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『賞を逃したら、自分が負けず嫌いなことに改めて気づいた話』

“一歩踏み出した先に“
1ヶ月前、私はnote公式で行われたこのコンテストに応募しました。
他のコンテストにも色々応募はしてたんですが、「間違いなく良い記事が書けた」と自負出来た作品が書けたのはこのコンテストだけでした。

それがこちら。

しばらくの間、トップにも固定表示していたので読んでいただいた方は多いと思います。

うん、もう取り繕うのやめますね。
こっからは愚痴というかなんというか本音です。
「イケると思ってた」です、ハイ、すみません。

井の中の蛙、大海を知らず、ってやつですね。
あはは、アホかって。
こんなんが受賞出来るはずないだろうって。
おっしゃる通りです、スミマセン。
自惚れてました、私。

自分ではね、大好きなんですよ、この話。
実話のわりに構成も上手くいったと思ってるし、要所要所でポイントになる場面も入れられたと思ってるし、流れもスムーズで綺麗にまとまったと思ってるし。(どんだけ自画自賛するんだ)
間違いなく出し切ったんです、それだけは胸張って言えるんです。

生まれてこのかた、コンテストとか〇〇大賞とか、そういうのに応募したことがなかったんですよ、私。
小説家目指してるとか『書くことを仕事にする』とか言っといてアレなんですけど、まあ、ほんの数年前までは死んでたからね、心が。

だから、今回が初めてだったんですね。
こう、何かを意識して書くのって。

テーマに沿うように、逸脱しないように、流れを組み立てながら、文章を書く。
この経験は間違いなく私の力になったし、この作品を書き上げられたことで、“私、まだいけるんじゃね?“ってひとつ壁を乗り越えられたのも事実だし、勉強になりました、本当に。

でもさ。
やっぱ悔しいよね。

あぁ、私ってこんなに負けず嫌いだったんだな。
悔しい、悔しい、って、全身をどつき回されるような敗北感、まだ自分にあったんだなぁ。

受賞した記事を読むと、みんなすごい、って認めざるを得なくなる。
自然だし、面白いし、私とは違う。
いや、比較するほうが間違ってるんだろうけど、でも読むたびに思うんですよ。
違うな、って。私とは根本的に違うなって。

独りよがりなんだなぁ、私は、たぶん。
誰にも寄り添えてないんだろうな。
浅いんだよ、きっと。考え方が。
そんな奴が賞取るとか無理じゃん。

と、まあ、責めるだけならいくらでも出来ます。

だけど今、あの記事にいただいたコメントとか、あの記事を紹介してくれたイトーダーキさんの記事を読み返して、こうも感じたんです。

サポートをくれてまで応援してくれた人がいて。
“素敵“だと褒めてくれた人がいて。
“感動した“と伝えてくれた人がいて。
わざわざ曲を聴いてくれた人がいて。
“傑作だ“と言ってくれた人がいる。

その全てが、私にとっては賞と同じくらい。大切なものだなって、思ったんです。

負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、そりゃ、本音を言えば私だって賞取りたかったけど。
でも、少なくとも私が、“誰かの心を動かす“記事を書けたことだけは、事実なんですよね。

だから今はそれだけでいいのかなって。

その事実を大切に胸にしまって、また歩き出せばいいのかな、と思います。

ここがスタートです。
まだまだ終わらないですよ。
この悔しさをバネにして、何回だって挑戦して、何回だって玉砕してやりますよ。
目に見える伸びしろがなくたって、無理矢理ひねり出してやりますとも。

負けっぱなしは許せないんです。
いつだって勝ってきた人間ですから。
例えけちょんけちょんに負けたって、顔をそらして「負けてないよ」と嘯く人間なので、私。

勝つ日まで、何度だってやってやろうじゃん。

それからイトーダーキさん、この場を借りて。
私を紹介していただき、ありがとうございました。

頑張ってればさ、こうやって見てくれる人がいるんだね。
本当、noteを始めるまでは考えられなかった。

人に認めてもらうって、こんなに感動するんだって、知らなかった。
知らないこと、知らない感情、忘れてた気持ち、置いてきたはずの願い。望み。希望。
思い出させてくれる、このnoteという街が、私は好きです。

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私は毎週月曜日に記事をアップしています。
今回はまた過去記事からなのですが、私の書く話の中でも珍しい、恋愛話のアレです。

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