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COTENRADIOを聞きながら畜産業界のこれからを妄想して

牛の獣医師はだいたい車に乗っている、と言っても過言ではありません。


ペットと違って動物病院に牛を連れてきてもらうこともできないので

牛の獣医師はあらゆる薬と診療道具を載せた車で

牧場を往診して回るのが基本になります。


なので、運転中の耳の友は獣医の個性が表れるわけですが

僕はインテリぶって【COTEN RADIO】という、歴史の話を超分かりやすく解説してくれるpodcastをよく聞いていて

今日も、過去の事実から言えることと、安易に言えないことのわかりやすい整理に

膝を打ったり、うなずいたりしていたわけです。



で、ふと思ったこと。

家系にしろ、企業にしろ、国にしろ

激動の中で生き残る集団というのは、有事に適切な変化ができることが大切なんですね。

時代が変わり、価値観が変わり、ルールが変わるときに支配的な立場にいると変化に抵抗するばかりで

新しいルールの習得が遅れ、次の時代の主導権を握れずに没落していくことがよくあります。

辺境にいたり、未熟だったり、弱小な立場の方が生き残りへの危機感が強く適応が早い。

大きく支配的な組織には危機感がないわけではなく、変化に時間がかかるのでしょう。

でも、小さくとも変化できないものはやはり淘汰される。

小さければ強いわけではない。



では、変化できる集団は何が違うのか。

ひとつ大きなヒントと感じたのは

「平時のシステムでははじかれるパンクな人が、有事の際に活躍できる環境があることが大切」

つまり

普段は異端者として扱われるような人も、存在は許容されていて

発言が必ずしも潰されない文化的土壌があるとでもいいましょうか

パンクな人、多数派とは異なる価値観を大切にする人を包摂(いてもいいよくらいの肯定)していることで

社会の価値観が変化する際に、拒否反応を比較的少なく変化へ向かっていけると理解しました。


小さな小回りの利きそうな組織でも、トップと異なる意見を排除する気風だと変化には対応できないので

集団サイズの問題ではなく、文化の問題なわけですね。

パンクな人はどんな場所にも一定の頻度で現れるけれど

異質を潰すのか

突然変異を必要に応じて受け入れられるのか

それが分かれ道になる。


「変わらなければいけません」と末端から中枢へ意見を上げて

その発言が歓迎されるのか、睨まれるのか

集団の「常識」や「心理的安全性」の違いとも言い替えられそうです。




畜産の話に持ち込むと

現在、独自のスタイルで持続可能な畜産の実践に挑戦している農家はいくつも事例があります。

既存の価値観ではない判断軸で

家畜福祉にこだわったり

グラスフェッドビーフへ挑戦していたり

サーキュラーエコノミーの観点から経産肥育に力を入れたり

耕作放棄利用と放牧にこだわったり

土との関係にこだわったり

教育牧場としての受け入れを重視したり

どれもパンクですよね。


これまでの資本主義的な価値観である、乳や肉の生産効率を向上させ

投資への回収を最大化する考え方も

これによって高栄養・高品質なタンパク源を安価に供給出来てきたので

必ずしも「資本主義的」「工業的」畜産を否定するものではありません。

「これまでへのリスペクト」を前提として

しかしながら、このままでは続かん!と人類も気づいたので

ポスト資本主義的な畜産を模索し始めたわけです。


畜産業界は一つの組織ではないものの

薄く広い連帯があると感じています。

ポスト資本主義に持続可能性は必須条件です。

この業界の変化に、新しいゲームルールを読み解いて

いち早く共創していく人々は、中心ではなく周辺にいる人々

異端な、パンクな人々です。

古い考え方では気づけないところに価値を感じて、没頭する人々。

畜産業界内のパンクにスポットを当てていくと

業界全体が生き残る、持続可能性への道が開けてくるのではないかという話でした。

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