見出し画像

どたばた引っ越し物語 その③ 暗闇で一夜


引っ越ししたての部屋の照明に灯が点った。
と思ったのは、強烈な西日が電灯にあたって光っているように見えただけで、まったくのぬか喜びだった。

日が傾くに連れ、だんだんと暗くなりゆく小部屋。

あのね、この時代、電気がこなくて不安なのは、明るさのことだけではないのだ。

冷蔵庫に入れるものをどうしようか問題。
冷蔵庫はすぐに使えると思っていたので、冷凍していたものもそのまま持ってきた。知らない間にじわじわと冷凍庫の中を占領していた保冷剤を、景気よく処分したことが悔やまれる。

ハーゲンダッツを仕方なく食べたのは、初めてだ。辺りにスプーンは見当たらない。
ええい、ままよ。(←初めて書く言葉。もちろん口にしたこともない。)ふたですくって食べた。世界で一番ふさわしくないハーゲンダッツの食べ方だったと思う。

***

そして、トイレ、使っても平気か問題、勃発。

そろそろトイレに行きたい。しかし、使っても大丈夫なんだろうか。初日から大変な事態を引き起こすことは避けたい。しかし、トイレにも電気が使われているのは明らかだ。

恐る恐る、水を流してみる。
…勢いよく水が流れた!

良かった。トイレは使える。暗いとか冷たいとかは我慢できる。とりあえず、流れればいいのだ。

しかし、業者さんの強力なお掃除によると思われる、ケミカルな臭いがすごいのだこのトイレ。しかも水を流したら、めちゃくちゃ泡が立って、水面は泡だらけ。
この泡のすごいところは、流したトイレットペーパーをプカプカ浮かせたまま、決して流さないところだ。

再度水を流しても状況は変わらない。どういう仕組みなんだいったい。

トイレ、使っても平気か問題、解決せず。夫が来たら、最初に使うのを待つことにする。
(その後、夫により、問題なく使えることが判明。ただし、都度、激しく泡はたつ。)

***

夕方、ガス屋さんがやってきた。
元栓を開けるのに立ち会う。
「電気つけてもらえますか」
「すみません。つかないんです」
デジャブ。

スマホのライトを使って照らされた、ガスの元栓のところに、もう一つメーターがあった。
「これって電気ですか?」
「そうですね。電気通ってないですね」

ここで、ようやくブレーカーを上げ下げしたところで、電気がつくわけがないことが明らかになった。
ガス屋さんに経緯を説明する。
「もし、申し込みしてないんだったら、うちも電気やってるんですけどね」
知ってる!
なんなら、今契約したいくらい。
けれど、申し込みが済んでるんだったら、ダブって混乱して面倒なことになるのでやめた方がいいって。
なんて良識のあるガス屋さんなんだ。商売っ気を出して、電気をつけてくれても全然ウェルカムだったのに。

キッチンで、ガスの点火確認をした。
ほの暗い中でついたガスの火はやけにムーディーだった。

***

ガス屋さんが帰って、途方にくれていると、夫が旧居の片づけを終えてやってきた。
ホッとした。
こんな時にスマホの電池が減っていくのは、なかなか心細いものだ。
そう、充電がね、いつも何の気なしにやってる充電がね、できないんですよ、電気がこないとね。そして、意識をすると、電池の減りはスピードを増すのだ。


2度目の搬出も無事に終わって、ガスを閉じるのも無事に終わって、隣家の人とも挨拶できた、とのことですっきり晴れ晴れとしている夫。

なのに、こっちは全然進んでないじゃんー、ってわたしのせいで電気がつかないと信じているのだ。

わたしも一瞬、自分の申し込んだ内容が違っていたのかとも思ったけど、いやいやいやいや、違うから。わたしはちゃんと電話でオペレーターさんとも話してるのだ。わたしのせいじゃないぞ、多分。

ともかく、この後どうするべきかを家族会議。
まずは、懐中電灯を買いに外に出る。ついでに近くのお蕎麦屋さんで、引っ越し蕎麦も食べる。

蕎麦を食べるとちょっと冷静になり、唐突に、夫の妹が隣の駅に住んでいることを思い出した。冷蔵庫の中身は妹に託すことになった。

あらゆる方面から検索したものの、結局、引っ越し先で電気がつかない場合の対応は、「祝祭日は不可」なのだった。今宵は電気なしが決まった。

***

懐中電灯が頼りの、新居での夜。
まだ、「最初に開ける」と書いた段ボールの在りかさえわからない。ホテルに泊まった方がいいのかとも思ったけれど、あー、いやだ、面倒くさい。
なぜならわたしは、翌日の朝早い新幹線で、2番目の引っ越し先の熱海に行かねばならないのだ。

とりあえず、布団もあるし、ガスと水が使えるからお風呂も入れるし。と暗い部屋にいることを選んだのだけど、落とし穴があった。

お風呂のスイッチは、電気がないと入らないのだった。
お風呂、お前もか。

***

まだ、カーテンのない部屋だ。部屋の中を歩くたびに、サーチライトのように動く一筋の光は、外からはどう見えていただろう。

前の家では、カーテンがくるまで、窓に新聞を貼ったなあ…と思いながら、窓に洋服をかけた。

まあ、電気がきている今となってはなかなかオツだったとも思える。
「おうちキャンプ、楽しんでね」
妹は軽く言いのけたけど、なかなかヘビーな一夜だった。

気休め。

つづく








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?