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10月の読了

引き続き小説に手が伸びる期。
今月は、随分前に買ってずっと積ん読になっていた「サロメ」を読みました。
いつもは数冊紹介するのだけど、今回はちょっと長くなりそうなので丸ごとこの作品の感想文(考察文?)として書いてみました。

サロメ(原田マハ)



美術が好きで、故に原田マハさんのアート小説が大好きです。

・楽園のカンヴァス
・ジヴェルニーの食卓
・暗幕のゲルニカ
・たゆたえども沈まず
・風神雷神
・リボルバー 
は読了済。

原田マハさんが書くアート小説の何が良い、ってとにかく圧倒的な没入感。
そもそも美術に非常に精通している方なので、どの作品も史実を緻密に練り込んだ「えっこれノンフィクションじゃないの?」と言いたくなるものばかり。
個人的にはゴッホとその弟のテオ、そして日本人画商との繋がりを描いた「たゆたえども沈まず」が最たるもので、とにかくリアリティが凄い。そしてむしろこれが歴史の真実だったら良いのに、と切実に思う内容でした。

原田さんのアート小説は、美術館関係者・キュレーターを現代の主人公として美術史や画家のミステリーに挑む、という切り口から始まり、時間軸が現在と画家の生きた時代に書き分けられることが多い印象。
(私が読んだ中では「ジヴェルニーの食卓」だけ少し様相が違って、印象派の画家それぞれが生きた美しく優しい時間へタイムスリップできる激推し短編集です)

今回の「サロメ」の主人公はオーブリー・ビアズリーの研究者で(そらそうだ)、この研究者の男性がオスカー・ワイルドの研究者からのコンタクトを受けてロンドンで待ち合わせをするところから話が始まります。

オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルド。
この二人の名前が並ぶだけで無駄にどきどきそわそわしてしまうし、これからこの一冊の中に何が描かれてしまうのか緊張しながら読み進めました。

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そもそも「サロメ」とは。
1891年、オスカー・ワイルドが新約聖書の内容をもとに書いた戯曲(演劇の脚本・台本)で、原著は仏語。英訳が出版される際の挿絵をオーブリー・ビアズリーが描きました。

サロメはある王妃の娘の名前で、投獄された預言者ヨカナーンに恋をするものの受け入れてもらえなかった結果斬首、銀皿に乗ったその首に口づけをし悦に浸るというヤバい女子のお話。

美術検定のためにこの辺りを勉強し始めた当時、オスカー・ワイルドの戯曲名も「サロメ」だしビアズリーのあの画の名前も「サロメ」だし、ギュスターヴ・モローも「サロメ」を描いてるし、なんなら女性の名前らしいし、結局サロメとは?!となるくらい曖昧な認識だったのだけど、読み終わる頃には超すっきり整理出来ました。

2017年に上野の森美術館で開催された「怖い絵展」。そこにサロメの挿絵も数点来ていました。当時はバロック美術に夢中だったので、他にない異質なタッチにぞっとした記憶はあるもののそこまで注目していませんでした。(ああもったいないことをした!)
絵が持つ意味や背景を知った上で見ることで、絵画って本当、何倍も何十倍も面白いです。

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2人の研究者が出会い、サロメを巡るある謎について持ちかけられる。
それから時代は一気に遡って、大部分は1800年代後半のロンドン、オーブリー・ビアズリーの姉メイベルの視点で描かれる。

幼い頃から結核を患うオーブリーと弟想いのメイベル。
弟の画才を誰よりも信じ、気遣う心優しい姉。いつも一番近くで見守り、時には絵のモデルも務める。彼を理解し、信頼を得ているのはこの私。


だったはずなのに。
オスカー・ワイルドが2人の前に現れて、姉弟の絶対的距離に割り込んでいく。大事にしてきたオーブリーがだんだん外の世界を知って、「弟」から「男」が垣間見えるようになっていく。
メイベルの行動がどんどんエスカレートして、愛というよりも所有欲になり執着にすり替わっていくさまがめちゃ怖かった。

メイベルは激しく動揺した。オーブリーが遠くにいってしまったような錯覚。もう二度と振り向いてくれない、もう二度とこの部屋のドアを開けてはくれない、取り残されたような気持ち。
オーブリーの中で何かが変わってしまった。それはきっと……あの男のせい。             
オーブリーが行ってしまう。
オーブリーの行手で待っているのは、きっとあの男ーオスカー・ワイルド。
あの男は、オーブリーをどんどん遠くへ連れ去っていくことだろう。自分が決して追いつけないほど遠くへ。


それだけオスカー・ワイルドは人を惹き付ける何かがあったのだと文章からは伝わるし、実はオスカー・ワイルドの写真はググれば普通に出てくるので興味がある方は見てみてください。
私も読み終わって初めて顔を知ったけど、「ああああぁぁこれはいろいろ起こるの超納得〜〜〜」となりました。(笑)

気づかないところでどす黒いどろどろとしたものがぽつんぽつんと滴っていて、読み終わる頃にはいつの間にかそこら中真っ黒になってしまうような読後感。えっ、メイベルこんなんだったっけって。ああ怖かった。

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この話だけ読むとサロメの狂女具合にぞっとしますが、実は聖書に書かれた本来の話では首を欲しがったのは王の妃ヘロディア(サロメの母親)。
サロメが恋をするというくだりからはワイルドの創作なんだそうです。
ただ、ワイルドがこの戯曲を書くずっと前からサロメを題材にした絵画はいくつもあって、やはりサロメと首を一緒に描いている場面が多い。

Instagramでは写真に当たり前のようにキャプションをつけるけど昔の絵画にそんなものはないし、脚色があったり画家それぞれの解釈があったりして、サロメはどんどんイメージを変えて描かれるようになってしまったそうです。(かわいそう・・・)


また、この本の中で「サロメ」は聖書の登場人物を演じてはならないとのロンドンの法律により上演禁止とされてしまいます。
そしてそれに対してワイルドはこう行ってのけました。

我ら芸術家を鼻つまみ者として扱い、美しく奔放な「自由」に手かせ足かせをつけて、「道徳」という名の牢獄につなぐ。それがこの腐りきった国の芸術家に対する制裁だというなら、やり返すまでだ。
私は、とっくに覚悟している。罪人になることを。なぜなら、あらゆる芸術は不道徳だからだ。

実際に「サロメ」はイギリスにおいて1931年まで上演出来なかったそうです。


今でこそ認知度も人気も高い印象派はかつて「雑すぎる」と芸術界から批判の的だったこと。
マルセル・デュシャンの「泉」が芸術史を語る上で欠かせないこと。
ストリートグラフィティは違法だけど、バンクシーが描くことを世界中が心待ちにしていること。

どの時代でもその当時許されるもの、許されないものがあって、でもそれを突き通した結果今私が触れることが出来るんだなあと思うと感慨深かった。
最近でいえば、結果的に中止となった「表現の不自由展」。出典一覧を見る限り政治問題をはじめとした、確かにセンシティブだなと思うものが多くラインナップされていた。
現代はこれを結果的にタブーとしたけれど、将来これも「表現のひとつ」としてもっと広く自由に公開出来る日が来るのかなあと考えさせられました。

にしても、めっちゃ話広がった(笑)。


最後に。
絵画を勉強しているとヤバい女子はたくさん出てくる(笑)けど、先日書店に行ったらこんな本を見つけて面白そうすぎたので買いました。読むの楽しみ!



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