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拙作の哲学文集とその参考文献

1 挨拶

 皆さん、今日は。
 本日は、文献資料を探し回った結果、新たな発見を行いましたので、拙作の哲学文集と共に、ご紹介させて頂きます。

2 拙作『平民学事 正直・剛克・柔克と勧学修養』

 以下が、今年度に完成と出版する哲学文集の拙作です。

2.1 表紙

2.2 目次

2.3 解題

 二〇二二年、昨晩の十二月二十一日の夜中と本日の二十二日の早朝に、自分は風邪を少し引いてしまい、近くの診療所に行って受診して、薬を処方して貰った。帰宅した後、風邪に因る身体の疲労と、もうすぐ八年ぶりにこよなく愛する我が祖国ベトナムにもうすぐ帰国できること、父方の祖母と叔父、父母方の従姉妹達と従弟、小父さん達や小母さん達(父の友人達やかつて外国人技能実習制度の監理団体に勤務していた時に知り合った方々)に再会できるという精神の幸福の間の中で、拙作の整理や拙作の表紙の修正等を行っていた。そして、祖国並びに自分自身の過去(現実と夢の両方の過去)について深く顧みては、物思いに深く耽(ふけ)っていると、「自分」(Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン):著者の主人格『LVN』の夢の中で生じた四つの副人格達の内の一人)は、七十七年前の一九四五年に、「平民学事」(Bình dân học vụ)という社会運動に参加した記憶や経験等を、悲しくも誇らしく思い出した。そして、深い悲しみと高い誇りという感情が入り混じる中、「阮廌」(Nguyễn(グエン) Trãi(チャイ))先生と会って交流するという幻覚が生じた。こうして、この二つの内界の現象から、この拙作『平民学事 正直・剛克・柔克と勧学修養』が誕生した。この内界の現象とその内容について、別の拙作『夢幻の自伝』と『現実』で詳述して、ここでは割愛することにする。

 さて、「平民学事」とは、一九四五年八月に起きた「八月革命」(Cách mạng tháng Tám)の成功後、ホー・チ・ミン主席が九月二日に「独立宣言」(Tuyên ngôn độc lập)をハノイのバーディン(Ba Đình)で読み上げたことを以て、「ベトナム民主共和国」(Việt Nam Dân chủ Cộng hòa)が名実と共に成立し、その後、「ベトナム民主共和国臨時革命政府」(Chính phủ Cách mạng lâm thời Việt Nam Dân chủ Cộng hòa)の主導の下で、九月八日から、これまでのフランスによる植民地としての統治時代にて、ベトナム人民が文盲に無筆、そして無学無才を強いられて来た歴史的・文化的・民族的な大難を克服する為の初歩的教学の水準の向上を図る社会運動、そして、国策としての教育政策である。その後、一か月足らずで、ホー・チ・ミン主席は、『失学の災難に抗する呼び掛け』(Lời kêu gọi chống nạn thất học)という勧学・奨学・向学の呼び掛けを行い、その内容は、獲得した独立に建国、そしてその維持と進展の為の様々な新規を実現していく為に、「民知」(Dân trí; 人民の知識)の向上が至急の事業となることを呼び掛けては、その事業を開始する為には、まず何よりも真っ先に国語(Quốc ngữ)の勉強が不可欠であることを呼び掛けて、人民同士の互助に切磋琢磨を呼び掛けるものであった。(情報源:“Bình dân học vụ” - kỳ tích của ngành giáo dục Việt Nam (qdnd.vn)

 七十七年以上も経った今現在、言うまでもなく、ベトナムの教育水準は、建国時とは比べ物にならない程向上し、文化的・民族的な規模の文盲に無筆、そして無学無才は全く以て無い。とは言え、あらゆる全ての、時代・国家・民族、そして個人の、あらゆる全ての教学(絶対的条件付きの形式科学を除く)にも言えることだが、問題に欠点や弱点、そして誤謬(ごびゅう)等が、ほぼ常に必ずや存在し続ける。思うに、「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ。」(Học, học nữa, học mãi.)という格言は、誠に偉大な格言だ!『論語』(堯曰 20:3)の言葉に、また、「ロゴス」の意味に、次のものがある。

天命を知らなければ、君子になれないのだよ。
礼儀を知らなければ、立身は出来ないのだよ。
言葉を知らなければ、他人を知れないのだよ。

The Analects : Yao Yue - Chinese Text Project (ctext.org)

1 ギリシャ語で、言葉・理性の意。
2 古代ギリシャ哲学・スコラ学で、世界万物を支配する理法・宇宙理性。
3 言葉を通じて表される理性的活動。

ロゴスの意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

 こよなく愛する我が第二の祖国日本にて、児童・生徒・学生、そして、教員として過ごして得た数多の経験を持った二十六歳の哲学者として思うのは、現代社会並びに現代人は、天命は疎か自然法則ですらも誤解や無視に忘却等し続け、そして、礼儀と言葉の本義を誤解や忘却あるいは軽蔑や放棄等し続けていると、自分は心の底から、誠に、そして痛烈に思っては憂えている。現代社会並びに現代人は、決して「過去の」「文盲に無筆・無学無才」ではないが、「新しい」「読書聞話が出来る文盲に無筆・博学多才である無学無才」であるところが、既に決して少なくなく、そして日に日に激増し続けているのではないだろうか?『老子』(道経 俗薄)に、「智慧(ちえ)出て大偽有り」とあるが、自分はこの箴言を日々、心の底から誠に、そして痛烈に学び得続けている。

 『論語』(衛霊公 15:41)に「辞は達せんのみ」とあり、『ティルックラル』(1:1)に『アが全ての文字の初めであるように、神は世界の初めである。』とあるが、思うに、言語は、認識論を以て、肯定的に適正化されては、社会的に多様化されて、文化的に洗練されていくべきである一方で、存在論を以て、否定的に窮理されては、破壊的に純化されて、創造的に放棄されていくべきでもあると、自分は心の底から誠に、そして哲学的に深く思っている。

 以上の哲学者としての哲学的な思惟の道、また、愛国者としての愛国的な懐古の念、そして、ホー・チ・ミン主席を心の底から誠に深く尊敬する志士としての批判的な追随の志。自分は、この道から改めて「天命」・「法(アラム)」・「世界万物を支配する理法(ロゴス)」を誠に学び知り始めては、この念から改めて「礼儀」・「財(ポルル)」・「理性(ロゴス)」も誠に学び知り始めて、「言葉」・「愛(カーマム)」も誠に学び知り始めることを決行した。そして、「正直」になっては、「剛克」になって、「柔克」になって、「新しい文盲に無筆・無学無才」の大難に、率先垂範して徹底抗戦しては誠に克服して、人々や社会に勧学しては修養を呼び掛け、新しい歴史的・文化的・民族的な大難を克服する為の批判的教学の水準の向上を図る社会運動の誠なる一員並びに善き一因になれることを志した。この決行と志からこの拙作『平民学事 正直・剛克・柔克と勧学修養』を著述・完成・出版した次第である。

 この拙作の大要は、以下の通り、「下学上達」に基づいて、十二の哲学分野とそれを四つに区分しつつ、体系的に著述した哲学文集である。なお付録は、阮廌先生の主著『平呉大誥』(Bình Ngô đại cáo)を批判的・発展的・現代的に継承しては、確りと独創的・哲学的に完成させた拙作である。

Nguyen Trai (阮廌) – National Library of Vietnam

2.4 大要

2.5 参考文献

 さて、ここからが、今回の記事の本題です。
 まず、拙作は哲学文集ですので、以下の二つが、重要な参考文献です。

2.5.1 哲学事典

旧版を全面的に改訂した哲学事典。西洋哲学一辺倒を廃して東洋近東の諸哲学の項目も網羅。初心者・研究者の要望に応える決定版。

総項目数約4100を、第一線で活躍中の専門家が最新の研究成果を踏まえて執筆。重要テーマを文化横断的に考察し、著作は内容紹介だけでなく背景知識を含めて解説。哲学・思想を学ぶ上で必要な領域を一冊に収める基本事典。

2.5.2 廣松渉先生について

 そして、上記の二つ事典から、物足りなさを感じた為に、補完となるような参考文献を精選した結果、上記の『哲学・思想事典』を編集した一員で、既にお亡くなりになられた「廣松渉先生」の御力を頂いて、拙作を完成させていくことにしました。以下の通り、先生をご紹介させて頂きます。

廣松渉 1933-1994(昭和8-平成6)
略 歴

1933年山口県厚狭郡に生まれ、福岡県柳川市蒲池で育つ。高校進学と共に日本共産党に入党、大検を受け東京学芸大学に入学後、中退して東京大学で哲学を学ぶ。共産主義者同盟(ブント)を支持し、雑誌『情況』の出版に尽力するなど、哲学の理論的研究にとどまらず幅広く活躍した。

思 想
廣松の思想はマルクス主義の立場に立脚し近代の構図から離れ新たな思想を組み立てようとするところに特徴がある。その思想を以下の三つのキーワードから解説する。

①マルクス主義の疎外論から物象化論への展開
 廣松は、マルクス主義の疎外論が「主体―客体」図式を前提にしているとして物象化論を唱えた。疎外論においては一人の主体が労働することによって、その労働に応じて生産物に「価値」が与えられ、主体はそのことによって生産物から疎外されるとされるが、「価値」はそのようなものではないと廣松は考える。物象化論の立場に立つ廣松は、「価値」の決定基準は「総労働に対する生産者たちの社会的関係」にあると考えており、一人の労働行為ではなく、関係の網目に組み込まれた人間達の「総労働」から逆説的に個々の労働の「価値」が決定されると考えた。つまり一人の主体が労働した分の価値が生産物に付与されるということはなく、むしろ総労働から個々の労働の価値が割り当てられてから、逆説的にある主体がその生産物に価値を付与したように見えるだけなのだ。マルクスはそうした事態を「取り違え(Quid pro quo)」と呼んでおり、これを商品の「物神的性格」だとした。廣松の物象化論において重要なのは「主体―客体」は近代の作り上げた虚構であり、「関係の一次性」が本質的なものであると主張している点である。

②世界の共同主観的存在構造
 廣松はこうした物象化論を発展させて、世界の共同主観的存在構造という独自の立場に立った。まず近代の「主体―客体」図式では「意識作用―意識内容―客体自体」という三項図式が成立してしまうと廣松は考える。しかしそうした三項図式はゲシュタルト心理学などから科学的に批判されており、もはや妥当性がないと考える。そこで廣松は現象(フェノメノン)の対象的二要因と主体的二重性について述べ、私達が認識する現象的(フェノメナルな)世界は本来、その二要因と二重性が重なり合った四肢的構造連関という在り方をしていると主張する。
 まずフェノメナルな対象について廣松は、「即自的に、その都度すでに、単なる感性的所与以上の或るものとして現れる」と述べる。例えば私達が鉛筆を見るときそれは鉛筆「として」認識される。対象は常に「~として」という構造で認知される。この「~として」という構造は、イデアールなetwas(この場合鉛筆)がレアールな所与において肉化(inkarniren)しているということである。廣松はレアールとイデアールを交わらない対立としては見ずに、むしろ対象においてレアール・イデアールが二肢的に構造統一して現れているのだと考える。
 そしてその対象を認識する主体について、フェノメノンは「誰かに対して」あるのだと廣松は考える。フェノメノンは私に対してだけでなく、彼に対して、あるいは子供に対して、外国人に対して、一般に任意の他者に対してもあることができ、その主体によって現われ方が異なる。例えば時計の音を聴くとき、日本語話者は「カチカチ」と聴くかもしれないが英語話者は「チックタック」と聴くかもしれない。つまり所与etwasを意識する在り方はその共同体によって共同主観化されているのである。だから対象が「に対して」拓けるのは単なる私として以上の私、いわば「我々としての私」であると廣松は考え、フェノメナルな世界が「に対して」拓ける主体は「誰かとしての誰」という二肢的二重性を持っているとする。
 以上のそれぞれの二肢的性質を合わせ、廣松は四肢的構造連関とは「所与がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある(Gegebenes als etwas Mehr gilt einem als jemandem)」という世界の存在様式を世界の共同主観的存在構造として述べた。

③近代の超克論
 廣松は戦時中の思想の総括として近代の超克論について述べている。とりわけ廣松は京都学派の近代の超克論をマルクス主義の立場から、「人間疎外」を問題にしこの「疎外」的歴史状況の超克を論じたものだったと評している。京都学派の哲学的人間学は、人間を単なる「理性的存在者」としてみる啓蒙主義的人間観に対して、人間存在を「生の現実」に即し「情意的な面」まで含めて相対的に捉えよう努力したものであった。しかしそもそも哲学的人間が所謂人間主義の埒に根差すものであり、それは俗にいう「人間中心主義の時代」たる近代の地平に照応するところの、典型的な近代哲学、典型的な近代イデオロギーの一形態であると言わざるを得ない、として京都学派の近代の超克論が近代の枠組みから依然として脱出できていないことを指摘し批判した。

廣松渉の思想は多岐にわたるが、以上の三点が廣松の主要概念である。

 以上のように、極めて難解ながらも、哲学の碩学大儒の薀蓄や造詣等を確りと研究して、更に哲学者として成長・進歩していきたいと恩ぉ伝降ります。

2.5.3 拙作の参考文献として利用させて頂く廣松渉先生の著作

 さて、以下が、先生の著作であり、そして自分の参考文献として利用させて頂くものです。

2.5.3.1 回想録

幼少期、そしてコミュニストとしての青春を経て、ニュー・レフトの理論家へ―はじめて明かされる事実とともに廣松渉の新たな姿が浮かび上がる。ただ一度だけ自ら語った、生涯の軌跡。希有な思想家はいかにして生み出されたのか―。

2.5.3.2 コレクション

本巻は、広松渉の体系構想と密接に関係する諸論考6編をおさめている。第1部は広松理論の中枢をなす『存在と意味』に直接に関連する4編、第2部は構造変動に関し著者が正面から取り上げたほとんど唯一の論考である。

広松渉の社会主義論は現存社会主義を「国家社会主義」と規定し、マルクス主義的な社会主義の伝統からの偏畸・逸脱を問題化する一方で、生態学的な価値をも視野に入れた新しい社会主義像を模索しようとしている。

既存の社会主義体制が崩壊し、「マルクスは死んだ」とまで言われた。しかし、本当にマルクスは、もはや読む価値もないのだろうか。一貫してマルクスの重要性とその読み直しを主張し続けた著者による詳細なテキスト解釈。

貨幣とは何か。関係の結節点としての価値-貨幣という視座で「資本論の哲学」を明らかにした広松渉が、交換過程論・貨幣論を射程に収めつつ、既成の経済学を批判する。「広松渉コレクション」全6巻の初回配本。

狭義の世界観から共同主観性論、関係性の哲学などを軸に既成哲学と対峙し、マルクス主義に新しい息吹を与えた思想家、広松渉。哲学の豊富な知見を最小限に抑えた彼の著書をふまえて、広松哲学の基本と根本モチーフを証明する。

新機軸を打ち出したマルクス研究と独自の哲学の構築。この二つの柱を中心とする広松思想全体へ近づく。アカデミックで特異な文体の論文の他に、講演その他一般向けの諸論文も含む。

2.5.3.2 著作集

第一巻 世界の共同主観的存在構造
『世界の共同主観的存在構造』
『もの・こと・ことば』
 「意味論研究覚書」
 「記号論の哲学的次元」-記号的意味機能の存立機制-
 解説:野家啓一 解題:小林昌人
〈資料〉『記号的世界と物象化』はしがき
 1996年6月6日発行
第二巻 弁証法の論理
『弁証法の論理』-弁証法における体系構成法-
 「時間論のためのメモランダ」
 「人間論へのプロレゴーメナ」
 「精神病理現象を私はこう見る」
 「儀礼行為についての私の観方」
 解説:高橋洋児、野家啓一 解題:小林昌人
〈資料〉『哲学の越境』「はしがき」から【中塚注:部分】
 1996年11月6日発行
第三巻 科学哲学
『科学の危機と認識論』
 「物的世界像の問題論的構成」
『相対性理論の哲学』
 「マッハの哲学-紹介と解説に代えて」
 「マッハの現相主義と意味形象」
 「マッハとわたし」
 「哲学の功徳-マッハ外伝」
 「マッハ主義」
 解説:野家啓一 解題:小林昌人
〈資料〉『事的世界観への前哨』目次
〈資料〉『事的世界観への前哨-物象化論の認識論的=存在論的位相』序文
 【注】この〈資料〉にある“=”に注目。「資料-1」の『事的世界観への前哨』の注を参照されたし。
〈資料〉『認識の分析』新装改訂版への序文
 1997年3月6日発行
第四巻 身心問題・表情論
『身心問題』
 「物心の二元論を克服する前廷」
 「心身関係の難題と打開の方向」
 「身体的現相と〈内奥の〉意識」
 「完璧なロボットに意識は無用」
 「〈心-身〉関係論への視角-意志行為論のための管制」
 「表情体験的世界からの再出発」
『表情』
 解説:村田純一 解題:小林昌人
〈資料〉『哲学の越境-行為論の領域へ』はしがき
 1996年12月6日発行
第五巻 役割存在論
 「役割理論の再構築のために-表情現相・対人応答・役割行動-」
   【注】当論稿については『廣松渉文献資料-4』の【Ⅴ】を参照。
 「人格的主体と対他的役割存在」
 「自己と他己との 相互的共軛性」
 解説:熊野純彦 解題:小林昌人
〈資料〉『哲学の越境』「はしがき」から【中塚注:部分】
 1996年7月4日発行
 【注】 2010年2月、岩波書店より、内容を著作集のままで、標題だけを『役割理論の再構築のために 』と変更し、単独の書籍として発行された。
第六巻 社会的行為論
 「理解社会学への私のスタンス」
『現象学的社会学の祖型』-A・シュッツ研究ノート-
『共同主観性の現象学』
 解説:西原和久 解題:小林昌人
〈資料〉「社会的行為論ノート」(『現代思想』(青土社発行)連載論文)の目次
 1997年6月6日発行
第七巻 哲学・哲学史論
 「カントと先験的認識論の遺構」
 「カント理論哲学における先験的演繹の問題」
 「現代性を秘めるヘーゲル哲学の魅力」
『ヘーゲルそしてマルクス』
 「フッサールと意味的志向の本諦」
『フッサ-ル現象学への視角』
 「ハイデッカーと物象化的錯視」
『メルロ=ポンティ』
 「現象学とマルクス主義 緒言的覚書」
 解説:竹村喜一郎 解題:小林昌人
 1997年1月6日発行
第八巻 マルクス主義の成立過程
『青年マルクス論』
『マルクス主義の成立過程』
 「『ドイツ・イデオロギー』の位相」
 解説:小林昌人 解題:小林昌人
 1997年4月7日発行
第九巻 エンゲルス論
『エンゲルス論-その思想形成過程-』
『唯物史観の原象 その発想と射程』
 「マルクスと数学」-「数学手稿」の公刊に寄せて-
 「弁証法三題」
 「近代科学主義批判」-『自然弁証法』をめぐって-
 解説:佐々木力 解題:小林昌人
 1997年5月6日発行
第十巻 マルクス主義の哲学
『マルクス主義の地平』
『マルクス主義の理路』ヘーゲルからマルクスへ
 解説:今村仁司 解題:小林昌人
 1996年8月6日発行
第十一巻 唯物史観
 「歴史の法則性と人間の主体性-問題論的構制の把え返しに即して-」
 「経済学の視圏と唯物史観」
 「唯物史観」
『生態史観と唯物史観』
『唯物史観と国家論』
 「歴史法則論の問題論的構制」
 解説:山本耕一 解題:小林昌人
 1997年2月6日発行
第十二巻 資本論の哲学
『資本論の哲学』
『資本論を物象化論を視軸にして読む』
 解説:吉田憲夫 解題:小林昌人
〈資料〉『資本論を物象化論を視軸にして読む』目次
〈資料〉『存在と意味』第二巻序文から【中塚注:部分】
〈資料〉『資本論を物象化論を視軸にして読む』まえおき
 1996年9月6日発行
【中塚注:】『資本論を物象化論を視軸にして読む』の本来の表記法は“物象化論を視軸にして”が“割注”形式で書かれている
第十三巻 物象化論
 「現代的世界観への道」
『物象化論の構図』
 「宇野経済学方法論をめぐる問題点」
 「貨幣論のためのプレリュード」
 「資本論における単純商品の意義-労働価値説の定立場面と併存モデル-」
 「貨幣と信約的行為-物象化論展開の一管制-」
 解説:高橋洋児 解題:小林昌人
〈資料〉「資本論における単純商品の意義-労働価値説の定立場面と併存モデル-」冒頭の“前置き”
 1996年10月7日発行
第十四巻 近代の超克
『〈近代の超克〉論』昭和思想史への一視角
 「構造の形成・維持・推転の機制」
 「資本主義の突然変異-西欧で資本主義の成立した条件-」
 「国民国家の問題構制-自由平等主義と市民社会の擬制-」
 「「疎外革命論」の超克に向けて」
 「マルクスにおける歴史法則観に寄せて」
 「自由・平等・友愛のマルクスにおける行方」
 「マルクス主義と「プロ独」の問題」
 「東北アジアが歴史の主役に-日中を軸に「東亜」の新体制を-」
 解説:今村仁司 解題:小林昌人
〈資料〉『現代革命論への模索』目次
〈資料〉『マルクスにおける根本意想は何であったか』目次
〈資料〉『東アジア世界史探究』「発刊の辞」から【中塚注:部分】
〈資料〉『新左翼運動の射程』目次と初出
〈資料〉「東北アジアが歴史の主役に-日中を軸に「東亜」の新体制を-」の第一稿から【中塚注:部分】
 1997年7月7日発行
第十五巻 存在と意味 第一巻
『存在と意味』事的世界観の定礎
   第一巻 認識的世界の存在構造
 解説:坂部 恵、解題:小林昌人
〈資料〉「字にも書けない面白さ!? 東大で人気、廣松渉哲学」(83年2月20日『サンデー毎日』から)
〈資料〉「『存在と意味』をめぐって-近代をのりこえる哲学」(83年2月8日『東京大学新聞』における足立和浩、山本信両氏との鼎談における発言から【中塚注:部分】
 ○年譜(小林昌人による)
 ○駒場での授業(直江清隆ほかによる)
 ○著作目録(小林昌人による)
 1997年8月6日発行
第十六巻 存在と意味 第二巻
『存在と意味』事的世界観の定礎
   第二巻 実践的世界の存在構造
 解説:熊野純彦、村田純一 解題:小林昌人
〈資料〉『存在と意味』の諸プランの変遷についての諸資料
〈卒業論文〉「認識論的主観に関する一論攷」
 1997年9月8日発行
【『著作集月報』目次】
 [注] 「」が題名で次が著者(敬称等略)
廣松渉著作集月報1
「廣松渉と西田幾多郎」小林敏明
「廣松哲学を英語で語らせる」M・サントン
「「活動家」廣松渉」冨岡倍雄
廣松渉著作集月報2
「廣松渉とマルクス主義の現代的意味」加藤尚武
「廣松さんと、社会思想史研究会と、酒」大庭 健
「私にとっての廣松渉」村尾行一
廣松渉著作集月報3
「廣松渉のエンゲルス論」杉原四郎
「廣松さんとの出会い」石塚良次
「ひとつの私信の思い出」いいだ もも
廣松渉著作集月報4
「あの頃」清水多吉
「廣松とのこと」山口重克
「著者と編集者」富岡 勝
廣松渉著作集月報5
「廣松さんと『ドイツ・イデオロギー』編集問題」重田晃一
「廣松渉の四肢構造」藤本隆志
「「歴史の主役」について」田代正夫
廣松渉著作集月報6
「廣松スタイル」鷲田清一
「共同体の行方-和辻哲郎から廣松渉へ-」門脇俊介
「「実践哲学の復権」としての廣松渉」古賀 暹
廣松渉著作集月報7
「社会学への越境」船津 衛
「思い出すままに」増山眞緒子
廣松渉著作集月報8
「廣松渉君のこと」井上 忠
「廣松渉が残したもの」星野 智
「マッハが物理学者だということを知っていますか」宮川武寿
廣松渉著作集月報9
「廣松入門数歩前?」川本隆史
「「マルクス学」の創始者としての廣松さん」的場昭弘
「美学から見た廣松哲学」小田部胤久
廣松渉著作集月報10
「廣松さんの想い出」伊藤俊太郎
「書簡-フランス語の廣松渉」港道 隆
「アリストクラットの湯帷子」中野幹隆
廣松渉著作集月報11
「『共産党宣言』とアインシュタイン」服部文男
「人間物差しとしての廣松さん」鷲田小彌太
「巨人廣松さん」義江彰夫
廣松渉著作集月報12
「「オールド・ボリシェヴィキ」廣松さん」加藤晴康
「廣松渉さんとの“遅れた”出会い」勝守 真
「渉少年の想い出」新谷弘之
廣松渉著作集月報13
「廣松さんのこと」宇波 彰
「非学問的付き合い」濱井 修
「廣松渉の思い出」柄谷行人
廣松渉著作集月報14
「廣松物象化論と労働の評価問題」伊藤 誠
「『エンゲルス論』のころ、そしていま」池田浩士
「廣松渉氏と私-奇妙な交流」筒井清忠
廣松渉著作集月報15
「廣松さんのこと」高橋哲哉
「廣松渉氏へのお詫び」井上五郎
「「出版流通文化の終焉」雑感」合庭 惇
廣松渉著作集月報16
「廣松さんの業績と生い立ち」立松弘孝
「廣松渉先生から学んだこと」大澤真幸
「トゲ」牧野 剛

3 結語

 拙作の本文は、僅か40ページに過ぎませんが、確りと以上の膨大な文献資料とその薀蓄や造詣等を研究かつ体得して、心血・精魂・智徳を込めて確りと著述して参ります。

 今から運動して、帰宅後の沐浴と休養した後に、詩作活動を再開いたします。

   応援や御支援の程、宜しくお願い申し上げます。
 いつも拝読して下さる読者の方々に、誠に心の底から、謹んで厚く御礼を申し上げます。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。