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わかものもやもや

*まちづくりの話です*
最初に言っておきますが、私は町に若者がやってくることには賛成の立場です。

私がよく出入りしている商店街にはいろんな若者がやってきます。
単発イベントをやりにきた若者、県内から地域活性化のために来ている若者、首都圏からインターンで来る若者。
それぞれが目的を持ってやってきて、彼らが活動しているところは賑やかで活気にあふれています。

私はこれまで、そうしたことを無条件に応援してきたのですが、先日必ずしもそうではない立場の大人と話す機会があり、「果たしてこれまでの自分の立場は正しかったのだろうか?」と思うようになりました。今回はその話を書きたいと思います。

その大人を仮にAさんとしますが、彼は町内で会社経営に関わっていて、「まちづくり!若者の力!」という曖昧な標語よりは、それが実際に町や自分達にビジネスとしてどのような恩恵をもたらすかを考えている人でした。
先日学生がAさんの会社を頼ってきたこともあり、もちろん地域貢献と称してかなりの協力もしたのですが、最終的に「あれだったら次回はあまり対応したくない」という感想に至ったそうです。

その大きな理由は、ビジネスとしては期待できずそれどころかかなり日常業務への負担が大きかったことです。

まず、学生が「こういうことをしたいんです!」と言ってきたことに対し、「それは自社でも過去にやったけど、こういう理由で難しかったので、もっとこういう方向で考えた方がいいよ」とアドバイスしたのですが、「でも、私たちはこういうことがしたいんです」と言って、こちらの経験やアドバイスを受け入れずに学生自身の希望を優先してきたそうです。
若者が地方に来て地域活性化というならば、これまで地域の人がやってきたことに+αして何か新しいことをしていかないと、これまでとやっていることが何も変わりません。にもかかわらず、今回の学生は「わかりきったことを自分達でまたやってみる」ことにこだわり、新規性に結び付きませんでした。車輪の再発明というやつです。

さらに、そうした活動の応援をするために、Aさんは自分の仕事時間を割いて地域への連絡や手配をしたのですが、それに対するお礼や一言の断りなどもなかったそうです。これについては、そういった筋の通し方、いわゆる『常識』の欠如は若者あるあるなので一歩譲って良いとしても、学生を監督しているはずの大人(先生)からは一言あってもいいはずです。ですが先生からも一切の連絡もありませんでした。

そもそも、この学生の活動は毎年行われているはずなのですが、一年ごとに学生が入れ替わり、内容がリセットされていきます。「今年はこういう成果を出したので、それを活かして来年はこういう風にしてみよう」という方針や申し送りもなく、ただただ毎年送られてくる学生を相手に、仕事の時間を割いてまた最初から面倒を見ることの繰り返し…。これは本来監督である先生が配慮しなければならない役割のはずなのですが、全くそういった配慮を見せないことに、Aさんは辟易していました。

《若者が継続的に町に関わることで、町のこういう部分が豊かになる》
そういった方針や目的意識もなく、ただただ送られてくる若者が「遊びに行った先の町で自分達がやりたかったことが出来たよね、嬉しいね」で終わっている現状に対して、これまでの話を聞いていると、それもわかるような気がします。

私が「町に若者が来るといいよね」という立場になったのは、そもそも地域活動を始めて初期に出会った大人が、そういった若者・学生の受け入れによって自社の商品開発などの刺激を受け、実際に成功しているためでした。

そのため、「外から来る人を積極的に受け入れよう、若者の発想を取り入れて町をより良く変化させていこう」というのはとてもよくわかります。

ですが、上記したようなAさんの苦労している姿を見ると、その姿勢って大人にも町に来る若者にも前提として周知しておかないと、ただ町の資源が外部の人に消費されて「楽しかったな~」で終わっちゃうよね、という風に考えるようになってきました。さらに、私の場合にはそもそもの地域活動がボランティアのようなものなのでいいのですが、実際に働いている人にとっては、何の実入りもないボランティア労働を料金が発生するはずの労働時間中に強いられていることになります。それっておかしくないですか?

そしてそれは大前提として、監督している大人が強く意識していかないといけないことです。

正直言いますと、私は若者の『常識』についてはほとんど期待していません。というのは私自身が社会人になる前は相当非常識な若者だったからなのですが、だからこそ彼らを監督する大人はちゃんと導いていかないといけないし、まして自分が面倒をみている若者たちがお世話になる先の町なのだから、そういったコンセンサスをお互いの大人同士で形成しておかないと意味がありません。

というわけで、今回は町が嬉々として若者を受け入れている一方で、ただただ消費されているだけの大人もおり、その間の溝を埋めるには両者のしっかりとした展望、合意形成が必要だと思ったりしていました。

もちろんAさんも、学生が来たから短期でこのくらいの利益を出そう!とは短絡的には思ってはいないはずです。ただせめて中・長期的に町や自社にこういった利益が出ますよねという展望が欲しいだけなのですが、現状では誰もそれを提示してくれていないという不満があります。

最初に書いたように、今でも私の「若者が町に来たら嬉しい」立場は崩れていません。ただ、それにはどういう根拠と理由があって、実際にはこういう風につながっていかないといけないよね、ということは考えた方がいいと思うようになりました。手放しにただやって終わりではなく、町のみんなでこういう方向を目指していこうという意識は作っていきたいですね。

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