仕事とプライベートと私
昨年度から本格的に始めた仕事が実に面白い。
なんというか、自分たちで一から作り出したものを、少しずつ育てていく感覚に近い。おかげで仕事というものの楽しさを味わうこともできているし、今の自分に何ができるだろうと自問自答していた日々に、一つの答えを出せたような気もしている。
ずっと右肩上がりになるわけではないこともわかっている。
それでも、新しいことが始まる時はワクワクするし、準備にも力が入る。
多少休みなんてなくてもへっちゃらだ。
もちろん疲れもするけれど、ライブに行ったあとの疲れのようなそういう心地よい疲労感。これは余談だが、大学生の頃によく通った小さなライブハウス帰りの耳鳴りと、ふわふわした浮遊感が好きだった。
こう書くととことん仕事人間のようだが、同じくらい人と会って遊ぶことも好きなので、意外とバランスは取れている。
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分かり合えない人からのチクチクさすような攻撃にやられてしまっていたけれど、何日か経ってみて、自分の中で随分と整理されてきた。
私は正論だけでスパッと割り切れるタイプの人間ではない。
だからこそこの仕事が続けられているし、仕事に関係する人たちとの素敵な繋がりを持つことだってできた。そうじゃない人からすると、バカみたいに思えるかもしれないが、よくも悪くもこれが私のスタイルなのだ。
自分を守る術は必要だと思う。
でも、自分自身の全てを変える必要はないと思った。
それは私であってもはや私ではない。
かねこみすゞの有名な詩を思い出す。
私は小鳥にも鈴にもなれない。
でも小鳥も鈴も私にはなれない。
あの詩は「みんなちがってみんないい」で終わる。
今はそこまで綺麗な気持ちにはなれていない。
相手と自分の違いを認めることはできたとしても、劣等感を抱いているのもまた事実だ。そんなに簡単に「みんないい」とは思えない。
でも、今はとりあえず私は私なんだからそれはもう仕方ないか、くらいの気持ちになっている。
ないものをねだり始めたらキリがない。
持っているものの価値を忘れて、あれもこれもないと嘆くことになるだろう。そんなことしなくても、もう私は十分すぎるくらい持っているというのに。
まずは手に持っているものを大切にするところからじゃないだろうか。
その先のことは今はまだ蓋をしておこうと思う。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。