見出し画像

出版社めこんへの深謝


1 挨拶

 皆さん、こんにちは。
 私は哲学者を志している在日ベトナム人です。
 今回は、こよなく愛する我が祖国ベトナムと東南アジアの諸国に関する書籍を出版して下さっている「めこん株式会社」について、ご紹介致します。

2 「株式会社めこん」について

メコン川流域を中心に、アジアに関する本を発行しています。
株式会社めこん●〒113-0033 東京都文京区本郷 3-7-1
        Tel. 03-3815-1688 Fax. 03-3815-1810

メコン川流域を中心に、アジアに関する本を発行している出版社です。Twitterではおもに新刊の進行状況を発信

桑原 晨 氏(くわばら・しん)

1944年石川県金沢市出身。海外青年協力隊でラオスに赴任後、出版の世界に入り、1978年、アジア専門出版社(株)めこんを設立。

20年以上前から、アジア限定、特に東南アジアを対象に、文学・歴史・社会にテーマを置いた良質な書籍を発行しつづけている出版社・株式会社めこんの書籍は、メコン圏に関心を寄せる方なら既に手にされたことがあるはずだ。同社は、1978年設立以来、これまでに百数十冊も、アジアに関する書籍を発行してきている稀有な専門出版社である。

「長く続く良質な本を出したい」と桑原社長が語るだけあって、同社発行の書籍は、内容がしっかりしていて読み応えがあり、アジアを深く理解するに有用な良書ばかりである。しかも桑原社長の本に対するプロとしてのこだわりがあり、菊池信義氏や戸田ツトム氏などの装丁には力を入れ、本作りに関しても定評がある。

社名に「めこん」と名付けてはいるが、対象はアジア全域で、インドネシア、タイに関する本が多く、フィリピン、インドに関する本も少なくない。「アジアの現代文学」シリーズ以外に、アジアについてしっかりした知識と見方を持っている人が、自分のテーマを一般の人にもわかるように工夫して書くという「めこん選書」シリーズも続いている。面白い切り口のテーマや、錚々たる人から新進メンバーまで書き手もバラエティに富んだ書籍が続々と刊行されており、刊行書籍や常備店などの情報も、同社が今年(2000年)8月に開設したホームページで知ることができるようになった。

この(株)めこんを設立した社長の桑原晨(くわばら・しん)氏は、1944年生まれで石川県金沢市出身。同氏は、最初日本で海外留学生に日本語を教えており、その後1970年から1971年まで、日本語教師として海外青年協力隊としてラオスに赴任。ラオスに行ってからアジアに深い関心を寄せるようになったとのこと。帰国後、友人に誘われ出版の世界に入るが、アジアの文学・歴史・社会を深く紹介していきたいという気持ちから、1978年、33歳の時に独立し、自ら株式会社めこんを創業設立した。ちなみに会社設立後の1作目は、台湾の文学作品『さよなら・再見』である。

経営的には最初の10年は非常に厳しく、テープ起こしのアルバイトなどでしのぎ、その後一旦は少し良くなったが、数年前から深刻な出版不況の中でもアジアの本は売れにくくなり、楽な経営はできないそうだ。しかしながら今後もこれまでの路線や基本スタンスを変える予定はないと語る。とかく売上部数だけを至上価値とし単なる「マス」に迎合する事から、「質」や「意義」を問わずに手軽で安易なアジア関連本は溢れる今、同社のような存在はきわめて貴重であり、これからも是非頑張っていただきたい。

今後については、「文学」は最初からやっているので、「歴史」をもっと手掛けたく、また桑原氏自身の思い出の地たるラオスに関する本をもっと出版したいと、これからの展開については、色々考えがあるようだ。アジアへの深い思い入れと確固たる事業目的・スタンスを持つ桑原氏は、多忙な業務をこなしながらも、毎月の勉強会(「いつもの会」)を主宰するなど、自らアジア理解を深めアジアに関連する情報収集に大変積極的だ。

2000/1/10

アジア専門の出版社、めこん(東京都文京区)が今年創立40年を迎える。社名にあるように東南アジアを流れる大河メコン流域を中心に、人文・社会科学から小説、旅の本、語学書まで幅広い分野の本を刊行してきた。その数約300点。書店で東南アジア関連書籍に触れる機会が減っているなか、代表の桑原晨(しん)さん(74)は「いつの間にか40年。同世代の出版社が次々店を閉めているなかで、よく続いてきたと思う」と振り返る。

3 紹介文献

 めこん株式会社から出版された我が祖国ベトナムに関する文献は、拙作『社会善』と『人文佳品』の著述・完成・出版において、大変参考にさせて頂きました。取り分け、以下の四つの文献を、極めて重要な参考文献としました。

著者タイン・ティンは抗仏・抗米戦争に参加したあと一貫して権力の中枢にあり、ベトナム共産党の機関紙『ニャンザン』の副編集長まで務めた生粋の幹部党員でした。しかしベトナム経済の停滞、人々のモラルの低下、党幹部の腐敗に危機感を持った彼は、一九九〇年パリで共産党指導体制を批判する文書を公開します。怒った党は当然彼を除名。翌一九九一年、タイン・ティンは国の将来を憂い、さらに激越な内部告発・憂国の書を出版し、世界各国のベトナム人に大きな衝撃を与えました。それがすなわち本書です。ベトナムよ、どこへ行く!? 痛憤と自国ベトナムへの愛がせつない衝撃の一冊。   

経済のドイ・モイが行なわれても、旧態依然とした政治では、ベトナムの安定は望めない。指導者たちは政治のドイ・モイを非常に恐れていた。彼らは指導者としての特権を失うことを恐れていたのだ。衝撃の内部告発。

19歳で共産党に入党し、38年近くを人民軍で過ごし、30年以上メディアの仕事に携わってきた著者が、自らの人生を回想するとともに、ベトナム共産党の指導体制を批判する。地位を投げうって試みた、衝撃の内部告発。

ベトナム共産党元幹部による衝撃的な政治回想録。隠蔽されてきた諸事実をあえて公表しホー・チ・ミン批判のタブーにも踏み込む。インドシナ現代史を見直す上できわめて重要。

本書はベトナム共産党の元幹部タイン・ティンが、1990年のフランス亡命後に出版した2冊目の政治回想録である。1冊目の『ベトナム革命の内幕』(邦訳1997年、めこん刊)では、著者は元ベトナム人民軍の将校として祖国の不名誉になることは明かせないという思いから、いくつかの事実に言及しなかった。しかし、本書ではそれらも敢えて公表し、客観的な歴史の検証を求めている。……
本書は次のような意味を含んでいる。第一に、現在ベトナムで公的に語られている同国の現代史は、ホー・チ・ミンが指導する共産党による民族解放闘争の歴史である。タイン・ティンは共産党員としてその闘争に参画した人物でありながら、ホー・チ・ミン自身の功罪を客観的に評価する一方で、共産党の位置づけを相対化し、それ以外の民族主義勢力にも比重を置いて、歴史的役割の再評価を試みている。第二に、公式の現代史では隠蔽ないし黙殺され、諸外国には詳しく知られていない諸事実、すなわち北ベトナムにおける土地改革の誤り、「ニャンヴァン・ザイファム」事件をはじめとする知識人・芸術家への弾圧、テト攻勢時の大量殺人、南部の過激な社会主義改造、ボート…タブーを打ち破りベトナムの特権的党官僚を弾劾する。

【序言】
 過去を誠実に理解しないまま、未来に着実に歩を進めることはできない。私たちがその過去に関与し、責任を負っていればなおさらである。(中略) 本書は、事実を追い求めた一ジャーナリストの作業の集大成である。私は、歴史の証人たちと出会い、情報を得る貴重なチャンスに恵まれたが、それでも本書にはまだ不備な点があるだろう。ハノイ政府が資料を公開したあかつきには、補足されるべき点もあるかも知れない。読者の助言を得て改訂を重ね、より完成されたものにすることを願っている。歴史上の事実はありのままに伝えられるべきであり、事実は私たちに決して避けて通れない道を示している。
2009~2012年 サイゴン~ボストン

【訳者あとがき】
 本書が刊行された2015年は、ベトナム戦争終結から40年、ベトナムの独立から70年という節目の年で、ベトナム国内ではさまざまな記念行事が行なわれた。(中略)自国の戦争と革命の歴史を見直そうという人々もいる。本書の著者フイ・ドゥックもその1人である。彼は1962年に北ベトナムで生まれ、13歳の時に終戦を迎えた。17歳で兵役に就き、当時まだベトナム「義勇軍」が駐留していたカンボジアに派遣されている。除隊後は、ベトナム国内の新聞社で記者を務めたが、思うところあって退職し、奨学金でアメリカに留学した。

 日本ではほとんど報道されていないドイモイ(刷新政策)の内実とホー・チ・ミン以降の指導者たちの権力闘争について、綿密な取材に基づいて、詳細につづられています。ここまで書いて大丈夫なのかと思われるほど、ないがしろにされた国民の怒りと権力者の醜い脚の引っ張り合いが赤裸々に描かれています。中国なら著者は即拘束されていたでしょうが、ある程度自由に意見を発表できるのはベトナムのいいところか。
 「ホー・チ・ミン主席は、独立宣言の直後に、「たとえ国家が独立しても、民が幸福で自由でなければ、独立にも何ら意味はない」と記している。ホー・チ・ミンの視野の広さを否定することはできない。主席がこの声明を出した時には、人類はまだインターネットを持たず、世界はまだグローバル化の時代を迎えていなかった。多くの国の人々にとって、民族独立は限りなく神聖なものだった。
 そのホー・チ・ミン主席が設立し、指導したベトナム共産党の政策形成の基盤が、イデオロギーではなく人民の自由と幸福だったならば、人々はプロレタリア独裁も、土地改革も、資本家階級の改造も、『ニャンヴァン・ザイファム』への弾圧も経験することはなく、民族や家族の中の無数の衝突を見ることもなかっただろう」(本文より)
 初めてのベトナム人自身によるベトナム現代史総括『ベトナム:勝利の裏側』の続編です。

本書は、出版社めこんの桑原晨氏の深い理解と惜しみない支援があってこそ刊行されたものである。索引をはじめとする細やかな作業は、学部時代から修士課程まで中野亜里氏に傅いてきた愛弟子である川崎拓海君が作成した。小高は急逝された中野氏に成り代わり初校以降の校正を担当した。そして表装のイメージや本書で用いられる写真の選定などを桑原氏と共に行った。中野亜里さんは一貫してベトナム民族の来し方行く末を案じ、与り知らない政治構造によって社会の端に追いやられた多くの民草のために行動した勇気ある人だった。遺稿となったこの書物に携われたことを、ベトナムの血を引く一人として心から光栄に思う。
拓殖大学国際学部特任教授 小高泰

 この四つの参考文献は、拙作『社会善』・『人文佳品』の完成の大きな助力となりました。

社会批判もまた確かに間違いなく熱誠な正義だ。しかし自己批判こそが最も熱誠な正義だ。

拙作『社会善』(下巻「四行勤勉」第Ⅲ章「徙義」)⒛

至誠なる知は魂を生んでは育んで、至誠なる徳は魂を成しては昇らせる。魂は性を遷移させる。
根源である「天門」に誠に帰還しては、決して二度と元始に戻らずに遷移し続けるのが 「人」。
誠に「人」は、教育の成果であり、学習の結実であり、徳化の美品であり、道化の霊妙である。

拙作『人文佳品』(補詩集「日省 - 週磨 - 月試 - 年啓」詩文Ⅵ「週磨; 磨揉遷革」)s.3-5

4 深謝の念と更なる志の深化

 ホー・チ・ミン主席の主著『仕事路線の修正』(Sửa đổi lối làm việc)の「第三章 資格と革命道徳」(III Tư cách và đạo đức cách mạng)には、次のことが著述されています。

Nói về Đảng, một Đảng mà giấu giếm khuyết điểm của mình là một Đảng hỏng. Một Đảng có gan thừa nhận khuyết điểm của mình, vạch rõ những cái đó, vì đâu mà có khuyết điểm đó, xét rõ hoàn cảnh sinh ra khuyết điểm đó, rồi tìm kiếm mọi cách để sửa chữa khuyết điểm đó. Như thế là một Đảng tiến bộ, mạnh dạn, chắc chắn, chân chính.
党についてですが、自身の欠点を隠蔽する党は、壊れた党です。肝胆のある党は、十二分に自身の欠点を認めては、それらを審らかに暴いて、どこに因って欠点が存在しているのか、[更には]欠点が生じてしまう背景を、詳らかに調べ、そして欠点を直す為に、あらゆる方法を探究するのです。そうであってこそ、進歩・強靭・確実・真正の党です。

 上記のホーチミン主席の言葉を借りるのであれば、自国の本当の欠点・弱点・汚点・罪過等を隠蔽に全否定や無視等をする民は、害悪な民とも言えるでしょう。歴史を確りと勉強に研究しては、自国の自国の本当の欠点・弱点・汚点・罪過等を明確に認識して、剛直な猛省に建設的な批判や進歩的な非難を熟慮断行する、そうしてこそ、進歩・強靭・確実・真正な愛国の民であると、自分は心の底から誠に強く思っております。そして自分は、その誠に一員に成っては、その一員であり続けることを誠に貫徹します。

 詳細は未定ですが、今年から、20世紀の我が祖国ベトナムに関する、自伝的な拙作の執筆を開始する予定を確立させました。

5 中野亜里先生への深謝と追悼の念

 数多くのベトナム研究者の先生方の中でも、取り分け、中野亜里先生は、我が祖国の欠点・弱点・汚点・罪過等を実直に取り上げた書籍を翻訳と著述して下さいました。

 そして、自分は直接先生に深謝の御礼を表明したかったですが、それは永遠に叶いません。自分が立志しては、研究活動を開始して、執筆活動をも開始した時には、既に遅過ぎました。

中野亜里さん死去 大東文化大教授
2021/1/10 11:35
中野亜里さん(なかの・あり=大東文化大教授、ベトナム政治外交史)9日午後2時40分、がん性腹膜炎のため札幌市の病院で死去、60歳。大津市出身。お別れの会は12日午前10時半から札幌市白石区南郷通15丁目北8の27、南郷斎場で。喪主は夫の川根真也(かわね・しんや)氏。

 ですが、先生が我が祖国ベトナムに懐いて下さった想いと命懸けな実地調査に熱誠な研究・翻訳・著述等の結実は、自分の拙作に、確りと独創的に学び受け継がせて頂きました。それはこれからも続きます。ここに、中野亜里先生への深謝と追慕の念を示します。

6 結語

 以上となります。末筆ですが、桑原晨様・株式会社めこんの方々並びに関係者各位に、皆様方の健康への祈願・事業の更なる成功・深謝の念をここに示します。そして、まだまだ拝読していない書籍、これから出版される書籍を、拙作の研究活動にて拝読し、そして執筆活動にて、重要な参考文献とさせて頂きます。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。