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看取りから創られるもの

介護の仕事を続けていれば、何処かで経験することになるであろう【ターミナルケア】、俗に言う看取り。
今回は看取りに関して色々書いてみようかと。

初めての看取り

自分が働く【小規模多機能型居宅介護】は、住み慣れた家・地域で暮らしていく事を目的にした介護保険サービス事業所。
自分の所は医療法人が運営してるので、医者も看護師も在住してます。
つまり看取りの体制が整ってるんですよ。なので利用されてる方の多くを看取ってきました。(途中で介護施設に入所される方もいますが…)

現代は人の死を身近に見る機会って中々無いと思います。自分も親族の葬式で遺体を見た事はありましたが、家で看取りはした事無かったんですよ。なので亡くなっていく方に関わるのは人生初体験。

初めての看取りは入社2年目の夏。100歳近い爺ちゃんでした。陽気で、優しい方でしたね。末期癌で余命数ヶ月と主治医に言われ、家だと不安だと爺ちゃんも家族も言うので施設で看取りをする事に。

利用開始から2ヶ月後、自分の夜勤中に息を引き取りました。AM5:00丁度だったのを覚えています。家族や主治医、管理者やらに連絡しながら他の利用者の対応しなきゃでバッタバタでしたね。

初めて目の前で人が亡くなるのを経験した時の感想は「よくわからない」でした。数ヶ月と短い期間だったとはいえ、一緒に過ごして来た方が亡くなったので、悲しくなったり泣いたりすると思ってたんですが、そんな事は無く。自分って冷たい人間なのかと思ったり。

けど、ふっとした時に思い出すんですよね。匂いだったり、亡くなった季節が来ると。
するとちょっと寂しくなったり「また会いたいなぁ」なんて思ったり。暫く時間が開いてから悲しくなったりするんですよね。そんな初めての看取りでした。

看取り後に

その後も看取りを何十人と経験してきました。
けども全く看取りってものには慣れない。偶に「看取りは数をこなせば慣れる」みたいな事を言う人がいますがね。
そりゃ看取り時の対応みたいな部分は、場数踏めばスムーズに出来るようになります。

けど感情の部分は慣れないし、そんな機械みたいなメンタル中々持てないんですよねぇ。毎回悲しかったり、寂しかったり。「本当に良かったのかなぁ」と不安になったり。

1ヶ月に3人くらい看取りが続いた時は、事業所全体が疲弊しまくりましたね。「もう無理」「看取りが続くなら辞める」ってスタッフも口を揃えて言ってました。まぁ誰も辞めずに働いてますが(笑)
看取りに限った話では無いんでしょうが、皆でデカい壁乗り越えると団結力が生まれるんでしょうかね。そこら辺の話はまた今度。

まぁ看取りに正解なんてないんでしょうが。
看取り後に家族の方が事業所に来て、利用時の話を皆で笑いながらして、「此処で最後まで過ごせて良かった」って言ってもらえると、救われたように感じます。
サービスが終わって「はいサヨナラ」とならず、ちょくちょく家族や関係者が来てくれるのは嬉しいですな。事業所や、近くの商店街で「久しぶり」「最近どー?」なんて立ち話したりね。ボランティアに来てくれたり、亡くなったばーちゃんの家の梅を毎年持ってきてくれたり。梅ジュース作って皆で飲んでます(笑)

1人の人生が沢山の人との関係・環境を創ったんでしょうね。

看取りって聞くと「死」の部分に注目しちゃうと思います。実際に記事とかSNSの投稿で「看取りを通して命の大切さを〜」「人生の最後に寄り添って〜」みたいなことを書いてあるのを良く見かけます。

まぁ間違っちゃ無いんですがね。死にゆく人に対して出来る事を考え、寄り添う事って大切ですからね。
けど、死の部分ばっか見てないで、その死の先・次に続くものも見て欲しいなぁなんて思ったり。
人生最後に残していくものは、決して御涙頂戴の感動だけじゃないって話でした。

まとまりの無い文章でしたね(笑)仕事の話は書きたい事が多過ぎて上手く纏められない…文章力をあげたい!

では、また逢いましょう。

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