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『シチューとたけのこが嫌いだった』

みんな嫌いな食べ物ってあると思う。
好き嫌いなくなんでも食べる、っていう旦那みたいな人もいるだろうけど、多かれ少なかれ、苦手だと感じる食べ物はあるだろう。

私はシチューとたけのこが嫌い“だった“。
今でこそ食べられるようになったが、この年になるまでほとんど食べずに過ごしてきた。

あれは小学4年生の頃。
まだ祖父と祖母が元気だった時の話だ。

祖母は初孫だった私をとても可愛がってくれていて、まあ、悪い言い方をすれば甘やかしていた。
祖母に怒られたことはなかったし、食べたいもの、欲しいもの、なんでも買ってくれるような人だった。

近所に住んでいた祖父母の家に毎月遊びに行くと、その時の夕食は必ず私の好きなものが食卓にのぼった。

マグロの刺身、さんまの塩焼き、五目ご飯。
そして、シチューと、たけのこの煮物である。

シチュー、たけのこの煮物、マグロの刺身は本当によく出てきた。
ひと月ほど祖父母の家に預けられたことがあったのだが、その時はほぼ毎日のようにそれらが食卓に現れた。

砂糖がいっぱい入った、甘めのたけのこの煮物。
シチューなんかなんてことはない。
ハウスのシチューの素を使った、これぞ家庭料理、のあのシチューである。

婆ちゃんはそれらを食卓の上に並べながら、
いつもニコニコと笑っていた。
「いっぱい食べな」と笑っていた。

私は元気よく返事をしながら、毎日2回はご飯とシチューをおかわりした。

だってそうすると、婆ちゃんが嬉しそうに笑うから。
私がたくさん食べると、婆ちゃんも爺ちゃんも嬉しそうにニコニコしているから。
子供ながらに、2人をガッカリさせては悪いと思っていたのである。

最初はそれで良かった。
私は基本的に好きなものならいくらでも食べられるほうだし、特にマグロの刺身なんかは、今でも毎日食べたっていいと思うくらい好きだ。

でもさすがに。
シチューとたけのこの煮物が連日続くのはダメだった。

毎日のようにシチューを食べていると、思う。
「たまには味噌汁が食べたい」
それでも我慢し続けると、ふと考える。
「そもそも刺身にシチューっておかしくね?」

それでも孫が一度「好きだ」と言ったものを出し続けてくれている婆ちゃんを悲しませたくなくて「もうこれ飽きた」と言えない日々が続いた。

たったひと言である。
「もう飽きたから違うのがいい」
それだけ言えば済む話だ。
なのにどうしても言い出せなかった。

祖父母の家に預けられたひと月が終わる頃。
私はシチューとたけのこが大嫌いになった。
もうあの白いドロドロした液体と、
味もへったくれもないくにゃくにゃした野菜を見るのも嫌だった。

最後のほうはさすがに婆ちゃんも作るのが疲れたのか、頻度はかなり落ちていたけど。

私はそれ以来、大人になるまでシチューとたけのこを食べることはなかった。

久しぶりにたけのこの煮物を食べたのは、祖父母が亡くなった年のお盆だった。
「婆ちゃんに教わったレシピが出てきた」と、母が当時の煮物を再現してくれたのだ。

年月が経ったからなのか、見るだけで吐き気を催すことはなくなっていたけど、どうしても食べる気にはなれなかった。
それでもひとつだけ、ひとかけらだけでも食べてみようと思ったのは、新盆で婆ちゃんの存在を近くに感じたからかもしれない。

あの頃のように、私がたけのこを食べてみせれば、それを見た婆ちゃんが笑ってくれると思ったからかもしれない。

「どう?婆ちゃんの味になってる?」
心配そうに聞く母に
「なってるよ」とひと言だけ返した。

婆ちゃんの煮物より、ちょっとしょっぱい味付けだったけど、それは確かに、私を想って料理を作ってくれていた婆ちゃんの味と同じだった。

泣きそうになりながら、小さなかけらを飲み込んで。
私はたけのこを克服した。
もともと好きだったのだから、克服したというより、取り戻した、って感じかもしれないが。

それから程なくして、シチューもまた好きな食べ物のひとつに戻っていった。

ウチでは今も、シチューを作る時はハウスのクリームシチューの素である。

婆ちゃんと爺ちゃんが亡くなって、10年が経った。

なかなかろくに墓参りも行かない孫だけど、
お盆が来るとふたりの笑顔を思い出す。
あの夏の日。
嫌いになるまで食べさせられた、シチューとたけのこを思い出す。


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