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『受け入れてもらうということ』

先日、人生2回目のサポートをいただいた。
ただ純粋に嬉しかった。
ああ、こんな私の書く話を、受け入れてくれる人がいるんだなぁ、と初めてサポートをいただいた時よりも強く実感した。

初めてサポートをいただいた時は、この記事にもいろいろと書いたけれども、

とにかく驚きのほうが強かった。
夢にも思わなかった“自分がサポートをいただける“という現実にとにかくビックリして、誰かの心に受け入れてもらえた嬉しさ、よりも、驚きのほうが大きかったと思う。

好き勝手にやっているのは自覚していたし、文章のスタイルにもムラがあったし、あの頃はクオリティにも差があった。
だからこそ書けた、“文章に向き合う“ひたむきな情熱はあったのかもしれないから、きっとそこを評価してもらえたのかもしれない、と今では思っている。

今はどうだろう。
あれからひと月が経った今、自分の中にも少しずつ変化が訪れている。

ひと月前の私よりも、今は自分の気持ちを素直に出すようになった。
思ったこと、感じたこと、過去の自分が願ったこと、悲しんだこと、辛かったこと。
ひと月前よりも、表に出すのが少しだけ上手くなった…気がする。

勢いだけで書くのをやめた。
スプラの立ち回りと同じだ。
その時は勢いだけで書き上げたのだとしても、アップする前に一歩立ち止まって、記事を俯瞰して見るようになった。
誤字、脱字、表現の間違い、稚拙なところ、なるべく直してから記事をアップするようになった。
ノリと勢いだけで文章を書いていた時よりも、多少は体裁が整えられるようになったと思う。

でもそれが良いことなのかはわからない。

ひと月前よりも、自分に関する記事が増えた。

ここ最近で、私がいちばん上手く書けたと思う自信作はコレだ。
私のnote人生の中で、書き手としてひとつ“壁を乗り越えた記事“というのがいくつか存在するが、恐らくこの記事はそのひとつに入るだろう。

私の根源、親しい人にもあまり言わない、根っこの部分だ。
それを全世界の人に晒すのはどうかと思わないこともないが、今ようやく、それが出来る下地が作られた、ということなのかもしれない。

私がひと月前よりも少しずつ変わってきたのは、
“受け入れてもらえる“という自信がついてきたからだと思う。

どんなにみっともない自分を晒しても、笑ってくれる人がいる、涙してくれる人がいる、どんな方向であれ、心を動かしてくれる人がいる。
そういった人たちが、このnoteにいると、ようやく身に染みてわかったから。

私は自信家のように見えるだろうし、反骨精神の塊で、小さなことを気にしない人間に見えるかもしれないが、“そうでありたい“と無理やり前を向いているだけで、根はそうではない。
打たれ弱くてうじうじしてて、ノリと勢いで生きてはいるけど、周りの評判も本当は気になるし、自分が受け入れてもらえてるのかどうかを気にする、寂しがり屋でもあるのだ。

今回サポートをいただいたこと。
毎日コメントをいただくこと。
毎日スキを押してもらうこと。
毎日誰かに読んでもらえること。
積み重ねられた善意が、全部私の力になってる。

私はやっとこのnoteの世界で、胸を張って生きていけそうな気がしてる。ありがとう。
みんな、私を受け入れてくれて、ありがとう。

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