『母の作るたまご焼きの味』
私は当たり前だが母の娘である。
娘として生まれて30数年、料理好きの母の血を受け継いだ私は、それなりの年齢になる頃には、自分ひとりであらかたの料理を作れるようには育っていた。
母は料理好きだが、一般的によく言われる“料理上手“ではない。
プロ御用達の複雑な調味料も使わないし、
みりんはほとんど麺つゆで代用するし、
料理酒も砂糖もほぼ使わない。
雑誌に載っているようなおしゃれレシピが食卓にのぼったこともないし、そもそも洋食は専門外だと言い切るような人である。
しかし母の料理は美味しい。
ひじきの煮物や、銀鱈の煮魚なんかは絶品で、年を取ったらおばんざい形式の居酒屋を開くのが夢なのだと、若い時から私に語ってきかせただけのことはある。
使う調味料は母と変わらない。
調理工程も、使う材料も全く同じものを使っている。
なのに、私が未だにこれだけは母に敵わない、と作るたびに思い知らされる料理。
それがたまご焼きである。
母の作るたまご焼きは砂糖が入っていないので、当然しょっぱい味付けで、よく焼きを入れるのでふわふわでもないし、どちらかというとかためでしっかりとした形をしている。
だというのに割るとトロッとしていて、噛むとじゅわっとうまみが染み出してくるのだ。
甘いわけないのに、どこか甘くて。
とても優しい味がする。
「ああ、美味しいなぁ」と、
ホッとしてしみじみ味わってしまうような味。
たまご焼きはお弁当のマストアイテムなので、
もちろん私もよく作る。
母と同じように、卵を2つ使って、醤油と味の素を入れて。
油を多めにしいて、フライパンで焼きながらサッと巻いていく。
見た目だけは同じだ。
包丁で6等分に切って、ひときれつまみ食い。
……違う。これは母の味ではない。
今日も同じ味に出来なかった。
面白いのは、毎日私か母のたまご焼きを食べている旦那も、最近味の判別ができるようになってきたことである。
「今日のたまご焼きは嫁だね」
「なんでそう思う?」
「ぜんっぜん優しい味がしないから」
「優しくない嫁でわるかったな!りこん!」
とまあ、こんな具合に。
でもまあ、実は旦那の言ったことは的を得ている。
私の作るたまご焼きは、“優しい味がしない“。
その一言尽きる。
母のたまご焼きが、全てを包み込んでくれるような包容力があるのに対し、
私のたまご焼きは基本的に全てを突き放すような尖った味がするのである。
包容力のかけらもない。
私は母の作ったたまご焼きを食べる時。
「料理は愛情」という言葉を思い出す。
そこには「お疲れさま」とか「頑張ってるね」とか「いつもありがとう」とか。
普段言葉にしない小さな愛情がたくさん詰まっているのだ。
だからきっと母のたまご焼きは優しくて、それを模倣しただけの私のたまご焼きは、優しくない。
だけど楽しく夕飯の準備をしている時。
母と一緒に台所に立つ時。
私の料理の味も、少しだけ母に近づく気がする。
それはきっと「美味しいものを食べて欲しい」とお互いに思って料理しているから。
私は母と旦那に、そして母は私と旦那に。
美味しいものを食べて、また明日からも頑張ってほしいと思うから、きっと料理は優しくなる。
私もいつか母と同じ味が作れたらいいと思う。
誰かを思いやる心の詰まった、優しい味を。
もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。