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雑記(4)短い雑文 ―過去の思い出や、今の気分― 最近のことなど

この数日中にあったこと。

実はお隣のご主人が亡くなった。65歳とのことで、理由は知っているが、まあ伏せておくことに。本当によく働く方で、だらだらしている僕なんかは爪の垢を煎じて飲まないといけないが、家族を支えるために一生懸命その使命は果たされたようだ。ずっと勤めていたところを定年後は夜勤の仕事をされて、ようやく老後を迎えたばかりであった。しかし、言い方が難しいが、人生は不平等だなあと思う。まさか僕より先に旅立たれるとは思ってもみなかった。唯々、もう少し自由な時間を持たせてあげてくれればなあと(庭仕事が大好きだったようだ)。僕は幸せなことにまだ生きているが、やはり健康で仕事のない自由な時間を持たないままこの世に別れを告げるのは嫌だなあ!本当はもう少し早く(正確に言うと66歳)定年(65歳以降は選べる)退職して、自分を表現してみたかったが、来年度がいよいよ最後の年(今年10月で69歳、来年70歳なので、2024年3月が本当に最後)なので、その後ちょっとでいいから元気な時間が欲しいと贅沢なことを言っているが、どうなるかなあ!?

えっ!何故早く辞めなかったかって?今、大学での僕の科目の専任教員が1名欠員の状態が続き、僕がいなくなると、科目全体の運営が行き詰まるのと、もう1人のポストの人事(審査など)をやらなければいけないので、こんなに伸びてしまったが(この間の事情は複雑で省きます)、ようやく来年4月には新しい人を1人補充し、僕の後任についても2024年4月に継続して補充できる目途がたったけど、ついに本当の定年まで勤めることになってしまった。

まあ、人生哲学というか、死生観(というほど大袈裟なものではないが)というか、僕は、宗教というのは、どうやって死を迎えるかということを説くものだと思っている。死後の世界とか、死がどういったものであるとかは、はっきり言って「死んでみないとわからない」か「死んだらわからない」のどちらかで、死後の世界についていろんなことを具体的に説く宗教ほど宗教から遠ざかっていると思っている。

35年ほど前、前に勤めていた大学のある先生(某大手宗教法人の信者であった)と飲みながら話したのは、死んだらどうなるかで、まあ細かいところを端折ると、僕が「死んでみないと分からない」と言うのに、その先生は「死んでからでは遅すぎる」で、もちろん永遠に議論は噛み合わない!

ところが、僕がその大学から今の大学に移ってから数年後に、その先生が平戸の先に磯釣りに出かけ、足を滑らして、海に落ちてお亡くなりになったとの報せがあった。

なんか、人生ってどうなっているんだろうとつい考えさせられたが、やっぱり答えはない世界なんだろうなあとしか思えない!そうなるのが答え(イスラム教の定命(qadar)のように)だと言われればそうだけど、それだと生まれたときに死ぬまでのストーリーがアラーによって書かれていて、そのインクはすでに乾いている、の世界になるので、それはそれで味気ない。

というわけで、生きていることに感謝して、不摂生な生活はなかなか改善しないけど、毎日を一生懸命(というほど大袈裟なものではないが)生きるしかないなあ、と思う今日この頃である。

続く


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