これが最後かもしれないと思って
いつか大きな地震が来る。
幼い頃から、ノストラダムスの予言のように聞かされて育った。
そのいつかが、今日や明日かもしれない。
そう思うと、身がきゅっと引き締まる。
備えるといっても、職場によっては家まで戻れないかもしれない。
家には家用の、車には車用の、最低限の備えを用意したら、あとはもう運を天に任せるしかできることはない。
ただ、大切な人に挨拶くらいはしておきたかったなと後悔することだけは避けたいと思った。
木曜日の朝、寝ている恋人を起こすのは悪いと思って顔もろくに見ず、家を出てしまったし、母からの着信は無視したままだった。
もし昨日の地震が大震災と呼ばれるようなもので、もう二度と会えなくなるかもしれなかった、と思うと血の気がひく。
そんな後悔の仕方はしたくない。
ちょうど今日は8月9日。
ことは違えど、家族と最後の言葉を交わさずに今生の別れになった長崎の人たちを思うと、他人事ではない。
備えるとともに、会える時に会う、大事なことは伝えられるうちに伝える。
その大事さを思い知った2日間だった。
来るかこないかは分からない。
けれど、どんな未来になっても後悔しないよう、大切な人には必ず声をかけながら過ごそうと決意した。
これが最後かもしれない、という感覚は忘れてはいけない。
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