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ちーちゃんとめい [1] 落ちてきた星


ちーちゃん(千尋)
 ……レコーディングエンジニア。優しくてのんびり。そろそろおじさん。
めいさん(芽衣)
 ……イラストレーター兼会社員。小さくてぽっちゃり。そろそろ大人。


 千尋は、仕事帰りの夜道を歩いていた。もうじき零時を回るところで、自分のほかには深夜運転のタクシーがまばらに行き交うばかりだ。
  そのヘッドライトが通り過ぎるせつな、歩いている自分のちょうど真横に、細い脇道がひっそり延びているのが照らし出された。
 ──こんな所に、こんな道あったっけな。
 見れば、道のずっと奥にはランタンのような明かりがいくつもゆらめいている。その光に吸い寄せられるように、千尋は近づいて行った。

 道の奥に現れたのは、猫の額ほどの小さな屋台村だった。遅い時間ながら老若男女で賑わい、テーブルの間を店員がせわしげに歩き回っている。
 千尋はさっそく空いた席に着くと、ビール、と声をかけた。さっと運ばれてきたのをあおって、はあ、と大きく息をつく。千尋は、家ではあまり酒を飲まない。外で飲むほうが好きなのだ。そして、ここは今までに寄ったどんな店より居心地がよかった。
 上機嫌でビールを楽しんでいると、ばらばらと何か落ちてくるような音がし始めた。屋台の店員やまわりの客が、上を見ている。にわか雨でも来たかと千尋も上を見ると、こつんとテーブルに何か当たった。
 星だ。
 音の正体はこれらしい。見ればそこらじゅうに落ちていて、あとからあとから降ってくる。
 千尋は、その小さな星をつまみ上げてみた。軽くてラムネ菓子のようでもあるし、ほのかに透けた様子がプラスチックのようでもある。まわりの客たちは、顔をしかめて上を見たり、テーブルから払いのけたりと面倒そうだったが、酔った千尋はうきうきとそれをポケットに入れて立ち上がった。家に帰って、めいさんにあげよう。

「それがないの?」
 テーブルに突っ伏している千尋を、芽衣は覗き込んだ。
「うーん、確かにポケットに入れたはずだったんだけどなあ」
 千尋は、小さな屋台村からまっすぐ家に帰った。芽衣はもう眠っていたので、服を脱いでそのままベッドに潜り込んだ──はずなのだが、起きて芽衣に星を見せようとすると、ポケットはからっぽだった。家じゅう探し回ったのだが、どこにも落ちていない。
「きれいだったのになあ。かわいかったのになあ」
 千尋はくやしがったが、芽衣は見てもいないプレゼントのことだから、ただ笑って聞いているばかりだった。


 よく晴れた日曜だったけれど、千尋が起きてくるのが遅かった今日は、すぐ夕方になった。けれど、日曜の夕方は憂鬱ではない。芽衣も千尋も職業柄、曜日はあまり関係ないのだ。
 そして、今夜はどこかで花火大会があるらしく、街の様子もどことなくうきうきと明るげだった。
「どーんと音がしたら、ベランダに行ってみよう。遠いけど見えるよ」
 早めの夕食を食べながら、千尋は花火の方向を指してみせた。そして、見えるよ、というそのひとことに、芽衣の心が引っかかった。
 芽衣は普段、あまり意識していないつもりだが、こういうときは自分が女なのだと気づかざるを得ない。自分がここに来る前、千尋にあった暮らしを芽衣は知らない。芽衣が来るより前に花火を見たそのとき、千尋はどうしていたのだろう。友達が大勢いただろうか。恋人とふたりだっただろうか。ひとりだっただろうか。自分がここに来る前に、ここに来ていた人たちは、どこへ行ったのだろう。
 芽衣がこういうことをぐるぐると考えているとき、千尋はまったく気づかない。ただ、突然黙り込んでぼんやりしていると見るだけだ。芽衣は千尋の、こういうところが好きだった。善の鈍さとでもいうのだろうか。
 どーん、と遠雷のような音がした。

「ああ、マンションが建ったんだなあ」
 芽衣と千尋は、ベランダの手すりの前に並んでみたが、前にはなかったという大きな建物のために、丸い花火は半欠けになって見えた。
「まったく見えなきゃそれでいいけど、少し見えてるだけにもどかしいね」
 千尋はそう言ったが、芽衣は背伸びしていたかかとを下ろした。
 半分の花火でもよかった。丸い花火ではない、新しい風景を、今の千尋と一緒に見ている。それをこれから増やしていけばいいのだと思ったら、芽衣の心は軽くなった。
 嬉しくなって千尋のほうを見上げると、千尋は花火を見ておらず、優しいまなざしで芽衣を見ていた。やはり千尋の、こういう敏(さと)いところが好きだ。
「ああ。なんだか、おなかすいてきちゃったな」
「さっき夕ご飯食べたばっかりじゃん」
「花火の重低音で消化した」
 あっ、と千尋が手を打った。
「じゃあ、あそこに連れてってあげるよ」

 いそいそとエレベーターに乗る千尋を見ながら、果たして道を覚えているのだろうか、と芽衣は思った。星が落ちてきた屋台村に、もう一度行こうというのだ。
 一緒にマンションのエントランスを出ようとすると、ばらばら、と上から音がした。
「雨かな」
「ありゃ、じゃあ屋台は休みになるかもな」
「戻る?」
「いや、せっかく出たんだから近くの店でも行こうよ。相合い傘してさ」
 何だか上機嫌の千尋が傘を取りに戻るのを見送って、芽衣は空の様子を見ようと外に出てみた。すると、道路に何か落ちている。星の形をした、プラスチックのようなもの──
 思わず歩み寄ろうとすると、その星は勢いよく飛び上がり、空に吸い込まれるように高く昇っていって、見えなくなった。
「──よく降るわよねえ、この頃」
「ほら、──が古くなってるせいよ」
「やっぱり。じゃあ、終夜灯の配置もおかしくなるわけよね」
「そうなのよ。あっちこっちバラけて、変なとこを照らすでしょ。だから、──が丸見えよ」
「まあ。それで、ご新規さんが増えて」
「そうなのよ。繁盛はいいけど、てんてこまいですってよ」
 ふいに耳元で聞こえた話し声に振り向いたが、道路には誰もいない。ぽかんとしていると、お待たせ、という声とともに千尋が現れた。
「あれ。雨降ってないの」
「あのね、昨日の星、あれ帰ったみたいだよ」

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