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どこにいるの?

「どこにいるの?」
瞬発的でありながら、理屈抜きに相手に働きかけるこの言葉の持つ力に気づいたのはいつのことだっただろうか?
スクリーンの中、メトロ、 道端など至る所で聞かれるこの言葉は、携帯を握りしめる若きパリジェンヌに限らず日常誰もが発し、どこにいても耳にするわけなのだが、もしあなたがこの短いフレーズをつまらないと思うのであれば、 ぜひ一度このつまらない言葉を「注意深く」発音してみてほしい。
できれば、あなたが日頃から愛情を感じる人物や動物を思い浮かべながら。

そうすればきっとあなたは、眼の前に広がる暗くてしんとした空間に気づくかもしれない。
ひょっとするとあなたの探す相手はブラックボックスの中に入ってしまったのかもしれないし、宇宙空間で助けを求めているかもしれない。

この言葉を発する時、私達はなぜか無防備になる。
母親を探す小さな子供のように、無意識に相手に自分のほんとうの気持ちを伝えてしまう。
つまり相手への関心を。

1970年代の古い木造の家で母は、私が彼女の姿をちょこちょこ探しまわるのを見たい欲望に駆られてよく物陰に隠れた。
小さなハートに突然襲いかかる、言いしれない不安を支えるのに
「ママどこ?」はあまりにも頼りない言葉だ。
そのうちに、いよいよ母の姿が見当たらないとなるとその声は泣き声に変わり、最後には悲痛な叫びとなる。
わたしが恐怖に捕われるその瞬間を狙って、母は待っていましたとばかり物陰から現れ、私をギューッと抱きしめる。ごめんね、と言いながら。
すっかり安心した私は、母の意地悪を咎めるより先に母にしがみつく。
もう二度と母のエプロンを離すものかと心に誓いながら。

時を経て大人になり、4年間を過ごしたイタリアに行ってからは
この「どこにいるの?」が私にとって大分異なるニュアンスを持つ言葉となった。
それは度々、恋人や男友達によって発せられた言葉だったからだ。
実際、彼らは私が電話に出ると真っ先に何処にいるのかを知りたがった。
Dov'è sei? (ドヴェ・セーイ?)
と甘えたように発音される、子守唄のように懐かしい響きに私はうっとりとなった。少し困った表情の優しい相手が可視化できるような響きに。
こうしてイタリアにおいて、どこにいるの?は私の中で母を探す言葉から、いつの間にか相手の愛情を測るバロメーターへと変化したのだ。

19年前フランスに来てからは、たとえそれが近しい相手の言葉でも、また少しだけニュアンスが変わわった。
Où es - tu (ウ・エ・チュ)?
今度は失踪した猫を探すかのような可愛らしい響きだ。
でも残念ながらフランス語ではこの言葉に個人的な思い入れみたいなものはなぜかまだない。
私にもし子供がいたら、(もしかすると) 特別な言葉となったのかなあ?なんてコーヒーを飲みながらぼんやりと考えていたら、ふと気が付いていつまで経っても連絡をしてこない同居人に少しイライラしながらOù es- tu ? とメッセージを送っている自分がいた。





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