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老いていく家族たち

週明けから色々起きた。
早めに寝ておいたのがせめてもの救いで、毎週日曜日の夜は早めに寝ようと決意。やはり睡眠は大事だ。その次が食事。

祖母がここ数日やけに荒れている。
老いては子に従えどころか、老いても子を従えていた祖母だからこそ、いざ自分よりも年下の言うことを聞いたり頼ったりすることに抵抗があるのだろう。特に、この世の何よりも可愛がっていた伯父と離れ離れになることは耐え難いはずだ。

気持ちを想像すると無理もないが、仕事中も含め昼夜問わず電話がかかってくると、こちらも気が滅入る。

電話で話しているときは、辻褄も合っているし理屈も理解しているように感じるのに、数時間すると忘れてしまうか都合の良いように記憶が書き換えられている。これが老いるということなのか、と身を持って実感している。

祖母にとって伯父は人生をかけて守ってきた大事な存在だ。
先天性の難病を抱えて生まれてきた伯父は、当時の主治医から5歳までしかもたないと言われていたらしい。それが祖母の懸命な看護と徹底した生活管理によって、70年近く寿命を伸ばした。祖母にとって今の目標は伯父を看取るまで生きていること。伯父もまた同じだ。

この二人の間にある特別な絆に、次男である父は入ることはおろか触れることすらできなかった。父はいつも陰の存在であり、兄である伯父を守ることを使命として育てられた。物心ついたときには、兄を守り力仕事ばかりさせられていたらしい。そりゃあ父も逃げ出したくなるよな、と思う。

そしていつしかその役割は、私に引き継がれていたらしい。
引き継いだというか、押し付けられていたというか。
父の心中は察するが、私だって大変不本意である。

先日祖母の部屋を片付けていたら、古い日記が出てきた。中に私の将来を案じる内容が書かれていた。『協調性が足りないように思えるが、大人になったら働いて両親を養わなければならないのに大丈夫だろうか』。それを見た瞬間に、あぁ私もまた呪いの一部として生まれてきたのだと悟った。

両親だけでなく、祖母や伯父も含め4人の大人が私の肩に乗っている。
これが少子高齢化の先にある現実なのだろう。
今後、もっと大勢の老人が1人の若者の肩に乗ることを考えるとゾッとする。せめて自分の老後くらいは自力で賄えるよう、今のうちから準備しておこうと思っている。どうしても自分でできなくなることが増えるのは仕方ないが、蓄えがないことほど心細いことはないと身を持って知っているから。




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小春ゆら
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