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伊弉諾神宮:国産み神話の舞台を訪ねて(前編)

日本誕生、それは我々日本人にとってロマンを感じるテーマですよね。
今回は、前後編の2話に渡って日本神話における、国産み神話とその舞台となる伊弉諾神宮について語っていきます。

後編には伊弉諾神宮での不思議逸話も紹介します。

日本の国産み神話は、日本神話における創世神話の一つで、天地開闢(てんちかいびゃく)とともに、日本列島の形成の歴史を伝える物語です。

この神話は主に『古事記』と『日本書紀』に記されており、イザナギノミコト(伊弉諾尊)とイザナミノミコト(伊弉冉尊)の二柱の神々によって展開されます。

日本の創世神話:国産みと淡路島の役割



1. 天地開闢:
天地がまだ混沌としていた時、天の神々によってイザナギとイザナミが生まれました。

彼らは天の浮橋に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)を使って混沌の海をかき混ぜます。
矛から滴り落ちた塩が固まり、最初の島である「オノゴロ島」が誕生しました  。

2. 国産み:

イザナギとイザナミはオノゴロ島に降り立ち、結婚の儀式を行い、次々と日本の主要な島々を産み出します。
最初に生まれたのが淡路島で、その後、四国、九州、本州などが続きました 。

淡路島の役割

淡路島は、国産み神話において最初に生まれた島とされています。
この島は日本列島の生成の始まりを象徴し、非常に重要な位置を占めています。
特に、伊弉諾神宮はこの淡路島にあり、イザナギノミコトが余生を過ごした場所とされています。

神話から見ても、特別な場所というイメージが湧きますが、実は、伊弉諾神宮自体も、不思議な逸話が残っています。
神社の歴史をとともにお話しさせていただきます。

伊弉諾神宮とは?その歴史と文化を探る



創建:

イザナギノミコトは、国産みと神産みの役割を終えた後、淡路島の多賀に幽宮(かくりのみや)を構え、ここで余生を過ごしたと伝えられています。

この幽宮が伊弉諾神宮の起源です   。

歴史:
平安時代には、延喜式神名帳に「名神大社」として記載され、淡路国一宮として位置付けられました。

明治時代に官幣大社に列格されました。




明治以降の変遷:
明治維新後、伊弉諾神宮は近代的な整備が進められました。
特に、1870年(明治3年)には一柱のみの祭神として祀られていたイザナギノミコトに、1932年(昭和7年)に伊弉冉尊(イザナミノミコト)が追加され、二柱の神が正式に祀られるようになりました。

これは、国産み神話の伝承をより忠実に反映したものです  。

主な神事と文化

伊弉諾神宮では、年間を通じて多くの祭事が行われています。

例えば、1月15日の「粥占祭」では、稲作の吉凶を占う神事が行われ、4月22日の「例祭」では神幸式が行われます。
また、旧暦6月14・15日の「夏祭」では、千基の行灯による献灯と納涼諸行事が催されます  。

お読みいただきありがとうございます。
長くなりそうなので明日更新する後編に分けたいと思います。

実際に訪れた日の記事はこちら

後編は伊弉諾神宮がパワースポットと言われる由縁などもお話しできたらと思いますので見に来てくださいね。





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