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『醜い妻を持つ』ヴー・チョン・フン短編翻訳(13)

 その日私は「重要な用事」でスゥ・ハー・ドンの裁判所に赴く必要があった。朝、公道に出た時刻は九時頃であったが、そこでは十一時になるまで長い椅子に腰を掛けて手をこまねきながら待たなくてはならなかった。ベトナム国固有の神聖な通例に追随する事務室のファン氏が顔を引きつらせて何かに怒りながら私に対応した。当たった人間が悪かったのだ。結局私は昼過ぎにまたここへ戻ることになった。もう一度ファン氏に応対してもらうためだ。私は裁判所所長であるファン氏の無限の権限がどういったものであるかよく理解している一市民のように、「はい、はい、そうですね、そうですね」と肯定するばかりであった。
 裁判所の花園を回って外に出てから、私はどこかレストランを探すことにした。するとそこで、偶然ゾアン氏と出くわした。彼は小学校の第一学年時代の古い同級生であった。
 彼は気障な洋服を上下身に着けていた。そういえば昔から彼の身に着けていた学生鞄も小娘のように着飾った性格のものであったことを思い出した。小学校時代からもう十年は立つというのに、そういった様子は今も変わらないようであった。襟には少しもゆるみが無く、靴の両先には埃一つ付いていない。ネクタイは非常に時代に適したもので、きちんとボタンも付いている。彼がどれほど衣服に慎重かが十分に窺えた。ゾアン氏はすぐに私が誰であるかに気が付いた。彼は私の座る席の傍までやってくると、私に手を差し出した。まだ一度として話したことのない人に声をかけようするときに人々が見せる慎み深さがあった。
「お久しぶりです。私のことを覚えていらっしゃるでしょう。ゾアンです。シン・トゥーの学校で同級生だった・・・」
「あーあー!ゾアン!当り前じゃないか!なんだい、そんな格式ばったしゃべり方をして・・・」
 するとすぐにこちらへ大柄の女性がやってきた。その女性は茫然と彼の後ろに立った。ゾアンは振り返り彼女に私を友達だと紹介した。そして私にも彼女は自分の妻であると紹介した。椅子を引き座ってから、ゾアンの妻はすぐに龍井茶のティーポットを頼んだ。彼女は手際が良かった。まるで家もないのに娼婦を妻にしてしまった男のようであった。私は彼女を見て、旧友とは似つかわしくないと思った。どうしても彼らがお似合いの夫婦には見えなかった。おもむろに私は昔のゾアンがどれほどのカリスマ性持っていたかを克明に思い出した。
 彼は元々賢く、芸術の才能があった。昔の彼の衣装が豪華絢爛で羨望の的であったことは言うに及ばず、鉛筆や絵具箱までが同様にして高価で豪華に装飾の施されたものであった。他にこの鮮麗された少年の特徴といえば、ゾアンは当時我々からドン・ファンと呼ばれていた。というのも、彼には言語の才能や文章の才能があったため、女の子の機嫌を取るのが上手だったからだ。彼に惚れた少女の大部分は美しいことで有名な子ばかりであった。国一番の女の子ばかりがやってくるのだから、彼が女の子を引っかけることに関して飢えることはなかった。彼はよく我々に自分に当てられた恋文の便箋を自慢した。どの封筒も格式ばっており、たった一枚でも七スーほどの価値があるものであった。そんなことをする度に、友人たちの多大な敬服を前にして、彼は愛車である特別仕様のプジョー・グランドリューセの上に体を反らせて立ち上がると言ったものであった。
「お前たち見てみろ!俺が特別な人間であることの証だ!俺は遊びには飢えないぞ!」
 そして現在、少しも「芸術」を思わせない妻と一緒に座っている彼を見ている訳であるが、奇をてらった性格というのは相変わらずのように思えた。私は突然ある地元の格言を思い出した。「幸福には辛いことが多い」と言う。これの意味は明らかで、因果応報を表した言葉であった。
 この妻、女性ではあるものの醜男の相貌を備えていた。両目は小さく、頬骨は高い。唇は荒くれ者のようで、その姿は卑俗そのものである。指は丸々として長く立派なバナナでもなっているのかと思わせる。にもかかわらず、彼女の食事と着こなしのモダンなこと!歯なんて神々しく白いのである!異常に大きいアオザイは青色で、ズボンは不埒で目障りなほどに白い。高い踵のついた靴には踊り子用の皮紐と、頭巾の縁についた紐の切れ端をくっつけている。彼女を占める物を並べればいけば、低俗な人間の豪奢を暴いてやることになり、そうするほどに益々その滑稽な高慢さが姿を現した。それに加え、歓談の最中には時折西洋語を入れ込んできて、自分が根っからの女学生であることを誇示しようとする。私は漠然と彼女に対してある印象を持った。この女は家に誰もいない時には酒乱の西洋軍人のように口笛を吹くのだろうなと。きっと、「二つの愛」(※J'ai Deux Amours)であるとか「海軍の男たち」(※Les gars de la marine)といったような曲をやかましく歌うのだ。
 私はゾアン氏が醜い妻を持ったことについて驚きはしなかった。人生において、私は「聖人或いは愚者へのもてなし」というものを常に理解していた。それは多くの事実を明らかにしてくれる。今のゾアン氏がそうであるように地獄のようなこの世で天使のように振舞う男とはその振る舞いに懸命になればなるほどに、自らの命を粗末にしたがるものだ。彼らが欲する思想の程度など私が心中で密かに推量した考えを越えることはない。

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