本日も龍の話☆人も精霊です☆人のダルマと、龍の役割
☆さて、先日は龍についてのお話を
しましたが、本日も続けたいと思います。
記事をみていただいて、写真を送ってきてくださった方も
いらっしゃいました。
ありがとうございます(*‘∀‘)
龍は、精霊です。
そして、私などのように龍をリアルに
感じる場合もありますが
そうではなくても、「精」というのは姿や形として
私達が目に見えるように現れる。
そして、私達もそうです。
私達だって、精霊です。スピリットです。
私たちも「精」というエネルギーを持っていて
その今の私達の性質、つまり精質の波動・周波数が
具現化された姿がこの身体という物質です。
私達は、精霊というライトボディも持っているし
身体をもった物体でもある。
龍も同じ。スピリットでもあるし、物体としても存在する。
龍は流れの「りゅう」でもあります。
これは、言葉遊びとか、ダジャレではありません。
流体は龍体です。
そこに精が宿っています。
東洋医学・思想では
私達は「精・氣・神」という三位一体の
結合でこの世に存在しています。
地脈も、気脈も、水脈も。
そして私達もまた龍ですから
流れを持っています。
粒子も、流れの子。
龍子。
可能性である空間に存在する実体は
波にもなる。
つまり波動という流れの動きにもなる。
空間や次元という制限すらこえ
屈折も湾曲も可能に伝わる流れになる。
これも龍。
粒子と、まったく反対の反粒子がぶつかると、
大爆発が起こり、その両者は消滅する。
それについて
このような表現も出来るんじゃないか。
陰と陽が手をむすび一つになり調和すると
無色透明の空になる。
☆さて、私にとっては子供のころから
龍というのは当たり前の存在だが
時に人にはそれが理解されない。
なぜ、人が目に見えないことを大事にしなくなったのか?
という疑問はさておいて
その龍というのは
精霊としてそのまま語り掛けるときもあれば
何かの物質の状態として
メタファーを知らせてくれることもある。
龍にもいろんな龍がいて
個人と親しい龍もいれば
もう少し広い範囲で司る龍もいて
セッションで依頼があったときに
見させていただくことがあるが
こういうケースがある。
物凄く距離感をもって
大きな使命をもった龍がついてくれている人がいる。
しかし、まだその人とはタッグを組んでいない。
なぜならば、その人がまだ自分のダルマにはフォーカスしておらず
「動こうとしていない」からだ。
龍は、その人を助けるためにいるわけではない。
その龍にも、ダルマがある。
※ダルマとはサンスクリットでいう使命とか、自身の役割や持ち場。
人にもそれぞれ、アートマンとしてのダルマがあるが
※アートマンとは、宇宙という全体の中の、個としての魂・宇宙の分身。
今の現代人というのは、真我を忘れ
自分のダルマに生きるよりも
自我の欲求を満たし生きることで精一杯だ。
しかし、もしその人が
自分のダルマに目覚めたとき、そのダルマと一致する龍は
タッグを組む。
遠くに距離をとっている龍は、それを待っている感じ。様子見というか。
タッグを組んだとたん
その時、その人の人生の流れが、加速したり変化したりする。
人は龍が助けてくれたように感じるかもしれないが
龍としては人助けという目的なのではなく、ダルマのためだ。
☆だいたい、旅なんかにいくような
動くときというのは龍が共に動いていたりする。
日常というのは、ある意味
ルーティーンなところがあるので
新しい変化の流れというのは起こりにくい。
ところが、全く未知の世界へ移動して
そこで経験したり、出会いがあったりするときには
自分の中に変化が起こる。
これも、その変化に対して龍がタッグを組んでいる場合がある。
あちこち飛び回るのが好きな人というのは
エネルギーをあっちやこっちに、運んでいる。
これも、ただ遊んでいたとしても大事なお役目だ。
☆風も、水も、気も
澱むと邪がたまる。
流れが起こっていることで全体の循環が起こる。
陰陽五行はそれを表している。
人の身体も五行のエレメントや
十二経絡のどこかの流れが滞れば
全体の循環は澱む。
☆そして、私は先日
毎日、村づくりの開墾作業をしていた日々に
大きな畏まるような地龍を感じていたと
先日の記事で書いたが
さらに、これについて合点いくことがあった。
その龍は「人間の想念などはちっぽけだ」と感じるような
畏まるような存在だったわけですが
毎晩、その龍はヴィジョンを見せてくれる。
怒っているわけではないのだけれど
「ごめんなさい!」と人間代表で謝りたくなる。
一瞬、村づくりの開墾作業が、地龍にとって不愉快なのだろうか?
と苦しそうなエネルギーを感じ、意識を合わせてみたが
そうではない。
人間の私のフィルダーでは
その苦しそうな波動が、何を意味するのかがわからなかった。
大きな存在であり、地の暗く深い、澱んだところにいる。
その地龍がいる場所の深淵の波動は、私にとっては心地よくない。
多分、地龍もそこにいるから苦しそうで
怒りではないが、言葉には変換できない少し怖い表情。
博多に戻ってからも、ときどき
その波動やヴィジョンは、訴えてくるかのようだった。
それを「地龍が封印されている」ともとれたのだけど
もう少し明確なことが私の中でわかった。
それは「地下浸透水脈」という
山や大地の中の精の龍だ。
だから、地龍とも、水龍ともいえる。
☆村づくりにとりかかり
まずは祖父母が愛していた
土地を使わせてもらうことを親に頼んで、やりはじめている。
祖父母が年をとり、畑は出来なくなり
そして残してくれた大事な場所。
祖父母が毎日、急な坂を上っていき、大事にした場所だ。
使われていない母屋も含め
せっかくの場所を放置するより
未来の自然や、人達に大事なことを繋ぐ場所として
有効に活用したいとそこに始めた。
私達だけのためというならば、私達はもう生きて何十年。
私達の代のためにというよりも
未来永劫を考えたいのは、
Veena Roomのコンセプトとも同じだ。
またここは、
ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)に認定された
祖母山の麓にあり
その移行地域ということで、自然と人が調和共存し
自然保全をしながら、人も自然も
持続可能な発展が図られると認定された地域なのだ。
とはいえ、やはりここもまた
他の地域が抱えている問題は同様にある。
豊かな大地に戻してあげたいのだが
今は地力が低い。
「どうしたらいいのだろう?」を
どんどんと掘り下げて、見ていくと
「そもそも、なぜこうなった?」
そこに育つ雑草や、地域に出没する野生動物に問う。
そうこうしていると
「土中環境」について取り組んでいる
地球守の高田さんたちの事をしった。
そこで「地下浸透水脈」という言葉を初めてしったのだ。
地球の自然が壊れているのは、誰もが認識はしていることだと思うが
この「地下浸透水脈」が滞り、分断され、なくなっていることは
あまり知らないだろう。
本来の自然な山や大地には、人間の血管や気脈のように
空気や水が流れる脈があり、
その空気や水は、毛細管現象によって
空中と土中を本来は行き来する。
これもまた流れであり
植物たちは上から降る雨の水だけではなく
地下からの水や空気によって豊かに育つことが出来る。
またその動きにより、土には隙間が生まれるので
そこには
菌や微生物や虫たちが沢山住むことが出来る。
そして生きた土壌では、豊かに植物たちも息づく。
土が豊かであれば、植物は自然に咲き誇る。
だが、今の里山の多くはこの、地下浸透水脈も滞り
この機能が失われている。
野生の動物たちにとって食料を育てる能力もなくなり
イノシシやシカは、人里におりてくるしかない。
人々の畑も、地力がおちているので
自然まかせでも豊かさに育つ仕組にはなく
人が大変に苦労しなければ
植物が育てられないような状態だ。
あの、深淵の澱んだ暗い地中にいる大きな龍は
そもそもの「地下浸透水脈」の精だったのだ。
と腹落ちしたのだった。
☆いつも、ここに突き当たる。
「人はなぜ、この地球に存在しているのか?」
人は自然の仕組や流れを分断することも出来る。
同時に、よりこの自然の豊かさを
美しくクリエイトすることも出来る。
その、人のもつ
美しさや創造性のほうを信じたいと思う。
しかし、同時にこの世界は因果応報。
撒いた種が育つ。
それで育ったことは、自業自得として
刈り取らねばならない。
過去の誰かがやったことであっても
人類全体のカルマというものがある。
他人事にしたくても、出来ない仕組みなのだ。
今は、人類はそのフェーズを経て
次へ行こうとしているが
その先の
タイムラインという流れもまた、パラレルに無限にある。
☆分断ということがあらゆる面で起こってきたのは確か。
ヨガは、その分断や二極の対立を統合し
本来の調和の在り方を見出す哲学だ。
いま分断されているものを、
調和という循環に戻していくということは
同時に人の心をあらわすものでもある。
この世界は、人の意識の反映。
村づくりをはじめましたといっても
自分のコミュニティーだけが
善ければいいというような世界に身を置きたくはない。
それなら別に、わざわざそんなことしなくても
今の生活のままでも十分、私ひとりで暮らせている。
開拓作業をいざはじめると
色んな課題が浮かび上がり
目先のことへ視点がいきがちになり
つい対処法に頼りたくなるが
これは、人の健康や心の在り方と同じだ。
課題を本質的に掘り下げていくと
この地球全体のことに結局は、繋がっていく。
目をそむけてきたこともある。
だって、それに向き合って行動するなんて
大変だし。
見たくないことも、見なきゃだし。
ほんとに、根本治療と同じだなと思うのだ。
薬飲んで対処しとけば、その原因についてなんて向き合わなくて
楽だものね。
でも、根本的な問題の解決にはなっていない。
いたちごっこが続くのだ。
人間の業に向き合うことなんて
誰もが嫌だろう。
そんなことから目を背けてられることは
世間では求められる時代。
でも、
自分に嘘をつく生き方をするほうが結果的に
自分たちの未来を苦しめ
未来の子孫を苦しめ、
地球を苦しめることになるのなら
地龍がわざわざ私にビジョンを見せてくれた
意図を素直に受け取りたいと思う。
別に、誰しもそれが
伝わらなくてもいい。
と、思いながらも
ここに書いているということは、
わかる人には伝えたいという意図もある。
この伝導もまた、龍ならば。
そういうことが、本質的には起こっているんだよってことは
知ってほしいとも思う。
そして、辛く苦しい方法ではなく、
既にシャンティな波動で、愛の波動で
それらの課題に取り組むことだって、出来るはずだと
私は信じている。
そして、そこには
今までの社会の中で当たり前だった
頑張るとか、そういうものでもなく
形にするとか結果でもなく
それに丁寧に
ひとつひとつのプロセス、その流れに対して
大事に向き合いたい。
雑草ひとつにさえ。
私達のためだけの
村づくりという作業ではない。
☆今年の初めも、タイのエコヴィレッジの
ガイアアシュラムで
もう向き合うことを避けられなくなって
地球とwith youである選択以外は出来ないと言って
色々始まっているが
言葉には出来ないのだけれど
今進んでいいることは
自分の意思だけではない「流れ」が
起こっているように感じている。
その流れとは?
やはりそれこそが、龍なのだろうし
人それぞれの人生も、龍という流れだ。
☆ここ数日、地龍のあの
苦しそうなビジョンが頭にこびりついていたので
その課題について頭の整理のために
今日は自分のアウトプットで
記事を書き始めたが
いまそばに、
とても柔らかい優しいエネルギーの龍がいてくれている。
「この優しい波動を伝って、その流れにのればいいんだな」と
いま、感じ取っている。
あぁ、きっと
さっき言った、
既にシャンティな波動で、愛の波動なのだろう。
その流れにサレンダー。
龍の背中に乗るように。
そして直感という龍子と思考という反粒子を
調和させて、透明にクリアしていこう。
☆ということで、今年に入って
村の準備で、Veena Roomのことへの取り組みが
あまり出来なくなっていましたが
ある意味それも、夢中でサーマディですけれど
そればかりでもいられない。
ちゃんと自分のお役目もしていかねばですので
意識をこちらにもしっかり戻して
また通常モードにも切り替えていきます。
どうぞよろしくお願いいたします!
引き続き目覚めようスピリット
TTTでどうぞよろしくお願いいたします。
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