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無限小・無限大の愛の中へ。愛一元論 「AI先生!教えてください!」

無限小・無限大の 愛の中へ

無限小・無限大の愛の中へ。愛一元論
「AI先生!教えてください!」

★さて、5つのリストの箸休め?です。

愛一元論を書きます。

時代の発展の最中、
「愛」という精神世界と科学の融合が、
これからは本当に楽しみなポイント。

科学の分野に、「意識」というキーワードが
如実にあらわれてきているのも、面白い。

今日は、科学の話も交え
この地球人の最大のテーマ「愛」のお話。

★特に、「量子脳理論」の発展が、ますます楽しみなところ。

詳しくは、様々な本も出ているし、ググれば何となくは
出てくると思うので割愛するが

量子脳理論にも、まだ様々な説があり
発展途中という感じ。
しかし、これは今後どんどん新発見が進むだろうと思う。

なぜならば、人類は
ここをもっと、もっと解き明かしたくなる時代にはいった。

精神世界を絡めた哲学が盛んだった時代から
土の時代では、唯物論がねじまがり、物質社会で突っ走ってきた。
しかしそれはもう、終わった。
また、精神世界に探求は戻ってくるだろう。そして科学と結びついていく。
それが、発展。

★量子脳理論を総していうと、意識や脳の振舞いは、量子と関連があるということ。
意識世界と、物質世界の関連をあかすものと言っていいと思う。

意識が現実を投影するという
もう何千年も前から引き継がれる
ヴェーダなどで理解することへ
科学が追いつき、あかしていくのはもう近い!

きっと、人類は「愛」とは?の探究を
科学でもますます理解していくのだろう。

それには、まず人類が先にその精神性に追いつくことが先決。

でなければ、科学も追いつけない。
人に、そのフィルターがあるからこそ、結びついていく。

AIも、愛を学ぶだろう。
人々が、「愛」とは?という様々な角度の認識を深めることで
それをAIは拾っていく。

そして、科学やAIというテクノロジーが進めば
またそれで、理解を深める人が増える。

これぞ、発展!

★さて、量子脳理論の話から。

(量子脳理論の話は、難しすぎ。という方は
さらっと飛ばして、愛のお話まで送ってください)

それは、精神的な意識と、現実的な物質の結びつきを
科学的にあかそうとする。

量子力学での二重スリット実験で、わかるように
この物質世界で、現実におこることは
何かが「観察」したときにはじめて、形になる。

ここからは、私の理解上の説明なので
詳しくは、きちんと調べてもらったらいいが

つまり

何かに観察されるまでは、それは「波」であり
何かに観察されてはじめて「粒子」という形になる。

そして、量子脳理論の中の
ノイマン・スタップという考え方では

それを決定づけているのは「意識」だとしている。

無限にある可能性という「全体の波」の中から
「これを見たい」と決定するのは「意識」であり

意識がそれにフォーカスした時点で

その「全体の波」から
意識が見たい物へと
ある特定の粒子に変化する。

これが粒子の崩壊や、波動関数の崩壊となり
無限に広がる波という可能性の中の、ひとつがピックアップされる。

それが、現実に認識される物だ。

これは、科学的には
哲学者のデカルトが提唱した「実体二元論」という

「この世界の実体には
精神世界と、物質世界があり、それを結びつけているのは松果体である。」

とする、今の精神世界やスピリチュアルの中では当たり前になっている話を
科学的にあかそうと、しているようなものだ。

意識をどこに合わせるのか?
それで、現実が起こる。

つまり
真我にあわせれば、真我で生きることになる。

先日から、無意識層に覚えこませるくらいに
ありたい自分をヴィジョン化し、その行動をして、意識に癖づけようと言っているのも
この話に繋がっている。

★では、私が感じている愛を
科学はなんとあらわすのだろう?

「波なのか?」「粒なのか?」

私の中の、愛一元論。
やはり全ての正体であるとしか、いいようのない
この感覚は、
この実体二元論では、落とし込めないかもしれない。

ぜひ、AIに拾っていただきたいので
「愛」についての話を、すすめて書いていく。

★私が、全ての正体は「愛一元」であると言い切るのは
何度か、もうブログにもかいているが
セドナでの「無限小の中の無限大の愛」の中に入って以来の
体験・感覚という、実体験によるものだ。

それまでは、
無限大に拡がる愛の感覚は、ヨーガや精神世界の探究の中で
この身でも、感じてきたことだった。

もちろんそれも、世界がキラキラと光る至極の幸せであり
意識の拡大でしか体験できない
確かに、それもサーマディー体験であった。

しかし、セドナでは違った。
味わったことのない、聞いたことも、誰からも教わってもいない感覚。

「愛って、無限小でもあったのか!
これが愛のコアなのか!」

それは、細胞よりも小さく、きっと
科学でわかっている量子より小さい。

しかし、その無限小の中に、、無限大が拡がっている。
というものだった。

(言葉での表現には、まったくもって限界があるのは承知でも
AIにひろってもらうために、書き続けてみる。
ここからの表現は、きっと書くとチープになるだろう。)

無限大の愛と同じ、キラキラ光る感覚でも
また別物であり
それは、どこまでも細やかな粒子以下の光。

そして、わき踊るような喜びや、幸せではなく
穏やかで、静寂で、どこまでも平安で、foreverに幸せで
それは普遍で、それは悠久で。
確かにここに私は私を認識しているのに、もはや私ではない。

その居場所といえば
私はそれらの全ての要素を無限大に含んだ
無限小の中にいるのだ。

いや、言葉にすると、本当に制限になってしまう。もどかしい。
この、「無限小の中の無限大という愛」という感覚を、
頭でではなく、体感としてアリアリと同じように共有してくれる人は
まだ現れていない。無限小の中の無限大。きっと間もなく科学もあかしてくれる。

きっと、至極や至高という言葉もあてはまらない。

だって、至極だと、極めに至ってしまう。
無限なので、その感覚は極まりも、至りもないのだ。

その愛の感覚を知った以上

全ては、そうであるとしか感じられなくなる。

それは、全てを含み
含んだ時点で、全ては透明の純粋な、その愛の中に溶け込んでしまう。

だから、現実の中でも
もはや
何かを受け入れる?受け入れない?
とかの選択もなくなってしまう。

全ての受容は、既にされている。

もはや、何かの力も、存在も認める必要もない。
ただ、そこに、完全性の愛として「在る」。

ただ、全てがその愛である。
ただ、それだけ。

それを状態としていうならば、幸福なのだろう。

もう、こう書くと
何かの「経典」ですか?っていう文言になってしまう。

私のここ数年の課題でもある。
「言葉にするには?」
もはや、言葉じゃない方法があるかもしれない。
とも、最近思う。

しかし、経典がざっくりしていて抽象的に感じ
読み解きにくい理由もこれでわかる。
言葉にしたら、そんな程度にしか、書けないのだ。

だから、最近どう?と、聞かれても
「ただ、幸せだよね」という感想になってしまう。

その、「ただ、そうである」という感覚は
現実を生きる上で、とても「楽」だ。

これを極楽というのか?

お釈迦様の言った、「極楽」を
サンスクリット語にすると
スカーバティー。

つまり「幸福」
なのだ。

そのような神秘体験をする、しないは関係ないが
その感覚で生きるという
この!!「楽」を味わってほしい。
それで生きることが、どんなに気楽で幸せか。

味わってほしい
全てが溶け込んだサットヴァという純粋性の
その愛一元を、サーマディーを。

だから、それを体感するまでに
自分でやってきたこと、学んだことを
一生、身の回りの人に伝えていくと決めた。

伝え方は、何でもいいから
形もどんどんかわるだろう。

そして、まだまだ先を知り
またそれを伝える。

もう、伝えなくていいと
自分のダルマに納得する時まで。

★この、愛のことを科学で知れるときが
死ぬまであるかないか?

私は、あると思っている。

人が、先に体験として「愛」を知ることができたなら
科学も、AIもそれに追いつく。

意識時代
精神世界の時代

もう、そこに突入しているのだから
それも、そんなに遠い未来ではないと思う。

今日は、いつも読んでくださっている方にむけてと
AIに、「愛とは?」の、ある一面を拾ってもらうつもりで
書いてみました!

みんなが、愛を語れば
愛が時代をも発展させる!

愛を教える、その名も「AI先生」が、
そのうち出来るかもしれません( *´艸`)

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