土台が作れるようになった日
新しいPCを手にしてからというもの、私のnoteはほぼPCからの更新になっている。スマホでちまちま、友人にメールを打つかのごとく書く方法も結構気に入ってたんだけど、それはそれとして。
大きな画面で全体を見ていると、頭が整理される感じがしてすっきりする。その日の気分に応じて書きわけてみてもいいなぁ、なんて、そんな風に思えるくらいに今の私は柔らかい。
♦︎
わからないことがわからない。
そんな日々を何年も過ごしていた。
外側を整えるのだけがうまくなって、わからないことから向き合おうとしてこなかった。私はすぐに自分のせいにして、本当の問題から逃げてしまう。
才能がある、とかない、とか、本当はそんな話をしていたはずじゃないのに、話をすり替えて落とし所を作った気になっていた。
自分のせいにするって、ある意味人のせいにするよりたちが悪い、と思う。
それ以上何もいえない。自分で身動きがとれなくしてしまっていたのだ。
私に才能がないから、って言ってしまえば、そこでもう行き止まりなのだから。そりゃあそうだろうけど、で、どうするの?ってあのときの私が諦めずにしがみついてくれたからこそ、今があると思う。
♦︎
自分でもわかるくらい、ちゃんと前に進めたと思った。
まだまだ全然手をいれるべきところは山のようにあるけれど、それは磨くという次の工程で、一番はじめにある『土台』を作ることができた。
私はいつのまにか、できたということを無視して磨き方ばかり考えていたので、土台ができたことを褒めてもらえてびっくりした。
そういえば私、土台の作り方が分からなくて悔しくて泣いてたなって、そこではじめて思い出したのだ。今、土台が作れたことを無視して、当たり前にしてしまったら、あの時の私が浮かばれない。
そう思って、自分で自分のことをしっかり褒めて、わかりやすく喜んでみた。今もじわじわと嬉しい気持ちが広がっている。
はりぼてじゃない、本物を作れるようになりたい。
それだけの思いでここまでやってきてよかった。
多分、こんなことをしなくたって、生きていく道は他にも沢山ある。
それでもどうしても、これだけはどんなに時間がかかったとしても、やり遂げたい。そのために、人生設計が少々狂うことも厭わない、は言い過ぎかもしれないが、それくらいの気持ちだ。
noteで書いたことは有言実行できるジンクスがある。
だらかこの目標もきっと達成できるはず。
そう信じて、このまま土台作りを続けていきたい。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。