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南樺太地名集

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まずは南樺太地名集〈序 出典 凡例等〉を見られたい。 公開履歴 https://note.com/vcbp_a/n/ned94c60d8da2
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2023年11月の記事一覧

南樺太地名集 〈地名篇深海村〉

本記事では以下の古地図・資料を用いる。
★1 参謀本部編『明治卅七八年日露戰史 第十卷』(附図)偕行社 中の「女麗附近樺太南部上陸部隊ノ位置 七月七日夜」

深海

深海󠄀 ふかみ
帝:ー
現:ー
深海村
日本語地名:由来は不明。
[個人的見解]こういう土地との繋がりのない地名を村名となすのは有害ですらあるので、深海村などという名称ではなく女麗村とすべきであっただろう。

小田

おた 

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南樺太地名集 〈地名篇大泊町〉

本記事では以下の古地図・資料を用いる。

(1)大泊町編「大泊町勢一覽」1923

(2)大泊町役場「大泊市街全圖 縮尺一萬分之一」1908

(3)「大泊町市街図 昭和九年発行」1934

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/1934_Oodomari_map.jpg

(4)大泊町「最近の大泊」1934

★1 参謀本部編

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南樺太地名集 〈地名篇千歳村〉


千歳

千歲 ちとせ
帝:ー
現:ー
千歳村
日本語地名:軍艦千歳に因む。

一ノ沢

一ノ澤 いちのさわ いちのさは
帝:Первая падь ピェールヴァヤ パーチ
現:Первая падь ピェールヴァヤ パーチ
N:46.6709 E:143.7524
ロシア語から日本語への翻訳地名。大泊町山下町の北、一ノ沢の河口部に位置する。アイヌ語名はウンラであり、古くは雲羅と呼ばれた。

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南樺太地名集 〈地名篇富内村〉


矢根

やね
帝:Янкенай ヤンケナイ
現:ー
N:46.6382 E:143.5085
アイヌ語由来;yanke-nay:陸に揚げる川。木遠岬の北西1.6kmの処、矢根川の河口部に位置する。旧名ヤンゲナイ。
[類]知取町矢向(旧名ヤンケナイ)、散江村矢向内
|⑥:Янгэнай ヤンゲナイ ⑨,ハ,オ,ヱ:ヤンゲナイ イ,ネ:ヤンケナイ ホ':ヤンケナイ(矢根)
は,ほ,ぬ:ヤンケナ

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南樺太地名集 〈地名篇留多加町〉

本記事では以下の古地図・資料を用いる。

(1)留多加町「留多加町勢要覽」1934

(2)樺太庁「留多加市街圖」1928

また、庁営バス本留線(大豊線)の停留所名とその位置を調査するにあたっては 小樽新聞社編『北海道樺太年鑑 昭和11年版』小樽新聞,1935 p.516を参照した。

ーーーーー
なお、浜町等の〜町という形をとる地名の「町」の読み方について、分からないものが多かったので、一

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南樺太地名集 〈地名篇三郷村〉


三郷

三鄕 さんごう さんがう
帝:ー
現:ー
三郷村
日本語地名:1923年以前の旧三郷村域に多蘭内、幌内保、雨竜の三つの主要聚落が含まれていたことに因むものか。

利良

りら
帝:Рира リラ
現:Малиновка マリーナフカ
N:46.6493 E:142.4471
アイヌ語由来。河西伏子浜の南西2.7kmの処、利良川河口部に位置する。旧名リラ。
|ホ':リーラ/利良 ネ

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南樺太地名集 〈地形篇水系の部 深海村・大泊町・千歳村〉

千歳村域内を流れる鈴谷川とその支流について、此処に収録してしまうと川と川との繋がりが絶たれることになり、さらには閲覧の際にも不便であろうことを鑑みて、本記事には千歳村域内の鈴谷川とその支流については収録せず、別の記事に収録することとする(未執筆)。
また、千歳村域内を流れる中ノ川については上流部が豊原市域内であり、独自の名称(百番川、八線沢)が付けられているが、百番川、八線沢については中ノ川と密接

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南樺太地名集 〈地形篇水系の部 富内村〉


矢根川

やねがわ やねがは
帝:ー
現:р.Кедровка キドローフカ
N:46.6379 E:143.5155
富内村域内。木遠岬の北北西1.5kmの処、矢根にて海に注ぐ。
[個人的見解]矢根川の矢根はアイヌ語のヤンゲナイに由来するが、本来のヤンゲナイは妻川を指していた可能性がある。

中ノ川

なかのかわ なかのかは
帝:ー
現:р.Швана シュヴァーナ
N:46.6486 E:1

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南樺太地名集 〈地形篇山系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉

 本記事では以下の文献を参照した。

★ 益富寿之助編集・発行『地学研究』第7巻第6号収録の北原順一「南樺太中知床半島江瀨地方における砂礦床の地球化學」附図

山系の部 凡例・説明欄では最初にいずれの市町村に属するのかを示す。
・帝政ロシア時代の地名(「帝:」)及び現在の地名(「現:」)の項では以下の路符を使用した。
 гора(山):г.
 хребет(山脈):хр.
 перевал

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南樺太地名集 〈地形篇山系の部 深海村・大泊町・千歳村〉

畝登山は〈地形篇山系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉に収録する。

ーーーーー
本記事では以下の古地図・資料を用いる。

(1)大泊町編「大泊町勢一覽」1923

(2)大泊町役場「大泊市街全圖 縮尺一萬分之一」1908

(3)「大泊町市街図 昭和九年発行」1934

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/1934_Oodomari

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南樺太地名集 〈地形篇山系の部 富内村〉

三角ヶ岳、安比山、牛別山は〈地形篇山系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉に、面想山は〈地形篇山系の部 深海村・大泊町・千歳村〉に、鈴谷峠、鈴谷岳は〈地形篇山系の部 豊原市・豊北村・川上村〉に収録する。

また、本記事では以下の古地図・資料を用いる。
★ 荒沢勝太郎著『粉雪の魅力 樺太のスキーと雪山』中央情報社,1938

大岳

大嶽 おおだけ おほだけ
帝:ー
現:г.Яга ヤーガ
N:46.

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南樺太地名集 〈地形篇土系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉


土系の部 凡例・説明欄では最初にいずれの市町村に属するのかを示す。
・帝政ロシア時代の地名(「帝:」)及び現在の地名(「現:」)の項では以下の略符を使用した。
 мыс(岬):м.
 остров(島):о.
 скала(岩):ск.
 полуостров(半島):полу.

ーーーーー

本篇中知床半島

ー半󠄁島 なかしれとこはんとう ーたう
帝:下に同じか
現:Тонино-А

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南樺太地名集 〈地形篇土系の部 深海村・大泊町・千歳村〉

中宗谷岬は〈地形篇土系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉に収録する。

対馬岬

對馬岬 つしまみさき
帝:フ'→м.Эндума エンドゥマ(Окуй-котанъ オクイコタン)
現:м.Томари-Анива トマリ-アニワ
N:46.6082 E:142.7705
大泊町域内。日本語地形名:軍艦対馬に因む。近傍に円留が存在する。旧名エンルムカ。
|⑤:Tsushima-zaki ⑥

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南樺太地名集 〈地形篇土系の部 富内村〉

木遠岬は〈地形篇土系の部 知床村・遠淵村・長浜村〉に収録する。

眼鏡岩 

めがねいわ ーいは
帝:ー
現:м.Птичий プチーチー
N:46.6349 E:143.5157
富内村域内。日本語地形名:岩の形態に因む。矢根の南東傍に位置する。現在のПтичий岬に位置する。|コ:冬二岩

親口岬

おやくちみさき
帝:м.Желѣзный ジリェーズヌィー
現:м.Железный

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