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トトノウを体験したい。


#創作大賞2024 #エッセイ部門 #サウナ #トトノウ  

 トトノウを、体験したい。
というのも、いわゆる「サウナ活動」が世に普及しだして、かなりの年月がたつが、テレビドラマをきっかけにまたここ5年ほどで一気広がった。特にトトノウ、とは、サウナーの間では当たり前に使われていて、サウナ→水風呂→外気浴の工程を繰り返すことで、収縮した血管から血液が体を駆け巡る極上の感、のことを指すらしい。

 ある日の休憩室の光景である。
「最近の若い子って何が好きなわけ?」
と、新卒の20代女の子に、50代男性管理職が、いそいそと隣に座り質問する場面があった。
管理職の男性は、頭部がいつもに増して、艶々に光っている。

「最近の若いこって何が好きなわけ?休みの日は…」

 彼女は、一瞬手元のスマホから視線をずらし、男を見たが、再び目を落とした。小さく見える。私には、わかる。彼女は困っている。そして、長い沈黙があった。本当に長かった。私は、カップラーメンを啜った。思ったより、音が響いた。緊張感が漂っている。窓からの日差しはやけに優しい。

「サ活。トトノウから」

 彼女は手に持っていたスマホを置いて、男を見た。
 端的に的をえた回答と、明らかに気のない口調が、優しさと、面倒ごとに巻き込まれた落胆さを表現している。何かを諦めた彼女の横顔は、とても美しく、凛としているようにも見える。
 そう、彼女は諦めたのだ。胸がギュッとした。これは、サラリと行われる、休憩時間の搾取だ。これも、パワハラの一環である。

「あ〜サ活ね。あそこいいよ。なんだっけなー?水風呂が黒いの。あとあそこ、女の子は横浜のEASもいいかもね。平日は安いし、ロウリュウイベントも予約取りやすいし。結構空いてるし穴場かも」

 彼女の目の色が変わった。

「黒い水風呂…?そこ知らない!」

 彼女の声のトーンが上がった。明らかに喜んでいる。社交辞令では、ない。

「LINEで送って」

 えっ。

「おっけ。水風呂が最高なんだよ。水が黒いの、効きそうでしょ?トトノウ〜!」


 私は驚いた。サウナ。会話の温度と、緩急についていけなかったのだ。
 共通項とは、素晴らしい。神ワード、サウナ。ツヤツヤの頭のその男は、神々しくも見え、意図も簡単に需要できてしまうほどの、タイム、メンタルパフォーマンス。なんて有益なんだ。さらにはLINEの交換まで。簡単なことではない。
 この目の前で繰り広げられる、ジェネレーションと、ジェンダーという高い境界線の閾値を上げてくるサ活。残りのスープを飲み干しながら、私はこれを、「トトノウ事変」と名付けた。

 私は、根っからの日本人だ。
 そこに対して専ら、誇りを持っている私にとって、この「トトノウ事変」は大きな衝撃だったとも言える。
 国際社会から見る日本は、「空気を読む文化」即ち、ハイコンテクスト文化に長けていると評価を受けている。文化の共有性ともいうらしい。言葉だけでなく、表情や、声色、行動の行間を読むことに、慣れ親しんだ民族なのだ。
 私は想い浮かべる、先人達を。これは、優しさの文化なのだ。人の間合いを見る。相手を尊重する。簡単なようで万人がうまくできることではない。
 特にこれは、初対面の人や、自分が好意的でない相手である場合は、神経をすり減らす場合もある。
 ただ、総合的に人から好かれたいと思う私にとってリターンが大きいという、最大のメリットにも繋がる。文化の共有性を意図も簡単に乗り越える、「サ活」。人との共通のナニカをつくる作業はことの他難しいのだ。
 それでも、誰からも好かれたいし、愛されたい。ストレスというリスクを背負っても、遂行したい。ある種のナルシシズムなのかもしれない。ただ、そこには私の美学がある。
 決して、誰も傷つけない、平和的な会話が、終着駅になること。それが次回への会話に繋がることと、親しみやすさと、仕事においても円滑な関係性を保つという重大なポイントであり、自らの仕事論でもあるのだ。
 なにしろ、トトノウが、ゴールなのだから誰も傷つかない。
 私は、サウナに行くことにした。トトノウに対して単純に興味があったのだ。
 スマホで検索しながら、さっきの会話の中に出てきたEASを検索する。少しだけ、ワクワクした。いろんな建前を並べたが、ただのミーハーなんだなとも思った。
 横浜駅西口から、徒歩5分。地元民にはハマボールの入っていることで有名なビルの4階に位置するEASは、聞いていたよりも、空いていて、受付のお姉さんがとても綺麗だった。一通り館内の案内をされた後、大浴場に行き、体をいつもより念入りに洗った。備え付けのアメニティも香りが良くて、気分が高揚する。
 屋内浴室の隅に、小さな扉があることは、すでに知っていた。サウナ。その隣にはミストサウナ。さて、どちらに入ろうか。
 私はサウナと書かれた扉をそっと開けてみる。もわっとした熱気が顔面を襲う。すでに数人の人が中で座っていた。橙色のライトの中で、皮膚がツンとするような熱気。ネットで読んだように、中央部にはサウナストーンと呼ばれる石と、それを囲う裸の女性達。当たり前だが、女性の姿形も顕にされた円の中で、蒸気に包まれた裸体にも不思議な感覚を覚えた。

 すごい。

 やはり初体験。見るもの全てが新鮮で、キョロキョロとしていると、サウナキャップを被った裸の婦人と目があった。視線は、ジロジロ見るな、初心者が、と言っていた。
 時計がある。秒針を眺めた。静かに一周回っていく。2周目、3周目。息苦しい。動悸もする。顔がくわっと熱くなり、息ができない。赤い針と、黒い針は一体何秒なのだろう。どうやら普通の時計ではないようだ。
 赤だか、黒だか、どちらかの秒針が4周目に差し掛かる時、私は腰を上げた。脳の中に青空が見えた気がした。
 私は、箱型の部屋が苦手なのだ。暑さ<狭さの構図だ。分かっていた。動悸がする訳だ。
 でも、トトノッてみたかったのだ。
 そして、あわよくば、閉所恐怖症をトトノエたかった。
 私は、全然トトノエナイ。トトノウを体験しに行ったのに、半分の臨死体験と共に違う意味でのトトノウ、を体験したのだった。熱った体のまま、私は脱衣所に駆け込んだ。広い景色に、安堵のため息が出る。
 アドレナリンが終息していくー。

 それが私のサ活のトトノい方だった。あの会話に混ざることはできないだろう。そして、私なりの共通項を探していくしかないようだ。
「トトノウ」は、いろんな形があっても良いかもしれない。

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