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【1月】補助輪を外す Study@UniMalaya

1月の月記になります。今回も3章構成になっています。

【1. 授業について】では扱う言語が異なる中で、如何にして膨大な情報を捌いて試験対策を進めていくか?について、この1ヶ月で考えたことをまとめています。

【2. 語学について】では、言語や思考力のトレードオフなどを踏まえた上で、何のために語学を学ぶのか、どの地点を目指すのか、ということについて主に議論しています。英語を学ぼうかと迷っている人や、英語を学びながらもその目標地点や学習ペースに違和感を持たれている方の参考になれば良いです。

【3. 生活・心理面について】では、主にこの1ヶ月の自分の心境面や将来観の変化について書いています。

上から下という順序になってはいますが、章別でも読めるようになっているので、気になる所から読んで頂ければと思います。

1. 授業について

マレーシアにいると時が止まっているように感じるのは、単に季節が変わらないからというだけでなく、本当に「お休み」の日が多いからでしょう。1月は新年に加えて旧正月、更にテスト前だからということで1週間の休みが出来、留学生の中ではかなり履修数が多いはずなのに月の3分の1も学校がありませんでした。やたら振替休日でなくなる月曜日に関しては、14週ある授業の内半分も授業があったでしょうか。

一方グループ課題の大詰めとなるのも1月です。私は受講している授業の殆どが専門科目ということもあり特にグループ課題が多かったので、(現地の学生たちは直前まで動いたり担当割り振りなどしないだろうと踏んで)12月の時点でどれも仕切り役を買って出て、早い内に各々の役割を決めてしまいました。そのため自分のパートについては大体1月初旬で済んでいて、後はみんなのパートを回収して締切の1週間前くらいには出したいなと思っていたのですが、、、

本当に締切前日の夜まで動かないんですよね。動く動くとは言うんですが。特に動かないのは男です。結局自分以外が終わらないことが気になって3日に1回くらいのペースでリマインドをし、指示が上手く伝わっていない?ということも気になって改めて指示を説明し直したり、WhatsAppの指名機能を使って指名で進捗確認したりと、1月下旬まで気が休まりませんでした。因みにDevelopment Economicsのグループ課題に関してはリマインドを送ってもグループのチャットルームにすら入ってこない生徒がいたので、いるメンバーもどうせ動かないだろうと諦め膨大なグループ課題を1人で進めて締切1週間半前くらいに終わらせました。これでグループに一応入っている(が動き出す気配のない)メンバーをフリーライダーとして摘発するのはフェアじゃないので、導入文くらい書いてと指示を出して、名前と学生番号は添付して提出しました。1ヶ月半猶予のあった課題を締切の3日前に出したのですが、どうやら最速の提出だったらしく、先生が提出フォームすら開いていませんでした。まあ、一人で360ページのレポートを読み、関連論文を20報読んで課題を作成したのは確実に自分の力になったので、学習成果としては悪くなかったと思います。

余談ですが、提出フォームを開き忘れていたことを謝罪して締切が1週間伸びたので、恐らく何人かは今これを書いている間にもこの課題をやっていると思います(試験前なのに、、、)。

さて、2月の第2週からは期末試験が始まるので、1月は期末テスト対策も本格化していきます。ここが法政と全く異なる部分なのですが、旧正月から期末試験が終了するまでの1ヶ月、なんと学校関連の予定がこの5回の期末試験しかありません。しかも自分は専門科目ばかり取っているのでどれも筆記の期末試験があるのですが、他の留学生は2つしか授業取っていなかったり、入門的な授業を選んでいたり、試験を避けていたりと1〜2個程度しか期末試験がない人が殆どで、自分ですら退屈でおかしくなりそうなのに、彼らは一体、、、?と疑問に思うほどです。そもそも留学の目的が勉強じゃない人が多いようなので、あまり問題じゃないのかもしれませんが。

これまでの月例報告書にも書いていましたが、実は期末試験対策は11月に本格化させて、一度過去問も含めて対策済みでした。一つこちらに来て苦労したのが、法政のときのような感覚で早め早めに動いた結果、セメスター後半に新たに授業から学ぶことがなくなってしまい、非常に退屈したということです。

しかし期末試験は授業のようには行かないような気がしています。というのも少なくとも私が履修している授業の試験は全て記述問題しか出さない形式で、選択式や正誤問題は出題されないのです。選択式問題の試験等は「Quiz」などといって、平常週に行われます。

これが結構大変で、例えば「エンパワーメントとは何か、論じなさい」といったような定義を記述させる問題や、「都市化がもたらす機会と課題を論じなさい」といった覚えるべき領域とその場で考えるべき領域の区別が付き辛い問題がいくつも出題されます。日本の試験ならいくつか選択肢があって選ぶのが普通ですが、こちらでは全て記述で答える必要があるので、場合によっては膨大にある言葉の定義を片っ端から暗記するしかない様にも思えます。それも英語で回答するので、自分にとっては暗記に適さない英語で定着させておく必要があるのです。

「英語での暗記」といったような語学面の議論は次章の「語学について」に譲るとして、今回は1授業辺りトータルで500〜600ページほどのスライドの情報が与えられた上で、如何にして実現可能で且つ深いところまで理解をして試験に臨めるか、という点を1月に試験対策をする中で考えて来たので、その点を書いていこうと思います。

先月の報告書でも少し書きましたが、不思議とこちらの授業は中身が「薄い」ような気がしていました。要因は例えば法政が100分間で扱う内容を毎週3時間かけて授業を行ったり、毎週40〜50ページあるスライドも大体は具体例やその具体例の概要で埋められていたりしていて、新たに学ぶ論点の量がページ数辺り、授業時間辺りで見ても少ないからではないかと感じます。例えば法政大学の経営学部で取っていた授業では、寧ろ具体例が少なくて、一つの論点に2ページ、長くて4ページくらいしか割きません。その割に毎回40ページくらいはスライドがあるので、覚えるべき論点の数がかなり多くなります。具体化の部分は課題で行ったり、各自に任せている部分があります。あくまで傾向なので授業による違いはありますが、法政のときは覚えるべきことばかりが簡潔にまとめられていて、それを自分の経験や他の情報源を用いて具体化しながら理解していくステップが主な学習スタイルでした。

一方少なくとも現在履修している授業では、1つの論点に対し、長いときは15ページくらいスライドを割いていることがあります。なので覚えるべき点だけを抽出すると40ページのスライドからでも3つ程度に収まります。それはそれで、具体例を調べてくる手間を授業で省いてくれているとも言えるのですが、「学んだな」と感じられる達成感は直感的には「論点の数×各論点の理解度合い」なので、扱う論点数が少なくて学んだという実感が少なくなりやすいです。

この「内容が薄い感覚」の正体が1月の試験勉強の中で分かってきたので、11月までは膨大なスライドを全て覚える勢いで勉強していましたが、特に具体例が殆ど頭に残っていなかったことを受け、そこは潔く覚えることを諦め、まずは絶対に抑えるべき論点だけを抽出して各科目ごとに日本語でまとめ直すことにしました。ここで日本語を選んだ理由は後述しますが、自分の「認知的バイリンガル」としての情報処理能力の限界もあり、覚える点さえ明らかにした後は、法政にいたときまでの試験対策戦術に持ち込もうという考えがありました。

こうして各科目の授業ごとに論点を絞り込んで見ると、各授業が2〜3分で復習出来てしまうほどに内容がすっきりしました。凡そ12回分ほどの授業回数があるので、大体1科目あたり30分で全ての内容の復習を1周終えられる計算になります。

しかし肝心なことは、試験当日に辞書も用いず英語で論述することが出来るかどうかです。ここが最大の懸念点だったのですが、過去問の傾向から問われるものは、授業で扱った論点の「定義や概念に関する記述」に加え、開発経済なら開発上の課題、アントレプレナーシップならイノベーション促進上の課題、ジェンダー開発ならジェンダーに関する課題などに対する、「問題点や解決策の指摘・提案」が主な出題形式になっています。であれば、扱った論点と指摘されている問題の構造を説明出来るレベルまで理解すれば、例え解決策を考えなさいと言われても、試験当日に応用力を働かせて回答することが出来るはずです。なので試験対策としては、「日本語で理解した上記の定義や問題構造を英語で説明する練習」に焦点を絞ることとし、解決策などの具体例は軽く目を通す程度に留め、試験と同じく紙にボールペンでひたすら記述していく練習を始めました。実は私にはインクがなくなることを気にしてボールペンの使用を避ける癖があったので、そうと決めた日にボールペンを9本まとめ買いしました。

実際に練習を始めて見ると意外なことに気が付きます。まず淀みなく英文を書き続けられるということです。真剣に紙でライティングを練習していたのは大学受験で英作文の練習をしていたのが最後なのですが、単語のスペルにも躓かず、言いたい表現が出てこないということも少なく、寧ろ英文に関してはタイピングよりも速いか同等のスピードで書き続けることが出来ました。A4の紙を8枚くらい両面で埋めた辺りから、「英文を紙で淀みなく書けるかどうかという問題は杞憂だったかもしれないな」と思うようになります。残るは授業で扱った新たな専門的なボキャブラリーが書けないかもしれないという不安だったのですが、実はそこもあまり困った点はなく、例え言いたい表現が直ぐ出てこなくても、無意識の内に異なる表現で自分がパラフレーズしていることに気が付きます。もちろん当日書けた方が良いなという単語はいくつかあったので、日本語でまとめ直した論点リストとその説明の中で、これは直ぐに英語の表現が出てこなかったなという表現にのみ英語のスペルの注釈を入れるようにし、それらは何度か書く練習を行いました。しかしどの単語も実は何度も見たことのある単語で、覚えることには今の所あまり苦労していません。

最大の懸念要素だった英語でのライティングが思った以上に練習では上手く言っている背景として、タイピングではあったものの、とにかく誰よりも書くことを徹底していたことがあると思います。他の日本人や中国人留学生に話を聞くと、母国語で書いたレポートを翻訳ソフトで翻訳し、表現を修正して提出、というのがスタンダードになっているような印象を受けたのですが、例え時間が無駄だと言われようともとにかく日本語でドラフトを作った後、「自分の日本語を自分の英語で書き直す」工程を省かないようにしていました。というのもこの工程こそが、英語を自分の母国語レベルに近づけるための高負荷トレーニングだと思っていたからです。また工程を省かないだけでなく、分量でも1番に拘ってきました。例えばDevelopment Economicsの授業で、「ある国の貧困について、インフォグラフィックを作成して簡潔に要点を伝える」という個人課題が出されました。インフォグラフィックはword1ページ分の量で、必要があればテキストでその説明を記述して下さい(字数無制限)というものだったのですが、この課題でも政府が発行しているレポートと論文を合計30報程度調べた上で、word17ページ分の量の英文を説明資料として書きました。他の生徒が提出締切前日の夜に終わらせていた課題を1週間かけて何とか終わらせたのですが、書く機会を無駄にしないことと、法政の時よりも自分のパフォーマンスを落としたくないという拘りがありました。因みにこの課題も提出が最速だったらしく、提出ファームが空いていませんでした。毎回ドクターに「提出フォームが空いてません」と指摘するのも何となく申し訳ないんですが、どうやらマレーシアには「相手に指摘しない文化」があるらしく、現地の子が言い辛いという部分もあるそうなので、案外自分が指摘する役に回ると(一部の人に)感謝されたりもします。

以上試験対策の話をまとめると、膨大な量の情報に圧倒されても、その中から本当に抑えなければならない点と、当日の応用力でカバー出来る点に分けて情報量を圧縮し、今度は圧縮した情報を元に展開していけるレベルまで理解度を深め、それを英語で表現する、という大まかに3段階に分けられるかなと思いました。最初の2段階は比較的タフなプロセスではありましたが、最後の英語での表現が意外にもスムーズに進んだのは、毎回の授業での取り組みや早期からの対策が実り、理解度は充分でなかったが、英語での表現力は備わっていた可能性が考えられます。まだ試験は始まっていないので勝負はここからですが、試験対策の過程で身につけた情報処理能力は、日本に帰ってからも活かせるものだと感じています。

2. 語学について

1月の中旬を最後に授業が全て終わってしまったので、残り数日の試験対策を残しつつも、事実上マラヤ大学のセメスター1で学べる機会は全て消化しきったことになります。海外に長期滞在することもこの留学が初めてだったので留学をして気がついたことなのですが、本当に英語を使わずとも日常生活は送れてしまいます。別にお店で注文したり買い物をする程度は勝手に口から出てくる定型文だけで済んでしまいますし、授業がないと発表の場や他の学生とのディスカッションの場もなくなるので、結局英語の伸びは自分で意識的に英語学習を行なうか否かになります。先月、日本語を介さず英語で情報を受取り、発信し、処理するということを継続していた結果、英語は確かに伸びたが、根底にある思考力、つまり認知能力が大幅に低下し、思考の質や自分のアウトプットの質を下げてしまうという問題点を報告書で指摘しました。こうした英語学習における認知能力と語学力のトレードオフ、また習得に膨大な時間を要する余り、その他の専門性習得の速度が低下するという機会損失を考慮すると、今一度英語学習の目標地点やペースについては、自分の英語学習の目的に応じて検討し直さなければいけないと考えるようになりました。

まず英語学習は当然「英語を習得する」ために行なうのですから、英語を習得した姿、つまり「バイリンガル」を目指すというのが英語学習の目的になると思います。

しかし「バイリンガル」といっても、どうやら「英語で聞く、話す、読む、書くといったコミュニケーションが行える」、つまりコミュニケーション能力を有している「会話的バイリンガル」と、「母国語同様の思考力を英語でも行なうことが出来る」、「認知的バイリンガル」という区別を行なうことが出来るそうです。実際に日本語を介さない時間を経た上で「思考のかなりの部分は言語に支配されている」ということを実感し、英語が口から出てきて「伝えたい情報を伝達するツールとしての英語」と、「知的活動において最大限のパフォーマンスを発揮するレベルの英語」は途方も無いほどの差があると感じるようになりました。あくまで10代に対する研究ですが、留学を通じて会話的バイリンガルに至るのは2〜3年であるのに対し、認知的バイリンガルに至るには適切な方法を行っても6〜10年かかるとされています。それも母国語の認知能力の成長速度は少なからず低下するので、母国語での認知能力の成長機会を失いつつも、本当に認知的バイリンガルを目指すべきなのかという問いも生まれます。因みに適切な方法を取ることが出来ず、母国語の認知能力の成長が止まってしまっているにも関わらず第二言語も充分に発達していない状態を「セミリンガル」と言うらしく、最も避けるべき状態だと指摘されています。こういった言語と思考に関する注意点は、単に「グローバル化だから英語をやれ」と言うのではなくて、もっと喚起されるべきだと思います。

このように語学力にも「会話能力」と「認知能力」といった見方が出来るということもこの留学を経て得た発見なのですが、今回の試験対策やこれまで継続してきたオンライン英会話を通じて、「英語でかなり日本語に近いレベルにまで思考出来る領域もある」と感じるようになりました。つまり英語での情報処理頻度が高い分野に関しては、限定的でありながら、その領域内では認知的バイリンガルになれるのではないかという考えです。

このように考えてみると、「英語を学ぶゴール」はいくつかに別れてきます。例えば「なんとしてでも日本を出たくて、海外に住む、海外で働くという体験に強い憧れを持っている」のであれば、思考力が低下しようとも、母国語で効率的に専門性を学ぶ機会を失おうとも、どっぷりと英語に浸かり、思考力を落とした状態の日本語と同等レベルの英語を身につけようとなります。思考力自体は英語力が身についた後で戻るかもしれませんが、そこに辿り着くまでの10年近くの間、思考力の最大値の成長が鈍化するので、知的能力の成長という点では非常に大きな機会損失を被っています。あるいは本人の認知能力ではなく、「英語と日本語を両方扱ってコミュニケーション出来る」というところにのみ価値を見出されているのであれば、考える力が衰えようとも英語が出来るようになることの優先順位は自ずと上昇します。

また「海外で働くということにはそこまで興味がなくて、旅行や生活、最低限のレベルのコミュニケーションが出来れば良い」のであれば、「会話的バイリンガル」を目指して専門性獲得の機会損失を抑えつつも、英語に拒否反応がない程度のレベルにはなります。

もう一つ、「まず日本で活躍をし、日本の代表として世界と渡り合いたい」という場合は、まず日本国内で圧倒的な成果を出す必要があります。つまり認知能力を低下させることも、専門性を身につけるスピードを落とすこともマイナスとなるケースです。もちろん英語でも日本語同等の認知能力を本人が身に着けていればそれがベストですが、それは前述のトレードオフの観点から現実的ではないので、この場合は「自分のバリューが認められている分野においてのみ、同等の認知能力を発揮できる」、「限定的認知的バイリンガル」を目指すべきではないかと思われます。この「限定的認知的バイリンガル」という名前は勝手に私が付けたのですが、英語学習のゴールを「領域の限定性」と「会話的レベルか認知的レベルか」という基準で区分した時、「領域は限定的だが認知的レベル」に当たる層がこのケースになります。因みに「日本を代表するレベルの圧倒的専門性を持ちながら、全領域において認知的バイリンガル」というのは余程育て方に成功しないと現実的ではないと思います。何をするにせよ時間と精神力というリソースには制約があり、各個人は大差ない分母のリソースを有しています(稀にショートスリーパーやメンタル強者もいますが)。そのため大体同じ量のリソースの中で成果を出そうと思えばリソースの効率的活用を行なう必要があり、英語学習はその投資対収益率の観点ではさほど優れていません。例えば司法試験に合格するには5,000時間程度勉強が必要と言われていますが、司法試験合格によって得られる期待収入を、英語学習5,000時間で上回ることができるでしょうか?恐らく「他の専門性との組み合わせ次第」でしょう。結局のところ専門性がないのであれば英語だけ勉強していても投資は回収出来ません。あくまで英語は日本と英語圏のマーケットの大きさと平均所得や税制度におけるギャップを活かしてレバレッジを効かせる存在であり、0に何を掛けても0にしかなりません。英語だけで食べていけるといっても英語講師くらいでしょうし、インターネットを介せば全てのコミュニケーションがAIによって自動翻訳される時代です。なら弁護士を目指そうと、あくまで所得における投資対収益の観点ではなります。

上記の区分に基づくと、私の場合は「まず日本で活躍をし、日本の代表として世界と渡り合いたい」、「限定的認知的バイリンガル」が英語学習のゴールとなります。当然英語学習に時間を割くのですから、英語圏で生まれた人間に対しては時間と精神力の制約上不利になります。だからこそ日本特有の資産を活用して「日本語話者ならでは、日本ならでは」の他の資産活用によって優位性を生み出さねばなりません。幸い日本は参入に対する文化的・言語的障壁が高いですし、日本人特有の文化的資産は世界に誇るものがあると思っているので、工夫次第でこれは可能だと思っています。「英語圏生まれじゃないけど世界と戦えて英語圏を倒せる」。これは日本がやってきたことですし、そのために専門性、語学習得、独自資産の活用と言った面で工夫が必要です。

ある種、留学を通じて認知的レベルでの言語の壁に衝突し、英語の学び方や新たな制約条件を与えた上でのキャリア設計の見直しが可能となりました。この1ヶ月は(授業がなかったため)それなりに退屈だったこともあり、これまでに無いほど頭の中が暇をしていたと思います。お陰でこのようにこれまで省察や体系化が進んでいなかった過去の経験を自分の言葉で掘り下げることが出来、この留学でのテイクアウェイを整理することが出来ました。どうやら私は物理的に忙しくなくなると、思考を忙しくすることで退屈をしのごうとするようです。部活もない、課題も大してない、特に緊急性のあるものもさほど無い。小学生ぶりの体験だったかもしれません。

3. 生活・心理面について

1月の生活面については、それほど目立ったものはありません。強いて言うなら1月初週の体調不良とメンタル面の問題があり、精神的に自分を追い込まないような意識が働いていたように思えます。例えば12月までは「自宅滞在時間最短化」を一つの目標指数にしており、可能な限り留学の目的である勉強のために、図書館やカフェなどにいって常に知的活動のスイッチを入れ続けるということを意識していました。また旅行などにも定期的に行くことで、人生の豊かさに貢献するであろう独自な経験の蓄積も図っていました。

しかし恐らく「自宅滞在時間最短化」は目には見えないメンタル面でのストレスの蓄積を野放しにするやり方であり、日本でも定期的にモチベーション低下を経験していたのですが、「絶対に安心できる場所である家庭」の有無が、その負の影響の振れ幅を増大させ、一時かなり致命的なメンタル面でのクラッシュを引き起こしたのではないかと分析しています。ストレスの限界、体力の衰弱が緊張感の解放を生み出し、緊張感を失うことで外的環境から来る課題への処理能力が低下し、そのことを知覚して自信を失い、自信喪失がメンタルを崩れさせた、こう自分の心の動きを分析しています。

こういう経験を持って、自分は強い側の人間ではないなということを、漸く断言できるようになりました。周囲からの評価は「強い人」「メンタルが石みたいな人」と言われることがありましたが、どうやら自分との距離が近づいて行くに連れ、弱い人間としての側面を見出す人が多かったように思えます。それなりに僕は人によって態度は変えない頑なな素直さを売りにしていたはずなんですが、表面的に付き合っている人とのコミュニケーションの気持ち悪さというのは、相手が期待する村上陽一像からの乖離を防ぐため、自分の弱みを曝け出せないという、本来の自分と知覚される自分とのギャップから来ていると思います。

ある意味振り切ったやり方ではあったのですが、これは自分の「心の強さ」という、主観的にしか捉えられない観点において、限界を見ることで自己覚知を進めることが出来たと考えています。意外にもこの経験は今後のキャリア形成を考える上での「心の面での制約条件」として意思決定の判断材料に繋がっており、「どの程度の負荷をどの程度の期間与え続けていると、どのような反応を自分が示すか」という点に対しては、直感的なイメージの解像度がかなり高まったように思えます。解像度が高まらないと、自分の心の面での制約条件をどこかで気づいていながら、「その制約がなかった場合に入手可能となる魅力」に惹かれて、心の限界を無視したキャリア意思決定を行ってしまいます。どのような速度で、どのような負荷を自分に与えていったらどう反応するかということを考えるためには、自分の心の強さや情報処理能力に対しての自己覚知が欠かせません。

同時に1月は、迷いに迷った月であり、決定を下した月でもありました。精神面、体力面、そして時間効率面など複数の観点から考えた上で、派遣留学の1学期での中断の決定です。原則として宣言した期間を全うすることになっていますが、年末年始の自分の状態を鑑み、法政大学との相談上このような決定をしました。今こうして自分の「時間の使い方」や「心の強さ」についての詳細な情報を欲しているのは、このような決定の過程で答えがない中迷い続けたという経験に依るものだと思っています。

決定をしたことはこれだけではありません。そもそも私の大学生活の大綱となっていた、暫定的な大目標の変更です。私が経営学を大学で学ぼうと考えた理由は複数ありますが、その内の一つが「世界や社会がどうなっているのかもわからないのに、どの分野の専門性を深めていくべきかなんて分からない」という問に答えるためというものがあります。そのためまだ自分が何になるかは分からないけれど、間違いなく「経営」は自分に関わるものであり、且つ経済学と同じように社会を俯瞰して見ることに適しているから、経営学を学ぶべきだと考えていました。今回派遣留学で敢えて「開発学」といったマクロ経済的な分野に学習範囲を延ばしたのは、元々あまりに自分との関わりが遠すぎて馴染みを持てそうになかった経済に対し、経営を学んでいく過程で自分と経営が繋がり、経営と経済が繋がり、漸くマクロ経済観点から社会を俯瞰して見れるようなるという実感があったからです。あくまで経営学を学ぶ理由も開発学や経済学を学ぶ理由も、「社会を俯瞰したい」という動機から来ていることに変わりはありません。これが今は、食料の観点、工学の観点、情報の観点、ジェンダーの観点、教育の観点、国家財政の観点、法律の観点、宗教の観点、国際競争の観点、人口の観点、国際関係や開発の観点といった、あらゆる観点から社会を俯瞰出来るという実感に繋がっており、「無限に自分の思考で応用される観点の数を増やし続けたい」という私のほぼ生来的欲求の充足に向かっています。

話を戻しますが、、、。私の大学生活の大綱とは、この「社会がどうなっているのか検討もつかない」状態の自分が、将来何になるのかも分からない中で、自分の選択に基軸を与える目的で設定したものになります。大学入学したてのころ、大学受験に失敗し、その報われない承認欲求を報われる形にしようとして自分に与えた目標が、「ハーバード10年計画」というものです。法政大学から10年以内にハーバードMBAに合格するという目標で、自分のあらゆる挑戦が成功・失敗した場合のフローチャートを大学1年の5月辺りに完成させ、ほぼそれに従う形で大学生活を送ってきました。

現在の進捗としては、「プランAではなかったが、プランA以上の進歩をしている」と評価出来ます。この大学での3年間で自分に起こったことは、自分でも気がついていなかった自分の可能性の知覚や、確信は無いまでも置き続けてきたあらゆる布石が、「計画された偶然」と言わんばかりにシナジーを生じさせ、運にも味方されて達成出来たものだと思っています。あくまで絶対的な比較ではなく、入学当初の自分との比較ですし、課題は依然として多く残っていますが、目標以上の進捗だったと思っています。

しかし、この留学が私に教えてくれたことは、言ってしまえば「制約を知ること」だったと思います。何事も限界に挑戦しようと思った訳です。限界に挑戦するということは、どこに限界があるのか分からない中で、意外と限界が来ないかもしれないし、意外と直ぐ限界が来るかも知れないということです。要は「限界を知ることが出来る」ことが限界に挑戦することの価値であり、限界を知る、つまり意思決定における制約条件を把握することが出来ることとなり、決定の最適化を促すものとなります。

私の人生に関する決定に必要な情報は、今の自分の情報、今の社会の情報、将来の自分の情報、将来の社会の情報です。完全情報は今の情報しか得ることは出来ません。それも限定合理性を持った我々人間には、現在のことですら完全な情報は手にすることが出来ません。将来の情報においては知ることすら出来ないのです。つまり私達は現在の「未確認な情報」と、「将来の情報」に対し、仮定や推測を用いて概算的に処理しています。

「知ることすら出来ない情報」の推測精度を上げるには、一つにはデータを用いて定量的に予測を行なうということです。私がわざわざ経営学部に入ってデータサイエンスのゼミに入ったのは、恐らくこの観点の補足が目的です。そしてもう一つは、「法則を知ること」です。変わらないものを知る、あるいは予測の材料に使えそうな主観的な情報を得ることです。経済の動向を掴みたいなら、データだけでは不十分で、なぜデータがそのような動きをするのか、どのような目的で予測を行なうのかについては、普遍化・汎用化された経済学の理論が必要です。逆に「自分に関する情報」については、自己の刺激に対する反応の経験を蓄積すること、また自分の能力における限界を、限界に達することで知覚することです。「社会を俯瞰したい」という私の欲求は、単に俯瞰して終わる訳ではないのです。「自分のために社会の動きを利用」して、初めて社会を俯瞰することの意味が生まれます。だからこそ自分に関する決定をし続けなければなりませんし、そのためには自分に関する情報が必要です。私は多くの人が「留学をしたい」と言った時、本人たちがどこまで言葉にすることが出来ているかは知りませんが、必ず「自分に関する情報精度を高め、今後の自分に関する決定の質・納得度を高めたい」という欲求が背後にあるように思えます。

こうした自分に関する情報、そして思考と言語の関係性、時間の使い方、そしてあらゆる観点の入手による可能性への気づきが、「ハーバード10年計画」を設定した当初とは明らかに違う将来の見え方を私に与えました。違和感が明確になったからこそ、この「ハーバードMBAという手段を敢えて目的化」していた目標を取り下げ、あくまで「MBAは代替選択肢の1つである」という立場を自分の中で明確化させました。当然海外MBAに行く可能性を排除した訳ではありません。今の私には「ハーバード10年計画」がもう必要ないし、そういう意味で「ハーバード10年計画」は、「どの道に進んだら良いのか分からない」大学生の私にとって、「補助輪」の役割を全うしてくれたのだと思っています。

最後に、答えのない決定に悩めば悩むほど、私達は日頃、本当に考えることを面倒臭がっているのだと気付かされます。本当はそんなもの存在しないのに、「安定」「ためになる」「ゼロリスク」だと言って、「分かるもの」だけを選ぼうとする。私だけではありません、あなたにとって、「分かるもの」って何でしょう?あなたはあなたの何を知っていますか?将来本当に安定な仕事ってなんですか?どうしてそれは安定なんですか?本当にその仕事はなくなりませんか?本当にその仕事や生き方は、あなたや他の誰かが望んだものですか?将来のことなんて何も分かっていないのに、どうしてそれが「ためになる」って言えますか?

大学生活でも日常生活でも感じられていると思いますが、ホワイトカラーの仕事すら、ほとんど代替されるくらいのインパクトが起こっていますよね。何もかも変わるかもしれない中で、10年は愚か、1年後すら読めない。そんな中で唯一大事なものは、「変わらないもの」くらいだと思うのです。

どんな選択も、最早博打です。唯一変わらないものは、「人と人同士が関わり続ける」ということくらいじゃないでしょうか。1月の月例報告書を書いている現段階で、一番逃げてはいけないものは「人と関わること」「人と信じ合えること」「その人といたいと思い合えること」。そんなものなんじゃないかと。少し話が飛躍しましたが、今月の私の心境の変化といったら、そんなところです。

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