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週末の夜は映画をお供に『ムーンライト・シャドウ』

週末の夜は早めに家事を済ませてソファに腰掛ける。
サブスクの海からみたい映画かドラマを探り当てるこの時間が好きだ。
部屋の明かりを暗く,さながら映画館のようにしてみるのがお気に入り。
今回選んだのはこれ。

吉本ばなな「キッチン」の中にある,もう一つの物語。
「ムーンライト・シャドウ」。
眠りに落ちるか落ちないかのはざまで観たのがとても心地よかった。

♦︎

こういう映画って感覚的に観るのが大事なんだと思う。
考察したり,白黒はっきりさせようとすると途端に色を失うというか,味気なく思えてしまうように感じる。わからないものをそのままにして,ふんわりした頭で感じていく,というのが私にはちょうどよかった。

失ったものをどう受け止めて生きていくか。
文字にすると単純だけど,現実にはとても難しい問題だ。
これは必ずしも「死」というわかりやすい喪失だけでなく,もっと広い意味での喪失も含まれていると思う。

自分の一部のように感じていたものを失ったとき,冷静でいられる人なんてきっといない。少なくとも私は,こんな気持ちになるくらいなら,今この瞬間に世界の終わりが訪れたほうがよっぽどましだと思うような日々だった。

それでも,どんなに深い傷でもいつかはかさぶたになるし,その下で新しい皮膚は再生されている。痛みだって,日毎に薄れていくから次第に思い出せなくなっていく。
その事実が辛い日もあるけれど,だからこそどうにか生きていける。
どんな形であれ,折り合いをつけながら生きていればいつか大丈夫になる日がくる。

この痛みにもいつか終わりが来るのだとわかっているから,どこか安心してみることができたのかもしれない。
痛みを知る前に見ていたら,きっとこの先のことが不安になっていた。
だから,今でよかったなと思う。

やっぱりこういうのもタイミングというか,縁のようなものがあるんだろうなぁとしみじみ。
せっかくなので原作も読み返してみようと思う。

もし本当に月影現象があったとしたら。
会いたい人,私にはいるだろうか。



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