春に振り落とされないように
夜のお供の飲み物に、ココアとジントニックで迷いに迷って、ジントニックを選んだ。
その二択ってどうなの?と自分で思わなくもないが、日曜の夜にお酒を飲む背徳感は私を幸せな気持ちにすることをよく知っている。だからこれは最適解。
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この週末で思い出の品をいくつか捨てた。
もう何年も経っていて、思い出したところで痛くも痒くもないようなものだった。それでも今までは迷いがあって、物に罪はないもんな、って捨てずに保留していたのだ。
でも、今回は「あ、これはもういいや」と思った。
迷うまもなかったと思う。
捨てて広がったスペース分、私の気持ちまで余裕ができたような気がした。これは断捨離の醍醐味かもしれない。
記憶は消えないけど、トリガーなら消せる。
思い出す頻度が減れば減るほど、色褪せて思い出せなくなっていく。
それは少し寂しく感じるけれど、健やかに生きていくために必要なことなのだと思う。感傷に浸る夜は、そんなに多くなくていい。
思い出す度にチクリと痛むような、居場所にならない記憶は少しずつ隅に追いやって、いつか本当に思い出せなくなってしまう日が訪れるのを待っている。
忘れようと蓋をするのではなく、自然と風化するのを待つのだ。客観的な事実は消えなくとも、そこに生じた主観的な感情が薄れてしまえば、それはもう私の思い出ではない。
そうやって少しずつ、ここまで引きずってきたものを手放してきた。おかげで前よりずっと、身軽になれたと思う。この身軽さは、今の私の強みだ。
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春は望もうが望みまいが、勝手に変化をつれてくる。
お世話になった人が何人か異動してしまった。名残惜しんでいるまもなく、はじめましての人と仕事をすることになった。感情が追いつかない分、淡々と目の前のことに集中しているとあっという間に時間が過ぎる。
なんにせよ、春はめまぐるしい。
振り落とされないためにも、身軽さが必要だ。
まだまだ持ちすぎている感は否めないので、今後もせっせと手放していきたい。
余計なものは冬と共に置いていって、新しいものを取り入れていけたらいいなと思う。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。