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ヨーロッパの列車の思い出

はじめに。先日の「昭和記念公園」の投稿にチューリップの写真を数枚追加しました。自分で見ていて物足りなかったもので。

そして、昨日の平和の祈りの投稿で、サポートもいただきました。
本当にありがとうございます。受け取ることで、豊かに循環させていけるようにしたいと思います。

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さて、ヨーロッパの旅のことをまた少し。

今公開されているwebマガジン「STAY SALTY vol.11」に寄稿させていただいたエッセイのなかで、初めてのヨーロッパの旅のことを少し書いた。
書いているうちに細かいことを思い出したりして楽しくなってきたので、その時のことも時々書いてみようかと思う。

思い出のひとつは列車で寝泊まりしたこと。
約1ヶ月の旅のなかで何度か夜行に乗っている。寝ているあいだに移動できるし、宿代も浮くから一石二鳥なのだ。

海外にはずいぶん行っていないので列車も変わったと思うが、今はコンパートメントというのはあまり無くなったのかな? 「ハリーポッター」にも出てくる6人掛けの部屋のような席。アガサ・クリスティの小説では、あの中で殺人もおこったりする。

実際、へんな人と一緒にならないよう気をつけていた。イタリアに行くようになっていた時期、イタリアでひとり旅の若い日本人男性が、同じコンパートメントで一緒になった男にもらったお菓子を食べて亡くなるという事件があった。睡眠薬強盗で、致死量の睡眠薬が入っていたらしい。

そういう物騒なこともたまにあるけれど、寝台ではないコンパートメントの中で寝たことがある。

座席を前に引っ張り出してくっつけると、2人寝られるスペースが作れる。
それを思い出して「STAY SALTY」にも書いたのだけど、なんだかうろ覚えて、完全にくっつくのだったか、それとも2人分の離れたベッドのようになるのだったか定かでなかった。

それで、妹尾河童さんの「河童が覗いたヨーロッパ」をなんとなく見返したら、ちゃんと図解が載っていたので、ちょっと模写してみたのが見出しの絵。なんだか懐かしい。

こうして横になって、コンパートメントのドアのカーテンを閉めてしまうと個室になる。ただし、鍵はかけられないので、夜中列車が駅に停まると、人が乗ってきて、座れないかと引き戸を開ける。貴重品は枕にして寝たふりをしてるんだけど、なかなか落ち着かない。
その方式で夜行に乗ったのはおそらく1回だけで、あとはちゃんとクシェッタ(簡易寝台)に乗った。

クシェッタもやはりコンパートメントなのだけど、簡易のベッドが両側に2段だったか、3段のこともあったのか??作れるようになっている。係の人がやってくれることもあれば、同室の人たちで作ったこともある。

1度だけ、男女混合だったこともあり、西洋人のおばさんと、おじさんと(この2人も他人同士)、私と友人の計4人だったことがある。狭いスペースなので、どうやっても何もされそうもないので、まあ安心して寝た。

夜行の窓からの眺めでよく覚えているのは、真夜中に南仏のニースを通った時。真っ暗な海岸沿いに立っているNICEという地名の看板が見えた。せっかく南仏なのに、真っ暗でがっかりだ。でも自分が今、あのニースを通っているんだと、感慨深い思いはした。

もう一つは、初めてのイタリア。早朝、カーテンの隙間から外を見たら、風景が朝焼けでオレンジに染まっていた。
その時のことは、この記事で去年書いている。

「河童が覗いたヨーロッパ」は、旅好きの人ならおそらく知っていますね。
初版は昭和58年。ホテルの部屋の見取り図や、列車のなか、観光地の風景や各国の車掌さんなど、細かくイラストで描かれている。驚くのは、文章も全て手描き文字なのだ。
久しぶりに手に取ったら、旅の空気を感じて、また出かけて行きたくなる。

この本で、日本人とヨーロッパ人の感覚の違いをいくつか知った。面白かったので、そのことはまた次の機会に。



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