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共同出版の勧誘

“今、私の人生テーマは「スピリチュアルな視点」と「現実生活」のバランスを取ること。明るい 未来イメージ が大好きです。 世界や宇宙には、いろんなレベルのエネルギー(生命体を含む)がたくさん存在していると思っています(見えるとは限らない、そもそも人間の視覚は、非常に限定的かと)。 地球人は、繊細なエネルギーの違いをキャッチする仕様へと、ゆっくりと進化している途上ではないかな...?と思っています。世代交代も含めて。 今ここ に「存在すること」への興味は、尽きないです。 ”

1 哲学者の使命と幸福

 皆さんは、政府や政治、法律や経済、文化や社会、会社や経営に、疑問や不満を懐いておりませんか?恐らく、多くの人々は、あることでしょう。

 ところで、逆に皆さんは、どれ程、政府や政治、法律や経済、文化や社会、会社や経営に、興味や関心を懐いておりますか?そして、「自分だったらどうしているのだろうか?」「自分達に何が出来るのか?」という積極的かつ主体的な問いをしているでしょうか?

 このような問いを立てて、学習と行動することこそが、自分自身の生活をはじめ、やがて、社会や国家の発展や進歩に繋がるのである。

 これこそが、一般的に「役立たず」と言われている哲学の重要な社会貢献の一つであり、そして、哲学が嫌われる理由の一つでもある。

 なぜなら、総じて、「安定」や「絶対性」等を強く好み求め、そして、「依存」や「放任」等をしてしまう傾向が強い私達人類は、「問われる」ということに、強い嫌悪感や拒絶反応を持つことが、甚だ多いのである。

 しかし、生死を問わず、この生物としての不変の運命を受容しつつ、不屈の精神で強かにかつ巧みに克服・闘争しながら、学び問うては、問い学んで、世界の新規・発展・進歩を成し遂げていくことが、哲学者の使命であり、そして、幸福なのである。

2 超越性と実用性の両立

 「哲学は役に立たない」「金にならないゴミ」という嘲笑や軽蔑等に対して、自分に大きな叱咤激励となった先哲が、「デカルト」先生と「アダム・スミス」先生、そして、プラグマティズムの代表者の一人である「ジョン・デューイ」先生である。

《行動を意味するギリシャ語prāgmaから》思考の意味や真偽を行動や生起した事象の成果により決定する考え方。19世紀後半の米国に生まれ、発展した反形而上学的傾向の哲学思想。
デューイが主張する認識論上の立場。概念や真理を独立不変のものとせず、現実的解決の道具とみなし、その真偽の規準も行動の有効性によるとする説。道具主義。概念道具説。

 さて、日本の教育は、利己主義的な商業化や有名無実な形骸化等の諸問題がますます増長している。そこで、自分は、以下の共著を目指している。

 そして、こちらの共著は、ぜひとも、平素より大変お世話になっているyoko_sさんと共同著述したいと存じております。

 こちらの作品は、朱子学の主著『近思録』と陽明学の主著『伝習録』を主要の参考文献とし、形而上学的・超越的な哲学と、実用的・実践的な哲学を両立させる作品にしたいと存じております。

 yoko_sさん、ご多忙のところ、こちらの勝手な提案ではございますが、宜しければご検討の程、宜しくお願い申し上げます。

 また、拙記事を読んで、共同執筆の関心を懐いた方がいらっしゃれば、どうぞご連絡の程、宜しくお願い致します。

3 紹介文献

学校とは暗記と試験にあけくれる受動的な学習の場ではなく、子供たちが自発的な社会生活を営む「小社会」でなければならない。このような観点からデューイ(1859‐1952)は、伝統的な学校教育に大胆な批判を加えた。自ら創始したシカゴ大学付属小学校での体験から生まれた本書が、戦後わが国の教育改革に及ぼした影響ははかり知れない。
子どもの才能と個性を切り拓く教育とは?子ども自身の経験が好奇心を喚起し、独創力を高め、強力な願望や目的を創出し、能動的成長を促す。経験の連続性と相互作用という二つの原理を軸に、経験の意味と教師の役割を深く分析した本書は、デューイの教育思想を凝縮した名論考であり、生きた学力をめざす総合学習の導きの書でもある。
教育とは直接的な経験から出発し、これを絶え間なく再構成・拡大深化してゆく過程である。従って、それは子どもや学校の問題にとどまらない。とすれば民主主義社会における教育とは何か。教育に関する在来の学説をこの観点から根本的に洗い直し、デューイ自身の考え方を全面的に展開し世界の教育界の流れを変えた20世紀の古典。
教育の本質、目的と方法について論じて来た著者は、やがて現代社会の分析と批判に向かう。そして、デモクラシーの理想の実現をはばむ数多くの制約をのりこえてゆくためには、教育を通して諸個人のさまざまな資質や興味の自由な発展を促し、開かれた心、主体的に行為し享受する人間を確立しなければならない、と力説する。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。