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新しい友達

マーラーのコンサートの週に新しい友達ができた。

絹糸のように細くてしなやかな金髪を背中まで垂らした北欧系ドイツ人の彼女は  ウテという名で、オーケストラのハープ奏者だった。
ボッティチェッリのヴィーナスを思わせる完璧に美しい顔は、時々血が通っていないかのようで人を不安にさせるのだが、いったん微笑むと、その顔はとたんに子供のあどけなさを湛えた。

私たちが初めて言葉を交わしたのはマーラーのコンサートの休憩時間だった。
すらりとした長身をぴったりとした黒い衣装で包んだウテは、真っ暗な舞台の袖でハープのそばに彫像のようにじっと佇んでいた。
私と目が合うと、冷たい彫像の魔法が解けたかのように優しく微笑みながら話しかけてきた。

[あなた日本人でしょ?]

私は一瞬、どちらかといえば褐色に近い肌の色が多いこのオーケストラに、このような北欧系の美女がいたかしらと驚いた。舞台袖の暗闇の中でも、彼女の肌は陶器のように青白く輝いていた。
私達は話しながら自然と意気投合し、それからはいつも一緒に行動するようになっていった。

ウテは少女のように内向的で、ゴダール映画の登場人物並みにタバコを吸い、他の人たちに対しては消極的であまり喋らなかった。
一方で私の前では、心に溜まった感情を吐露したり自信のなさなどを見せ、そんなときは決まって悪さをした後の子供のように当惑した表情を浮かべた。
私はこのように稀な美しさと警戒心を持つ彼女が、殊の外私に信頼を寄せ、私の意見をいちいち気にすることについて、どこか不思議でもあり嬉しくもあった。

一方でオーケストラの男の子たちはウテの気を惹こうとしてはすぐに挫折した。
ウテは彼らをスーパーマーケットに並ぶ鶏肉のように眺め、その無関心さは鉄のように冷たく、取り付く島もなかった。
ある日のコンサートの後、私とウテはいつものチャイニーズレストランで遅い夕食をとっていた。少し離れたテーブルには, 偶然オーケストラの男性グループがいた。

[チャオ!今日のコンサートは大変だったね!]

コントラバスのふたりを含め、ドイツ語を話すメンバーが中心だった。彼らは挨拶を交わすなり、今まで自分たちがいた場所を忘れてしまったかのように次々と立ち上がり、私たちがまだ何も言わないうちからこちらのテーブルにやって来て次々と座った。
5人が加わったので、突然賑やかなテーブルとなったわけだが、ウテは彼らを軽く一瞥しただけでさっきと変わらず静かに食べ続けていた。
一瞬奇妙な沈黙が生じた。
私は気にせず彼らと今日のコンサートについて話し続けた。彼らは私と話しながら時折ウテを盗み見た。
しばらくして、誰かが他の場所に移動して飲まないかと提案した。
5人は意を得たように立ち上がったが、私がウテを見ると彼女は小さい女の子のような表情で、[私たちはここに残ろう]という小さな合図をよこした。
私たちがじっと座ったままでいるのを見た彼らは、一瞬躊躇してからあきらめて出て行った。 ウテはいたずらっ子のように私に微笑んでいた。

ところが15分ほどしてまた全員が戻ってきた。

[ちょっと走ってきたんだ!]

その中の、特にウテにご執心だったドイツ人の男の子が息を切らせながら言った。
彼は明らかに恋に落ちた様子をしていた。 

ウテは軽く私に目配せしてから、眉毛一つ動かさずに新しいタバコに火を付けた。
彼らは再び空いた席に座って私たちと話し始めた。次の演目について、指揮者について、そして仲間について。。
私は心の中でこのテーブルについている人々の国籍を数えていた。ドイツ、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリー、そして日本。。。そしてふと、もし私たちが政治家だったら、音楽で理想的な世の中に近づけることができるだろうか?などと空想した。
(続)




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