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同じ穴のむじな(1)新生活

おれが、大家(おおや)の「北川しの」という老夫人を尋ねたのは、不動産屋の紹介を受けたからだ。
北川さん所有のアパートにおれは今月から住まうことになったのだった。

「あんたが、えっと湯本(ゆもと)はんと読んだらええのかな。下のお名前は…宏明(ひろあき)さんですかな」
「はい、そうです」
しのさんは、独り言のようにぼそぼそを話しながら、不動産屋が持たせてくれた契約書を広げている。
木の塀と、見越しの松がある北川さん宅は、この辺では古いたたずまいだった。
玄関のかまちに腰かけていると、外の喧騒からは隔絶されて、一寸(ちょっと)山間にでもいるような雰囲気だった。

大阪市旭区千林(せんばやし)という、かつての戦災にも会わなかったという街並みに、これから暮らすのである。
おれは、この地の淀川べりに建つ工科大学に入学し、故郷の舞鶴からは到底通えないので、親に無理を言って下宿先を探したのだった。
大学生協があっせんしている仲介業者の不動産屋に飛び込んで、やっとのことで大学から1キロも遠い「玉藻荘(たまもそう)」という古いアパートを紹介されたのだった。

「敷金は三か月分で三万円でよろしわ。学生さんやしねぇ」
「はぁ、どうも助かります。明日、持ってまいります」
「しっかり勉強して、がんばんなはれや」
「礼金などは…」
「学生さんからは取りまへん」
ときっぱり。
おれは、あらためて頭(こうべ)を垂れた。
「ありがとうございます」
「まぁ、汚いアパートやけど、ほかの住人もええ人ばっかりやし、仲ようやってくださいや」
しのさんは、六十代後半ってとこだろうか?柔和な笑顔で送り出してくれた。
おれは、見越しの松をくぐって、屋敷を辞した。
とたんに市バスの排気ガスと、大阪の乱暴な交通社会に放り出された感があった。

新居になる「玉藻荘」に寄ると、しのさんから預かった鍵をポケットから出し、玄関を入って右の奥から二番目の部屋に向かった。
「スリッパを買ってこなあかんな」と、靴下のまま廊下を歩きながら考えた。
古いアパートはどこでもそうなんだろうが、玄関で靴を脱いで部屋に上がる「銭湯」のようなタイプのアパートだった。
暗い廊下に蛍光灯がぼんやり点いていて、廊下を挟んで向かい合わせに6部屋がある。
どこも四畳半と一畳分の台所がついていて、玄関脇にあるトイレは共用だった。
裏には京阪電車が通っていて、電車が走るとかなり振動が伝わり蛍光灯が揺れた。
アパートは、滝井駅と千林駅の間に位置し、屋根瓦は鉄道の錆びで茶色く変色していた。
それでも初めての独り暮らしで、おれは浮足立っていた。
春から始まる新学期で、そのうち教科書で部屋はいっぱいになるのだろう。
工学部「応用化学科」ともなると、書籍をとてつもなく多く買わされる。
おれには年の離れた妹、康子がひとりいるだけで、ほとんど一人っ子のように育ったため、こうやって私立大学に行かせてもらえた。
康子が大学に行きたいと言ったら、その時は、おれが助けてやらねばなるまいとも覚悟していた。

故郷の舞鶴にいる幼馴染などは、高校を卒業して、家の漁業を手伝ったり、漁協の事務員になっていったりして早く大人になっていったが…

ドアを開くと、かび臭い匂いがした。
実家の押し入れのような匂いで、懐かしい気持ちがした。
この部屋は一年くらい、空き部屋になっていて、前に住んでいた人も学生だったそうだ。
隣の一番奥の部屋には「柏木」と表札が上がっていた。
もう一方の隣部屋には「植田 真」という表札が上がっている。
向かいの奥には「岡本陽子・玉江」と二人の女性名が丸い文字で書かれた札がぶら下がっている。
真向いには「服部明夫」、その隣には「山村富士夫」とあった。
いちおう、住人を覚えておかねばならないと思い、おれは帳面に書いておいた。
あとであいさつをしておかねばならない。
母親からも、それを言われて故郷を後にしたのだった。

大学の最初の一か月は、慣れない生活で、めまぐるしかった。
帰れば、寝てしまうというような毎日だった。
部活動の勧誘にしつこくされたりしたが、おれは断ってきた。
ただ、天文部には興味があって、話を聞きに行った。
小西由紀という新入生も誘われていて、狭い部室に案内された。
中には、反射望遠鏡が二台、屈折式望遠鏡が三台窓際に並んでいる。
壁には、月面写真や星雲の写真の引き伸ばされたものが貼ってあった。
「小西さんの学科は?おれは応用化学なんやけど」
「建築」
「へぇ」
そんなやりとりがあったと思う。
工科の単科大学なんて女子学生はめずらしい。
ただ、今年入学した建築学科には女子も十数名いるそうだ。
天文部の先輩たちは五人いたが、三回生が一人、このひとが部長さんで、あとは二回生だそうだ。
四回生は就職活動と卒業研究で部活動どころではないらしい。
「ぼくが、部長の門倉勉(かどくらつとむ)です。機械科の三回です。お前らも自己紹介しろ」
と、二回生たちに促す。
「おれは、電子工学科の西です」
「ぼくは、応用化学科の本田です」
「ぼくも、応用化学科の山口です」
「ぼくは、経営工学科の林です」
おれたちも、それぞれにお辞儀をしながら、つづけて自己紹介した。
「いやぁ、女性の部員ができたら、我が部では初めてや。小西さん、ぜひ入ってほしいな」
林さんが肥えた大きな体を揺らして言った。
「私、星が大好きなんです」
「いいよぉ、これから夏の夜空は」と西さんが相好を崩して言う。
「湯本君は、応用化学の先輩が二人もいるし、試験の資料なんかももらえるで」
「そ、そうですか?助かります」
おれは、なんと答えていいのか、困ってそんな返事をした。
「ま、堅くならずに、うちは、アットホームが売りだから」と門倉部長がメガネを指で押し上げながらアルバムのようなものを出してきた。
「こんな活動をしてるんや…これは去年の合宿の写真」

とうとう、おれと小西さんは、天文部に籍を置くことに決めた。
なにより、ゆるい部活の雰囲気が決め手だった。
ボーイッシュな小西さんも、「女の子」として扱われるより、そのほうがいいなんて言っていた。
なかなか好感が持てる女性だった。
幼馴染の故郷の山本照枝(てるえ)や、田中早苗(さなえ)とは違った垢ぬけたところがあった。
「あたしは、天王寺(てんのうじ)の生まれなんよ」
「動物園の?」
「そう、ほん近所よ」
大学からの帰り道に、由紀とそんな話をした。
「湯本君は、遠いところから出て来たんやねぇ」
「だから下宿生活や」
「いいなぁ、そういうのしてみたかった」
「実家のほうが、上げ膳据え膳でええやないか」
「ま、ね」
女の独り暮らしを許すような親はないだろうと、おれも思った。
古い考えなんだろうか?

おれは大宮商店街のほうに折れ、由紀と別れた。
彼女は、手を振って地下鉄谷町線の階段を下りて行った。

「玉藻荘」に帰りつくと、住人の柏木という男とすれ違った。
男の後ろに、すらっとした美人を連れている。
「こんばんは」
「おう」
柏木氏はぶっきらぼうに返事をし、出て行った。
「夫婦もんだったのか?」おれは、これまで柏木とやらが独り者とばかり思っていた。
いつも物音もせず、たまにテレビの声が聞こえるくらいだった。
挨拶の時に知ったが、風貌は「やくざ者」のように見えた。
派手なジャケットと、金のネックレスやブレスレット、黒のシャツなどを身に着けていたからだ。
そういえば、女の方も、水商売風に見えた。

水商売と言えば、斜(はす)向かいの岡本姉妹がそうだった。
先週末だったか、挨拶に行ったら「お兄さん、よかったらお店にも来てよ」なんて言われて姉の陽子さんから源氏名の入ったピンク色の名刺をもらったのだった。
店の名も「ピンキー」だった。
「この子も同じ店で働いてんねん」
と紹介されたのは妹の玉江さんだった。

後から知ったが、陽子さんがチーママで、玉江さんと二人で若いホステスを五人くらい使って店を切り盛りしているということだった。
陽子さんは若く見えるが五十前だそうで、妹さんも四十半ばだと聞いた。
とにかく、機関銃のようによくしゃべる二人で、おれはにこにこ笑って相槌をうつしかなかった。
京阪森小路(もりしょうじ)駅の近くにあるスナック「ピンキー」には、ほどなく連れていかれることになるのだけれど。

部屋に戻ったおれは、明かりを点け、鞄を下ろした。
大学に入って初めて出会ったドイツ語に面食らい、「デア、デス、デム、デン」なんてやっているうちに眠たくなった。
分厚い独和辞典を枕に寝てしまった。
「おれは、この先、うまくやっていけるのだろうか?」
京阪電車が轟音を響かせて走り去っていった。

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