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絶滅への進化

 ある日、世界に新種のウイルスが産声をあげた。突然変異によって生まれたその病原体は、自身の力を誇示するように瞬く間に蔓延し、国を超え地球を飲み込んだ。人間のみを媒介とし、1度かかればその身体朽ちるまでウイルスホルダーとして感染源となってしまうといった研究結果が出るまで長い時間はかからなかった。各国首脳は、歴史に類を見ない人間という種の保存を目的とした声明を連名にて発表した。その内容は、希望する感染していない人間をスペースコロニーに異動し、感染者が絶滅するまで新たな共同体として生活を行うといったものだった。人権等の今まで人間が積み上げてきた社会理念を大幅に逸脱した施策に様々の議論が巻き起こり、各地で暴動が発生した。だが、一切止まることなく、施策は強行された。

 希望する有力者から施設への移動が開始され、生存への唯一のチケットを獲得するために我先にと市民は奔走することになった。高齢者の中には、スペースコロニーへの移住を早々に諦め、息絶えるまでの生活をどのようにして楽しむかを考え、物資を買い集める者も現れた。その裏でもウイルスの感染拡大は止まらず、感染者は増え続けてた。感染者全員を殺すことで、事態の終息を目指す意見も見られたが、感染経路不明のまま急速的に感染拡大が起こっていることから、そもそも感染者全員を特定することができず、頓挫することになった。

 この頃の文献から、地上で書かれたものが少なくなっており、データ通信にてテキストがスペースコロニーへ送信されてきたものが主になっている。データ上の文章は、後に意図的な改竄が認められたものが多く、地球の人類滅亡した明確な時期やその状況については、不明点が多いことから明確な定義はされていない。諸説あるが、移住開始から100年から200年の間というのが学者の中での有力説となっている。

 一方のスペースコロニーでは、100年が経つ頃には以前と変わらない生活水準に戻っており、無重力空間における新たな生活様式に大多数の人間が馴染んでいた。ゼログラビティ世代と呼ばれる宇宙空間にて生まれた子供も増えており、人類は環境適応し進化を続けていた。重量による身体的負荷がないことによって、平均身長は2m優に超え、身体は軟化した。変化が続いていく中で、共同体の変わらない目標として掲げられていたのが、故郷である地球への帰還であった。

 同じ轍を踏まないため、地球上に存在するウイルスの除染度がモニタリングされており、もしもウイルスが残存してた場合に対応するためのワクチン開発などの万全の準備が進められていた。スペースコロニーで地球上で暮らしたことがあるものは、とうの昔に死んでしまっており、かつてを知るものは一人もいなかったが、培われた全ての物は地球で生まれたものであることを習い、一種の聖地として認識されていた。そのことから、除染度100%に近づくにつれて、人々は浮き足だっていった。

 それから長い年月が経ち、ついにその時はきた。ありとあらゆるスピーカーから地球へ帰還を実行するといった言葉が希望に満ち溢れた声で読み上げられ、群衆は大いにわき、三日三晩の祝祭が行われた。政府は、当時の人類がなし得なかった深海などの厳しい環境への調査や自然エネルギーよる永久機関の構築などの未達への到達を宣言した。文献から引用された地球へのロマンが大々的に放送され、当時の地名をあげて、あそこは今どうなっているのか、地球で一旗あげるためにはどうすべきかなどのこれからの新しい暮らしへ期待が語り合われた。大の大人達が大騒ぎする様子みて、びっくりした子供へ母親はついに故郷の地球へ帰れるのよ。これはとっても嬉しいことなのと教えてあげていた。まさにこれからの輝かしい前途を見据えてた幸せな光景が広がっていた。

 その後、地球に降り立ったスペースコロニーから出てくる者は一人もおらず、中から声の一つも聞こえてこなかった。
 地球の春は沈黙を続けていた。

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