が弾きたい!」とか「これは面白い曲だからやろう」ではなく、「これを弾け」という命令に従っているということになる。そして譜面台に乗る曲の回転率が速ければ速いほど、そしてそれを消化していくスピードが上がれば上がるほど、段々と自分が何万個の音符を処理する無機質なマシーンに思えてくる。それでは今まで培ってきた勉強がもったいないと言って、恩師の言葉を思い出しながら個人的に弾き方を研究し細部の弾き方に取り組んでみたところで、その他大勢がそんなことに注意を払っていないなら結局は自己満足に終わる。 ただ私の場合ウィーンという、ヨーロッパの中でもオーケストラをはじめとする音楽文化がひときわ洗練を極めた街で学ぶうちに、オーケストラというものに対してこれ以上ないほどの理想を持ってしまった。

例えばウィーン・フィルは、およそ「団体」としての演奏の枠を超えるほどの繊細な表現力を有する、世界でも稀有なオーケストラだが、彼らがピアニッシモ(*)の中に鳥肌が立つほどの官能性を表現できることは決して偶然ではない。ウィーンの音楽教育において「音」はガラス細工のように慎重に扱われる。そして習得すべき重要なテクニックの80%が「音」を司る右手(*)のためのものだと言って良かった。
そしてそこではベートーヴェンの音、モーツァルトの音、という風にそれぞれの音の感触はしっかりと吟味される。これは余談になるが、ヨーロッパの音楽教育に共通する事として「テクニックのためのテクニック」とかハッタリ、もっと言えば「受けを狙う演奏」などは、どれほど達者な演奏であっても忌み嫌われる(もちろん例外もある)。つまり作曲者の意向と、曲に対する謙虚なリスペクトがない演奏は下品で無知だという事になるわけだ。

そして私は愚かにもそういった「ウィーン仕込みの」音楽作法がどこの国のオーケストラでも生かせると信じ込んでいたのである。ところがイタリアのオーケストラの仕事の現場において、そのようなデリカシーに満ちた音が聴こえてくることはなかった。ヴァイオリンのセクションにはたくさんのアルバニア人がいて、彼らは非常に「器用に」弾いたが、どちらかと言えば「アマゾンの戦士」のように猛然とした弾き方だった。私が一番驚いたのはチューニングの時で、これはもう「大音量コンテスト」のようだった。自分の音が聴こえないので、私も仕方なく音を張り上げてチューニングした。ところがこのオーケストラには「ロッシーニとヴェルディ(*)」という強みがあった。ベートーヴェンの何気ない8分音符の連打となると、恐れでふらついてしまう彼らであったが、ロッシーニの序曲の眼もくらむような速いパッセージを、最初のリハーサルからたじろぐ事なくぱりっと弾いてのけるのである。ヴェルディもしかりで、水を得た魚のように迷うことなく演奏する。 面白いのは、それが練習の結果というよりも「勝手知ったる我が家」と言う感じがするところである。こうなると、流石「イタリア」のオーケストラと言うしかない。 

イタリアの観客のお気に入りもこれまたロッシーニやヴェルディのオペラ・アリアだ。これらはもはや彼らのDNAに組み込まれているのか、拍手の起こり方も「超自然発生」とでも言うべきものだ。しかしそのはしゃぎかたは尋常ではない。一番高いキーで歌手が自信たっぷりに歌い終えると、そこへかぶせるような「わー!!」という歓声が沸き起こり、それが陶酔となって人から人へ伝染していく。拍手があまりにも鳴り止まないので、オーケストラは拍手をかき消すために演奏を始めなければならない。その雰囲気は、もはや堅苦しいクラシックコンサートではなく人気演歌歌手のコンサートの様である。
 
同様に思い出すのはウィーンでの体験だ。ウィーンの若者が夜な夜なこぞって繰り出すホットな区域がある。そこはバミューダ・トライアングルと言って、賑やかなカフェ・バーやディスコが集まる。そんな場所の一つに友達に連れられて行ったことがあるのだが、話している内容が聞こえないくらい大音量でかかっていたのはロックでもヒップホップでもなく「モーツァルトのオペラ」だったのである。右も左も、派手なT シャツやジーンズの若者で埋め尽くされた場所でのモーツァルトというのは新鮮で、古いどころか、むしろ最先端の音楽のように聴こえたことに大きな衝撃を受けたのを覚えている。

こういった体験を通して私が痛烈に感じたのは、クラシック音楽がヨーロッパの人にとって「教養」などというよそよそよそしいものではない、という事実である。あるひとつの文化がその国で花開くとき、そこには必然的に文化的、社会的なあらゆる要素が合わさって土壌が生まれている。その結果生まれた芸術はむしろ乱暴ともいえるやり方で、そこに暮らす人々と共に生き物のように成長しながら根付いていく。芸術はどんなに優れたものであっても、最初はシェーンベルク(*)やマーラーの音楽のように憎み、嫌われ、そして徹底的に愛されるという道を辿る。そういった生々しい過程を経験しているのがヨーロッパであり、それは遠くからやって来て価値の定まったものだけを選んで買取り、倉庫にしまったり壁にかけておく人々とは根本的に違う点であると言わざるを得ない。芸術の戦場を経験した国の人々にとって芸術の価値とは、その作品そのものよりもむしろその作品を生んだ「過程」なのではないかとすら思えてくるのである。そして、自分たちが最初に認め育て上げた文化だからこそ「教養」としてではなく生活の一部として楽しむことができる人々を心から羨ましく思う自分がいる。


*ピアニッシモ:イタリア語で「非常に小さく(とても小さな音)」を意味する。

*ヴァイオリン演奏において右手は弓を持つ手。

* ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792~1868):19世紀イタリアの作曲家。セヴィリアの理髪師などのオペラが有名。

*ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901):19世紀イタリアの作曲家。今日演奏される主要なイタリアオペラのほとんどを作曲した。

*アーノルト・シェーンベルグ(1874~1951):オーストリアの作曲家。ウィーン生まれ。無調音楽を世に広め12音技法を考え出す。ユダヤ人であるがゆえにアメリカに亡命するなど波乱万丈の人生。

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