【創作短編】桜は表裏一体

風と共に桜が散った。桜は咲いている時はあんなにも立派なのに、アスファルトにへばりつくそれは何て汚いのだろう。日本人らしさの象徴のような薄桃色が徐々に黄味がかった茶色に勢力を奪われ、果てには茶色の屑となり、箒で掃かれてしまう。美しさと醜さはどこまでも表裏一体である。悲しきかな。その瞬間だった。

先ほどよりもさらに強い風が吹き、さらに桜が散った。それだけではない。強い匂いがした。桜の匂い。奇妙だ。ここに咲いているのはソメイヨシノ。ソメイヨシノはほとんど匂いがしない。するのはヤマザクラなどで、それらが桜餅など桜を用いた料理の匂いに通ずる。以前両親が教えてくれたものだ。なんてことに想いを馳せていたら、目の前に女性が立っていた。文字通り桜色をした長い丈のワンピースに素足、ロングヘア―のてっぺんには花弁がついている。化粧はしておらず、しかし整った顔立ちだ。すると女性の口角が上がった。微笑んでいる。誰に、いや、間違いなく僕だ。まっすぐに僕を見つめている。

「何を考えていたのですか」
女性は言った。細くもよく通る、凛とした声だった。
「いえ、大したことではないので」
自分の考えをひけらかすことは苦手だったし、何より桜を見て汚いと思う人間は僕くらいのものであろう。偏屈なくせに人と違うことを恐れる自分が嫌いだ。
「あなたというニンゲンから何を生みだされるかに、とても興味があるのです。ニンゲンの脳から生み出されることは全て大きな価値があります。教えてください」
どういうことだ。目の前に立っている彼女は人間ではないのか。彼女から発せられる人間という言葉にはどこか覚束ないものがある。しかし何やら、僕は彼女に安心感を覚えた。
「咲いている桜は美しいのに散った後の桜は茶色くなっていて、美しさと醜さは表裏一体だなと思ったまでです」
彼女は目を細めて、さらに深く微笑んだ。
「素敵です。桜を見ても何も感じないニンゲンが多数いる中で、あなたはこんなにも桜について考えているのでしょう。」
「そう言っていただけるとうれしいです。しかし、たかが桜にごちゃごちゃ考えていても生きづらいだけだ。でもそうですね、人間のことを考えているよりも、こうして植物に想いを馳せている方が楽かもしれません。」
「ニンゲンが、お好きではないのですか?」
「好きだなんて!ありえません。僕は自分を含め人間が大嫌いです。人間はどうせ裏切る。裏切らないのは紙に書かれた言葉だけだ」
「コトバ?」
「ええ。僕は言葉に救いを求めて生きているのです。人間の言葉に何度傷つこうと、紙に書かれた言葉、そう文学は僕を救ってくれる。僕が信じているものはこの世で文学だけです」
「でも、ブンガクも人間が作ったものです。それは遠回りしてはいるけれどニンゲンが好きな証拠。ちなみに、どうしてお好きなんですか?」
「…小さい頃から僕と共にあったからかな。両親も文学が好きで、世界や日本の名作は全て本棚に並んでいるような家庭で育ったから、かもしれません」
「リョウシン。そうか、ニンゲンはふたつでひとつを作りますものね。おふたりと今は何かお話しされているんですか?」
ここまで、女性の安心感にすっかり身を委ね饒舌に語ってしまった。しかしこれには僕も応え兼ねるものがあった。しかし、僕は言葉を吐いた。
「両親は亡くなった、そう、死んだのです。僕とたくさんの本を残して、交通事故で、二人同時に」
彼女の瞳の湿度が上がった。潤んでいる。
「つらいことを話させてしまってごめんなさい」
彼女は細い声をさらに細くしてそう絞り出した。そして再び口を開いた。
「でも、でも素敵です」
僕は人間に絶望している。普段怒鳴るなんてことはない。しかし彼女は別だ。だからこそ、思わず声を荒げた。
「どうして!自分がそれまで慕ってた人間を突然二人も失ったんだ。何が素敵なんだよ!それ以来、僕は誰にも愛されない、僕が愛そうともしない、まず僕は僕を愛せない!僕は常に死にたいんだよ!死ぬための暇つぶしにこんなしょうもないことを考えて、馬鹿みたいなんだ!」
彼女の潤んだ瞳から、桃色の水が滴り落ちた。とても美しかった。
「私は生まれたときから一人です。何がどうなって私が生まれたのかも定かではありません。だからニンゲンは素敵。自分がどこからどのようにして生まれて、誰と交流したのかが明確。そして、考えられる。生きづらさについて考える、死にたいと考える。それさえも素敵に思えるのです。死にたいと思うことは、生きたいという望みのようにも思えます。あなたもさっき言っていたでしょう、美しさと醜さは表裏一体だって。それと同じに思えます」
言葉が出なかった。それなら彼女は一体何なんだ。分からなかった。
「分からなくてもいいのです」
彼女は笑い、自らの額を僕の額に重ねた。額ではあるけれど、接吻のよう生々しさを帯びていた。否、女性と接吻を交わしたことはないため定かではないが、そういうイメージということだ。温かいような、心地いいような、そんな気分。そのとき、昔の写真を現像したような、古ぼけた映像が僕の中に流れ込んできた。

女性が赤ん坊に母乳を与えている。その様子を愛しそうに男性が眺めている。彼らは何やら名前を呼んでいる。赤ん坊の名前であろう。聞き慣れた名前だ。――僕の名前だったからだ。彼らは互いの名を呼び合っている。仏壇に書かれた両親のものと同じだった。間違いない。両親だ。

二人は赤ん坊の僕であろうものを見ては微笑んでいる。すごい。人は赤ん坊を、自らの子を見ると、こんなにも幸福な表情を見せるものなのか。僕が今までの人生で一度も見たことがない表情だ。笑顔ともまた違う、笑顔のもう一段階上の表情。この二人は僕なんかを見て、これほどまでにないような幸福を得ているのだ。これは、僕が両親の愛情を一心に受けていたと言ってもいいのだろうか。今は見えていないが、彼女が微笑んでいるような気がした。

映像が途切れたと思ったら、彼女もいなくなっていた。他者からの愛を認識したことは初めてだ。こんなことを大人になって言うのも憚られるが、心がとても温かい。愛が何かはわからないし、僕の性分としてもそれを正確に表現したいのだが見つからない。しかし今日、温かいものであることは分かったような気がした。それだけでさらに、心が温かくなった。上を向くと、桜が美しく咲き誇っていた。


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