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『パニック障害になった話(4)』〜会社を捨てる決断〜


※この記事にはパニック障害についての記述や、発作の話が出てきます。どうかフラッシュバックにお気をつけて、お読みください。

前回の記事はこちら↓↓


前回の項で、私が社長に詰られたその日。
それを聞いた旦那が爆発した。
労働基準監督署に訴えるべきだ!そんなのパワハラ以外の何物でもない!
だが証拠がない。店にいる人間は全員社長の言いなりの人形である。
聞き耳を立てていた人間も、一緒にいた店長も、誰も私に有利な発言はしてくれないだろう。


旦那は今まで受けたパワハラも全て訴えてしまえばいいと言うが、他のことだって、私にはサービス残業の時間すら証明する手立てがない。タイムカードは手書きだから改竄し放題だったし、私には訴える手がひとつもなかった。

なんとか怒り狂う旦那をなだめて、私は無感情を装って淡々と仕事をこなすようになる。
そして嫌がらせが始まった

1.すり減っていく心


社長と揉めたその日から、私は小さな嫌がらせを受け続けていた。
例えば店頭のレイアウトを私が終わらせた後に、勝手に手を入れられてめちゃくちゃにされたり、指示した値付けよりもわざと幾分高い値段をつけて私が店長に叱られるように仕向けられたり。
業者との交渉。店のスタッフが業者に連絡を入れて、約束の時間を勝手にずらされたこともあった。
ひとつひとつは小さなことだが、積もり積もればいい加減にしろと言いたくなる。
だが、私が「おかしいじゃないか」と訴えれば、スタッフはみんな半笑いでこう言うのだ。
頭おかしいから間違えたんじゃないの?」と。

その度に私は吐き気と、動悸に襲われた。
ドキドキと早鐘のように打つ心臓を抱えながら、“もうここにはいられない、いたら死んでしまう、ここから逃げたい、帰りたい“と叫び出しそうになる心を必死で抑えた。

私はどうしようもない人間であるが、仕事に対して誇りは持っていた。
レイアウトはまだしも、値付けの間違いや業者との約束の時間を間違えるなど、お客様や出入り業者に迷惑がかかることなど決してしない。

だけどそれを信用してくれる人間はもう誰もいなくなっていた

社長が「アイツは頭がおかしい」と風潮してくれたおかげで、頭のおかしい人間には何をしてもいいのだ、という図式が完全に店の中に出来あがっていた

そしていつしか、自分で稼いだ成果や成績まで、私のものにはならなくなった
私が主導したイベントも、私がまとめた業者との価格交渉も、私が上げた売上も。全部いつのまにか誰かの手柄になっていた。

毎日出勤する度に、すり減っていく心。
発作に耐えながら出勤して、苦しくても店頭に立ち、お客様に愛想を振りまく意味。
もう、仕事に対してのやる気もゼロになり、何のメリットも見出せなくなっていた。

2.決意


疲れた体を引きずって、家に帰る。
そして夕飯を食べ終わると、いつからか私は毎日のように泣き始めるようになった
正直食欲なんかなくて、夕飯も食べたくはなかったが、食べないと母や旦那が悲しい顔をするので、それだけは出来なかった。

部屋に戻って、メソメソと泣き始める。
泣き喚く私の話を聞いてくれる相手は旦那が多かったが、旦那がいない時は、母も困った顔をしながらいつも聞いてくれていた。

仕事を辞めたい、でも辞めたらどうやって生活して良いかわからない、次の仕事を見つける気力がない、でももういじめられたくない、どこにもいけなくて辛い、遊びにも行けない、辛い、疲れた、もう嫌だ
こんなのを毎日聞かされたら、そいつが鬱になるわ!!と今さらながらに思うが、恐らく家庭内が最も崩壊しかけていた時がこの時だと思う。

旦那は失業保険や社会保険の延長手続きなど、色々と私のために調べてくれていたが、失業保険をもらうにも結局しばらく時間がかかる。
恥ずかしながらほとんど貯金がなかった私は、その間どうやって生活するんだ!と旦那に当たり散らしていた。
彼は何も言わず、黙って聞いてくれていたが、最後にポツリ、と。語りかけるように言う言葉は毎回決まっていた。
転職しなよ」と。それだけは毎回必ず言われていた。

転職。職を変える。
パニック障害の私が、転職など出来るのだろうか。
社長の言うように、毎度発作を起こし、職場の隅っこでガタガタ震えているような人間を、誰が使うというのだろう。
頭のおかしい人間が、どこかに行けるわけがない
その言葉は呪いのように、容赦なく私の手足を縛って動けなくした。
憎悪に突き動かされたはずの感情が、みるみるうちに萎んでいくのを感じていた。
それでも、この呪いをどこかで断ち切らなければ、前に進めないのは明白だった。
毎日のように泣いて、周りに当たり散らしているようでは、治る病気も治らない。

職場復帰から2ヶ月。私はついに転職を決意する

3.運命の出会い


1度だけ。本気で旦那と母に怒られたことがあった。
私が例によってメソメソと愚痴をこぼしている時に。「そんな職場すぐに辞めて転職しろ!」と2人して叱ってくれたことがあった。
いつもは最後の最後に「転職したら?」とか「転職しなよ」とか静かに言うだけだった旦那が。
いつだってウンウンと話を聞いてくれて、「アンタの好きにしなさい」となだめてくれた母が。
連日泣き腫らした目をしていた私を怒鳴り飛ばした。

きっと、周りで見ている方も歯痒かったのだろう。日に日に弱っていく人間を見続けるというのは、予想以上に周りの精神力も削っていく。
いつも大人しいこの人に怒鳴られるなんて、付き合ってきて、初めての経験だった。
母に頭ごなしに叱られるなんて、大人になってからしばらく経験していないことだった。

たぶん、それが動き出すきっかけになったのだと今になってみれば思う。
ああ、私がこうしてウダウダしていると、周りを悲しませてしまうんだな“と、ようやく自分で気づいたんだと思う。

なけなしの精神力を振り絞って、もう1度だけ這い上がった私は、ゆっくりではあるが転職活動を始める。
そしていつでも辞めていいように、退職届を持ち歩くことにした

あえて退職願ではなく退職届にしたのは、私の最後の反抗である。
(退職願は会社に退職を願い出るためのものであり、却下されることもあるが、退職届は有無を言わさず、自分の退職を一方的に通告するものだとネットで見た)

転職活動は、予想以上に難航した。
そもそも、面接の時間が取れなかったのである
当時の私の休みは平日だったが、正直休みなんてあってないようなもので。
休みの日でもありとあらゆる時間に電話がかかってくるし、トラブルがあれば顔を出さなければならなかった。まア、後で聞いたことであるが、これも嫌がらせが半分以上を占めていたらしい。

どうやら社長は私が転職活動を始めたことをどこかから聞きつけたらしく、私の転職を邪魔する為に、トラブルをわざと起こすように指示をしていたらしい
遅々として進まない転職活動の中、しかし私は今の職場と運命の出会いを果たす。

それはある求人サイトだった。
記念にスクショしておいた求人を今見ても、なんてことない内容だった。
時給がやたら高かったこと、入社後半年経てば社会保険がつくこと、契約社員ではあるが正社員登用制度があること。
何より、自宅からものすごく近かったこと。

決め手となったのは、やはり自宅から近いことだった
パニック障害となった今の自分ではバスを乗り継いだり、電車に乗ったりということは無理なことがわかっていたので、少しでも自分の身体に負担をかけない為に、自宅から徒歩で通える場所を探していた。

すぐに自宅に帰れる場所ならば、発作を起こして動けなくなってもどうにかなる。
這ってでも帰れる。
少なくとも足がなければ動くことの出来ない今の職場よりも、何倍も気が楽になる。

求人サイトの写真に写るみんなはすごく笑顔でキラキラ輝いていて、私がその一員になるとか無理じゃね?とも疑問に思ったが、とにかく1度話だけでも聞いてみようと、私はその求人に応募することにした。

4.隠し事はしない


社長の妨害をかい潜り、私はなんとか面接にこぎつけた。
当日、面接を担当してくれたのは私の今の上司と、今は異動してしてしまったが、統括の本部長だった。
久しぶりに緊張して、前日は寝られなかったし、家を出る数分前まで軽い発作に襲われたりはしたが、面接自体は和やかに進んでいった。

「それでリトさんはどうしてウチを志望したの?」
「実は……」
のんびりとした雰囲気の本部長に訊ねられ、私はおずおずと口を開く。

面接に臨むにあたり、私はひとつ心に決めていたことがあった。
病気のことも、今の職場のことも、何も隠さずにいこう“と。

病気に関しては、持病を持つ旦那からのアドバイスだった。
「どうせ隠しても、いつかはバレる時が来る。
最初から明かしておけば、痛い腹を探られることもないし、その職場がどういう考え方を持っているかわかるでしょ」
旦那曰く、病気持ちの人間を相手がどう見ているのかは、告げた瞬間にわかるらしい。
どんなに隠そうとしても、表情に出るのだそうだ。
面倒に思うのか、鬱陶しいと思われるのか、それとも受け入れて納得してくれるのか。目は口ほどに物を言うのだ、と旦那は言う。

そして職場のことは、ありのままを話そうと決めていた。
志望動機を聞かれたら、私は今こういった職場にいて、こういう扱いを受けていて。こんな将来性も希望も展望もない企業にいたくない。もっと自分を高められる場所に、少なくとも自分の成績が自分のものとして反映される場所に行きたいと。

「そうか……」

私の話を聞いた本部長は、優しく頷いて、隣の上司に目配せをした。
“あ、落ちたかな“となんとなく察した。
そりゃそうだよな、と冷静な自分が顔を出す。

私はパニック障害です、職場でいじめられてます、でも向上心だけは強いので、キチンと評価してくれる会社に行きたいです。
結局、私が喋ったのはこういうことだ。
正直自分で聞いててもめんどくさい

とりあえずその日は軽い説明を受けて、あくまで和やかなまま面接は終わった。
ドッと疲れ果てて帰ってきた私を迎えた母にたぶん落ちたよ、と報告して、これがこれから何回も続くのか……と、ゲッソリしながら『こんなんで本当に転職出来るのかな』と、不安な気持ちを抱えながら眠りについた。

5.どこにでも行ける


3日後。
見知らぬ電話番号から連絡があった。
たまたま休憩中だった私は、誰にもバレないように店の外に移動して、急いで通話ボタンをタップした。

「はい、もしもし」
「もしもし。先日お話しさせていただいた〇〇(今の上司)と申しますが」
「あ、……は、はい。その節はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。
それで、面接の結果なのですが……」
「はあ(まア駄目だろうなあ)」
「もし宜しければ、私のところで働いてみませんか?」

えっ!と、思わず声が出た。
上司の話によると、どうやら私は応募をした職では残念ながら落ちてしまったらしいのだが、統括本部長と上司が“ただ落とすのは惜しい“と思ってくれたらしく、2人で話し合って、本社の人事部に掛け合ってくれたらしい。
本来希望していた職務内容ではないが、上司のいる部署でよければ、採用させてもらいたい、と。
わざわざ連絡をくれたという。

「あの……いいんですか」
「何がでしょうか?」
「いや、その……、私、病気持ちですし……」
「今は、でしょう?」
「え」
「“今は、病気をお持ちなだけ“でしょう?
今後はわからないじゃないですか。治るかもしれないし、治らないかもしれませんが。
でも、少なくとも治りたい、治したいという意思があるなら、私はリトさんがそこにたどり着けるように、応援くらいはしたいと思ってますよ
もちろん会社に貢献してくれるのなら、ですが、と。悪戯っぽく笑った上司の声を聞きながら、私は泣いた。

こんな自分でも、こんなどうしようもない自分でも、受け入れてくれる人がいる。
この人は私を「お前はどこにも行けない」という言葉で縛ったりしないんだと。
自分の意思で、どこにでも行けるんだと、背中を押してくれる人なんだと思った。

パニック障害になってから数ヶ月。
初めて心が安堵した気がした。

長くなってしまったので、また明日。
次は“社長に因果応報が下る話“をメインに、少しだけこの時よりも未来の話をしたいと思う。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。