「左川ちか」のテキストをめぐる雑感④資料集成と岩波文庫の関係と遺族の思い

第4回:資料集成と岩波文庫の関係


 

 岩波文庫では、底本とした昭森社版詩集の本文と別のヴァリアントとの異同を、「校異」として掲げている。すなわち、文庫に「この校異は、『左川ちか資料集成 増補普及版』(紫門あさを編纂、東我刊我書房、二〇一一年)に掲載された雑誌・単行本の影印に拠って作成した。」(p188)とある。また、昭森社版詩集に収録されていない散文三篇についても「『左川ちか資料集成 増補普及版』に掲載された影印を底本とした」(p232)と明記している。なお、資料集成未掲載の「春・色・散歩」のみ初出雑誌を底本とした」とある。つまり、雑誌の現物そのものを参照したのはごくわずかということになる。いや、『左川ちか資料集成 増補普及版』は雑誌版の影印本であるから問題ないと反論されるかもしれないが、これが実はそうではないのが極めて問題なのだ。

 

 『左川ちか資料集成』というのは、主に小説などの復刻系同人本作りに携わっている紫門あさをなる人物(当然筆名である)が編んだ同人本である。ご本人は研究者ではない。詩人ではない。彼の編集による本は、主に東京杉並の盛林堂書房や近隣の古書店などに持ち込まれ今も販売されている。資料集成の元の版は1冊2万円、普及版は8千円と相当の価格をつけた。

 

 『資料集成』に掲載された作品は新たに活字を組むのではなく、雑誌や昭森社版詩集に掲載されたヴァージョンをコピーして切り貼りしたものである。そういう場合、サイズ(縮尺)をある程度統一すべきだと思うが、まあそれは置いておこう。深刻なのは『資料集成』に掲載されているものは「影印」として機能していないことである。編者は詩に疎いのか、1行空き、2行空きの処理などに無頓着で、元のテキストのページの変わり目や折り目にある文章がそのまま続くのか、行が空いているのかなど極めて杜撰に切り貼りしている。また途中で詩の後半が別の詩と入れ替わっていたりもしている。例えば「海の捨て子」は極めて重要な最終行が抜け落ちており、刊行前に私がゲラをざっと見せてもらった折に指摘、そこだけは修正された。その他、キャプションの雑誌名、年月日などは誤植も含めめちゃくちゃである。

 

 

2019年に、私がこれを「覚書」というかたちで公開で指摘し、以下のように書いている。

島田 龍 (Ryu Shimada) - 『左川ちか資料集成』(2017)・覚書(researchmap版) - MISC - researchmap

 

引用>『左川ちか資料集成』は左川ちかの詩篇の原典を複写し、改稿の度合いを一瞥できる書である。しかしながら雑誌名・号数表記・発行年月・人名の表記に加え、詩篇の行処理に原典と異なる箇所、文章が抜けていたり、途中から別の作品に入れ替わる箇所など注意すべき箇所が80箇所前後に及ぶ。いうまでもなく詩において1行空けるか空けないかは大きな意味があるだろう。2021年に再刊された増補普及版でも上記で変更が加えられた箇所は一部である。
本書を参照する際に留意すべき箇所として、研究上の観点から、また一読者として看過できない点を管見の限り整理した。もとより一片の瑕疵もない刊本は難しい。いかなるときも原典に当たることが不可欠であることは言うまでもない。

 

 

 

 『資料集成』をのちにコンパクト化し再版した『資料集成』増補普及版では、例えば『詩と試論』(正しくは『詩と詩論』)という表記の数々はさすがに訂正されているが、肝心の本文部分はほぼほぼ修正されていない。私もざっと正誤を確認はしたが、あまりに多く全貌は把握できていない。つまり、研究上のテクストとしてはもちろん、詩集を編む上で本文校訂・校異に用いることは避けなければならない書物なのだ。繰り返すが、岩波文庫の解説の書き方をうのみにすると、編者は雑誌の現物をじかに確認するのではなく、『資料集成』をこれに代替していると受け取れる。しかし『資料集成』が忠実な影印本として信頼に値しない素人本である以上、それは責任ある編集態度とは到底いえないはずだ。散文・小説以上にデリケートな詩の校異についてあまりに認識が甘いと言わざるを得ない。結果、岩波文庫本の本文の信頼性にリスクが生じるのだ。

 

 

 『資料集成』の最初の版では、私は資料提供という形で協力した。良い本ができるならと思ったからだ。以前Twitterで編集氏は自分だけで集めたかのように仰っていたが、それは言い過ぎ。関東の某大学図書館の複数の資料などは一般の人は当時利用できず、研究者として私が手続きし、それに氏は同行しただけである。他にも九州の某文学館の資料、また別系統の『るねつさんす』(「太陽の唄」)なども私経由だった。

 

 なお、資料集成を増補した形の普及版は盛林堂書房などで今も委託販売などされているようだ。何も知らされないまま勝手に「協力者」にクレジットされた私に献本はなく、もちろん8000円の定価で購入、中身を検証し、錯誤がほぼ修正されていないことを確認した。話は変わるが、蜂須賀何某の本を出すというとき、京都のどこどこの大学の資料を見て欲しいと言われ紫門氏に協力した。その際に金銭の謝礼を出すという話だったが献本も謝礼も何もないまま今に至っている。今さらどうしてほしいとは思わないが、とくに大学に籍があったりする人で同じように使われた人は他にもいるかもしれない。

 また、彼らは編者としても、巻末の解説を書く際にもいくつもの筆名を持って活動しているのも特徴だ。一度、なぜそのようなことをしているのかをX氏(紫門氏ではない)に聞いたことがある。曰く、自分はもともと森開社のo氏と同人誌などで付き合いがあって、その名前で左川の資料集成などにも関わっていることをo氏に知られるとまずいので別名を使ってるのだと。左川以外の本だと理由はケースバイケースであろうが、少なくとも左川関係では自分がまずいことをしている自覚はあるようだ。そんなものである。

 

 

 ◆

 

 閑話休題。私自身は、この『資料集成』を中心とした紫門まさを氏の左川関連本について読書家、研究者たちに注意を促してきた。

 

➀「なぜ『左川ちか全集』は生まれたか―書物としての「左川ちか」と解放の企図―」(『日本の古本屋』メールマガジン「自著を語る」2022年7/25)

日本の古本屋 / なぜ『左川ちか全集』は生まれたか―書物としての「左川ちか」と解放の企図― (kosho.or.jp)

 

②研究展望「左川ちか全集』を編纂してー開かれたテキストへ」(『昭和文学研究』86集、2023

年3月)

研究展望 『左川ちか全集』を編纂して (jst.go.jp)

 

③展望「個人全集を編む、本を売ることー『左川ちか全集』の試みー」( 『日本近代文学』108号、 2023年5月)

個人全集を編む、本を売ること (jst.go.jp)

 

 

 読書家が読む➀は多くの反響があった。高額古書、とくに同人本をめぐる過去及び現代の市場という観点で警鐘を鳴らしている。全集の書評でいえば、大分合同新聞のものがそれに触れて下さっている。書店に携わっている岩尾氏が誠実に向き合って下さっていることが伝わり、大変感動した。

 

【読書リハビリ中】岩尾晋作 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate (oita-press.co.jp)


 

②③は近現代文学研究を代表する全国学会誌である。研究者への注意を促したが紙幅も限られているし、他の話題も述べているので、この問題についてはとくに➀や私のTwitterを参照されたい。

https://x.com/donadona958/status/1481906693957058561

https://x.com/donadona958/status/1482141470828396544

などなど。

 

 具体的な妨害行為については例えば誰の名前を出したか、どこに圧力をかけたかなどほぼほぼ記録と複数の関係者の証言をとっているが、人的に多岐にわたるので伏せていることの方が多い。


 

 以上の話について多くの方々から賛同する声を頂戴した。今もTwitterで検索するだけでも数多く残っている。一定程度の文章でまとめられたものとしては、主に探偵小説などの書評家である銀髪伯爵氏のブログがまず挙げられる。


銀髪伯爵バードス島綺譚: 左川ちか問題にて馬脚を露わした盛林堂書房周辺の本造りに対する姿勢 (ginpatsuhakusyaku.blogspot.com)


銀髪伯爵バードス島綺譚: 盛林堂書房周辺と左川ちか問題(その後) (ginpatsuhakusyaku.blogspot.com)


銀髪伯爵バードス島綺譚: 左川ちか研究者・島田龍が発信する古本キチガヒどもへの鉄槌 ➊ (ginpatsuhakusyaku.blogspot.com)


銀髪伯爵バードス島綺譚: 左川ちか研究者・島田龍が発信する古本キチガヒどもへの鉄槌 ➋ (ginpatsuhakusyaku.blogspot.com)



 銀髪伯爵氏のブログを読んで知ったことだが、探偵小説や幻想系、その他小説の復刻版でも似たような問題ある本を作っているようで、そのあたりは編者名や盛林堂など関連キーワードで検索すれば具体的に問題点を実証した記事がいくつも読める。例えば以下の記事。

 

銀髪伯爵バードス島綺譚: 『怪奇探偵小説家 西村賢太』の売り方をめぐる疑惑 (ginpatsuhakusyaku.blogspot.com)



 私は小説関係について伯爵氏の指摘が全く正しいかどうか、それらの同人本の多くが手元にないので客観的に判断できないが、言いたいことは私なりに理解しているつもりだ。マニアの方々には及ぶべくもないが古い探偵小説は復刻系のものを含め昔からわりと読んできた方である。専門家を気取るつもりは全くないが、院生時代から修論や研究会などで考察の対象にもしてきたし、大学の講義でテキストにすることもある。要するに馴染みあるジャンルなのだ。例えば、黒岩涙香という人物がいる。私の親は直系子孫ではないが、土佐に残った黒岩家の子孫だ。だからというわけではないが、個人的に関心を持っている作品群があって学生時代から涙香の本と研究書は集めてきた。『資料集成』の編者氏が携わった涙香本を1冊持っているが、そういう視点で検証すると何かわかるかもしれない。伯爵氏のブログ本文を引用しようとすればキリがなくなり、細かいコメントも煩雑になるのでここではしないが、関心ある方はぜひご覧頂きたい。それにしてもハイエナの如き癒着の構造は深刻だと痛感する。編者氏を中心に何人もの人間たちが蠢いている。

 

 

 また、年間読書人というレビュアー氏もnoteで詳しく言及されている。


『左川ちか詩集』 : 「みんな、仲良くしてね」という 皮肉な遺言|年間読書人 (note.com)


 

 左川ちかの詩集が「モノ」としてはコレクターに支えられてきたこと。そこに左川全集と岩波文庫が登場してきたことの意味を年間読書人氏は述べている。当事者である私とは多少の認識の差はあるが、どうこう指摘するほどのものではない。伯爵氏のブログ同様、引用すればかなりの長文になってしまうのでぜひ直接閲覧して頂きたい。

 

 「また、裕福ではなかった左川ちか自身、自分の詩が、コレクターの慰み物になることなど、寸毫も望みはしないだろう」との言には全く同感だ。「癒着の構造」と記したが、『前奏曲』『幻の家』『左川ちか文聚』などと題した一連の類似同人本も同根の問題をはらんでいる。いずれも絶望的な内容・装幀・挿画だが、今やまともに扱う人もいないと思うので『資料集成』とは異なりここでは放っておく。なお、私のように声をあげることが許せない人間はいるようで、Amazonの『左川ちか全集レビュー』の一部では『左川ちか文聚』こそ読めとひどい言われようである。つくづく陰湿な世界だと思う。

 

 

  ◆

 

 レビュアー各氏の指摘などに触れつつ、つらつらと述べてきた。ともあれ『資料集成』は、原本を確認する手間を省けるような本では全くない。左川の言葉を小銭稼ぎとしか考えずに生まれた粗雑なテキストを生き長らえさせようという試みだと見なされても仕方ない。上述のように学会誌を始め様々な媒体で警鐘を鳴らし続けたのだが、岩波の編集ではそういうことに配慮がなかったようで、これはとても残念なことだ。まともな校正がされていない『資料集成』をもとにした校異が信用されるだろうか。憂えるばかりだ。

 

 『資料集成』界隈と何かしらの個別の関係性があるかどうかは、タレコミのようなものも頂いたが私個人で確かめようもないことなのでここでは触れない。そういうことを優先したものではないことを祈っている。ただfacebookで世界公開されている清水(岩波文庫)氏の投稿によると、『資料集成』の編者との結びつきは岩波関係者と間接的にあるようだ。狭い世界である。

>佐川ちか詩集、来週刊行です。s先輩の編集ですが、協力頂いたサイモンさんは、なんともみぢ時代の親友です!(2023年9月8日)


『左川ちか詩集』もそうだが、 川村湊先生たちも昨今の岩波文庫の某書や某書など劣化具合を嘆いていて(その背景も伺った)、本づくりのプロであるはずの編集者もどうにも機能していないようだ。

おわりに 遺族の悲痛な怒りとともに

 

 さいごにこの間、多くの方々の感想をうけたまわった。例えば、全詩集旧版の共同編纂者でもあったKさんは左川の近しい親族にあたる。Kさんは厳密には研究者ではないが、若い頃に文学研究の学会で「左川ちか詩集編集上の問題点」と題し、昭森社版詩集の伊藤が「海の捨子」を収録しなかった問題、「死の髯」と「幻の家」を併録した問題などを最初に指摘している。拙稿「昭森社『左川ちか詩集』(一九三六)の書誌的考察―伊藤整による編纂態度をめぐって」では、K氏の発表について「『詩集』編纂方針を踏まえ詩篇のヴァリアントを比較した、本稿の先駆的研究と思われる」と記述した。成稿化されていないとはいえ数少ない書誌研究の試みといえる。札幌の左川展にも遺族関係者としていくつもの貴重な資料をご提供頂き、心強かった。

 それだけ真摯に遺族として左川の言葉と先人のテキストに向き合ってきたKさんは、岩波文庫の冷淡さに「納得いかない」と憤慨されていた。粗雑な『資料集成』に依拠したような内容にも懸念されている。私も同感だ。先人が繋いできた歴史を大事にしたいと思う。左川ちかを愛してきた人々と遺族を傷つけるような本には、心から悲しみを禁じ得ない。


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