見出し画像

終わりがないからこそ

今日は久しぶりに「目標」のお話を。

今は文章を書く上での基礎固めをしている段階。管楽器で言うならアンブシュアを見てもらっているような。
…といってこの例えで何人の人が頷いてくれるのか分からないけれど。

世の中には様々なタイプの文章があって,私は普段結論が最後に来る日本語らしい日本語の文章を好んで書いている。こんな風に日記やエッセイの類であればそれで何の問題もないが,論文のような文章となると話は別だ。言いたいことを端的に過不足なく書ききる。それだけれでも思っている以上に難しい。使う言葉が素朴でもよくないし,冗長でもよくない。たった一行の文章を書くにもああだこうだと考えて書いては消しを繰り返している。

それにこれは創作や表現ではつきものだが,物理的な終わりがない限り永遠に手直しができてしまうという問題もある。締め切りがはっきりと決まっていればそこで終わらせることができるけど,今は終わりがない状態でやっているのでどこまでもこだわれてしまう。だから,今の内に自分の中にある程度の型が身につくくらい何度も書くということをやっておこうと思っている。今ここで覚えたものは,今後もずっと活かせると思うし。そういう目線で人の文献を読んで勉強するのもすごく面白い。

私は元々全体から部分に目を向けるのがあまり得意ではないので,ついつい全体を整えるほうに目を向けがちだが,細かい部分に目を向けてみると奥が深すぎてめまいがする。網目を細かくすることで,単語一つ,助詞の使い方などいくらでも気になるポイントが出てくるので本当に際限がない。でもそれも楽しいと思えるようになってきた。

一つずつ体で覚えていきながら,点と点がつながる感覚を味わえるのも今のやり方ならではだと思う。誰かに言われただけでは,きっとここまで実感が伴わない。試行錯誤して,当たり前の結論にたどり着くその過程が何よりの成果だなと思っている。コスパはすごく悪いかもしれないけど,それでもいい。

ちょっとずつ前進しながら,たまに同じところをぐるぐるしながら続けていきたい。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。