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3行でも許されたくて

書きたいけど書く時間がどうにもとれない休日の夜。
本当に3行だけの日記を書くことにした。

3行といいながら、3行で終わるなんて悪いことをしているみたいでなかなか踏み出せなかったのだけど、えいっと一度投稿してみたらすごくホッとした。

できなかったことじゃなくて、できたことを覚えていたいな、と思う。
かけなかった、できなかったと悔やむのは簡単だ。
できないところはできたところ以外全部なのだから、いくらだって自分に厳しくできる。

でも、そんな風に自分を追い込んでもひとつもいいことなんてないし、いつか息切れして走るどころか歩けなくなってしまうかもしれない。
だから私はどんな形でもいいから、続けられたという「できた」事実を積み重ねていくことにした。

noteを始めたての頃、せっかく書いてもこんなクオリティーで出していいのだろうか、と公開ボタンを押すのに何度も躊躇した。
いきなり質の高いものを出すなんて当然無理で、しかもそれを毎回出すのはもっと難しいことだ。何本かに1本あればいいほうだと思う。プロ野球選手でさえ、3割打てたらすごいと言われる世界なのだから、考えてみれば全然おかしなことではない。

それなのに、どんどん自分へのハードルが上がってしまっていた。
少しずつハードルを下げて、緩めながら今のスタイルが出来上がっていったなと感じている。私はそういう自分を許されたかったのかもしれない。

もし、これを読んだ人が同じように許された気持ちになってくれたのであれば嬉しい。noteくらいはずっと、優しい世界であってほしいのだ。

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