農家・柳渕淳一さんの想い(宮城県登米市)
ベジタブルテックの粉野菜は、「愛と信頼と調和」を信念に掲げ、農家さんとパートナーシップを組んで製造されています。
宮城県登米市の農家の柳渕淳一さんと共に、5年以上かけて粉野菜の開発を進めてきました。原材料の野菜は、定植から収穫まで農薬を使用せず、遺伝子組み換えも行っていません。野菜が生き生きと育つ土づくりをしており、有機栽培で完熟まで育て、旬の時期に収穫しています。
柳渕さんの農業は、大切な人の子供を育てるような愛情が感じられ、愛情を込めて育てられた野菜は、美味しく栄養満点です。
しかし、日本の農家を取り巻く課題は多岐にわたります。
柳渕さんも様々な課題に直面しながら、農作物への愛情と農業への情熱を燃やし続け、今日も早朝から土と水と風の中で奮闘しています。
野菜パウダーの開発を始めた経緯
宮城県登米市で長年作物の栽培をしてきた柳渕さんが、なぜ野菜パウダーの生産加工を始めたのか。そこには2つの大きな理由がありました。
自然災害ですべて廃棄することになった辛い体験
柳渕さん「一つは自然災害です。平成21年の秋、出荷を目前に控えた4ヘクタールのニンジン畑が集中豪雨に見舞われ、冠水してしまいました。ヒビ割れが入るなど、ニンジンの品質が低下。出荷基準が満たせなくなり全てを廃棄したという、辛い出来事がありました。
これをきっかけに、自然を相手にする農業のリスクを痛感しました。
また「豊作貧乏」という言葉があるように、例え収量が獲れても、価格の暴落等のリスクもあります。今後も農業法人を運営するにあたり、こうした不安定な要因をなくさなければならないと考えました。」
高齢化による農業の存続の危機
柳渕さん「もう一つは、後継者の問題です。
宮城県登米市の農業従事者の平均年齢は71才です。将来の農業や食糧生産そのものが、存続の危機を迎えようとしています。
以前は数世帯同居が当たり前で、家族で協力して農地を守り、子育てをし、代々経営を引き継いできました。しかし時代の変化とともに、一戸あたりの農業収入の減少や若者の流出が増加し、現在では老夫婦のみの核家族化や単独世帯化が進み、高齢化が加速しています。」
未来に農業を手渡すために
柳渕さん「その中で、弊社は「血縁にこだわらず、意欲のある若者たちに経営や財産を引き継いで行こう」という方針のもと、数年前から若者を積極的に採用しています。
現在では社員の平均年齢が30代前半という、地域の中では飛びぬけて若い組織になっています。これが将来に向けた弊社の戦略で、大切な財産だと思っています。」
柳渕さん「しかし、若者を採用したことで、会社としての責任も生じました。「将来に渡って農業で生計を立てていける形」を作り上げる責任です。若者たちが家族を作り、土地を購入し家を建て、子を産み育てることができるようにする。
それができて初めて、若者たちが地域に定着できると思います。
そうした「若者が将来設計できるレベルの安定した給与体系」を農業で築いていくことが、組織の努めだと思っております。
そのためには、従来の「種をまいて育て、生産物を市場などに出荷するだけの農業」から脱却し、生産物に手を加えて付加価値を上げ、安定した販売につなげる高付加価値農業へと進む必要があると考えました。
それが、野菜パウダーの開発、製造に至ることになった経緯です。」
農業の安定化と後継者定着の実現へ向けて
柳渕さん「私達農家にとって、作物を育てることは得意でも、製品を売る行為は、一番不得手な部分かもしれません。
ですので、ベジタブルテックさんとの協力で、粉野菜が世の中に認知されることにより、私達の目的も叶って行くものだと考えています。」
柳渕さん「農業を基盤とする産業が育つことで、外部からの企業誘致にないメリットが生まれます。
農作物を製品にすることで価格が安定し、市況や規格に左右されることなく原料生産農家の収益が増加し、米の価格が下がっている「稲作中心の地域経営の安定化」に貢献できます。また、地域に雇用が生まれ、多くの方々が参加できる、すそ野の広い産業構造ができると思います。
経営の安定化が図れれば、後継者の定着が実現することでしょう、弊社においても、若者たちへの経営継承が約束されるものと思います。」
農村は民族の苗代
柳渕さん「1990~2000年代に政治家、総務副大臣を務めた大野松茂氏は、「農村は民族の苗代」と例えています。かつての村機能は、集落という組織の中で、農作業や生活面で近隣や家族間で支え合って暮らしていました。
もちろん子供たちの教育もそうです。
自然豊かな環境を遊び場として、年上が年下の面倒を見たり、手作りの遊びを教えたりすることで、子供たちのグループ社会が形成されました。
そして家庭では年寄りが、集落では近隣の大人が、人生経験を伝えたり、人の道を教えたりしました。そして育った若者たちが、都会に出て組織の中で活躍するのです。
そうした社会に対する優秀な人材の供給機能が、かつての村にあったのです。その機能を、苗を育てる「苗代」に例えたのでしょう。かつて集団就職の列車で都会に出て、たくましく日本の高度経済成長を支えたのは、農村の豊かさがあったからかもしれません。」
持続性のある「ふる里」の復活を目指して
柳渕さん「最近の社会情勢を見ても、村の衰退が日本全体の衰退につながっているような気がいたします。
だからこそ、村は元気でなくてはならないと思います。村が元気で豊かだからこそ、農家は農地を耕し続けることができ、環境を守り、国民の命を支え、健康と心の豊かさを提供し続けることができるのです。
この事業の最終目的は、かつてのように、子供らの歓声が一日中響き渡る持続性のある地域社会、ふる里の復活です。
今後も皆様の蓄積された叡知と力をお借りしながら、目標に向かって進むことができれば、大変ありがたく幸せに思います。」