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実咲龍さんの「負ける力」に寄せて

まずは、始めて間のない、そしてつたない文章しか書けていない私のところにご訪問下さったことに感謝💖

noteを始めてまだ1か月未満、バタバタと過行く日々に、なかなか書くことにも読むことにも向き合え切れていない自分を残念に思う日もあるけれど、そんな自分も自分であると認め、ゆっくり、細く長く向き合っている。

たとえゆっくりであっても、様々なクリエーターさんたちの感性に触れながら自らを振り返ることができる機会があることは、自分にとって「癒し」であり「励まし」そして「成長」なので。

今回は、私の記事に訪問してくださった美咲龍さんの「負ける力」について、少し触れたいと思う。

実咲龍さんの織りなす言葉は、哲学的で情緒的、且つ散文的。

迷宮に入ったような不思議な感覚で「これだ! これだったのか!」という明確な姿が見当たらない。

だから、何度も何度も繰り返し読む。

そして、そのたびに異なる解釈と出会い、今の自分の心はどこに振れているのか…と考えさせられる。

1回目に読んだときは、「その居場所はあなたが築いたも」という言葉に、「自分」という存在を認めてもらえたというポジティブな感情が生れた。

2回目読んだときは、同じフレーズに「今の。現状はあなたが築いた」というネガティブな響きを持っていた。

本当に不思議な感覚。

今の時点では、「向き合うべきは他ではなく己。己の弱さを知ることが強さの源。だからこそ謙虚に、今の自分を受け入れ、勝ち負けで物事をとらえず自分のペースで歩き続けて。」と背中をおしてくれているのだと解釈している。

人間は勝手なものだ。
その日、その時の体調や気分で受け止め方も変わる。

明日の私が、この言葉にどう向き合いどう癒されるかは未知。
それでも、こうやって発信してくれている方々がいるから、気づきがあるのだと思う。

今後、長く続けていれば、自分の紡ぐ言葉も、誰かの「癒し」や「共感」「気づき」のきっかけになることもあるのかな?そんなことを考えながら、言葉を認める難しさを痛感している。

でも、それは「だから書かない」ということではない。
言葉の力を真摯に受け止め、ひとことひとことを丁寧にを選んでいこうという、自分なりの覚悟である。

《後記》
まずは、実咲龍さんには、許可なく記事を引用させていただきましたこと、心からお詫び申し上げるとともに、考えるチャンスを与えてくださったことに感謝申し上げます。
美咲さんの言葉にはとても力があると感じながら拝読いたしました。

また、訪問してくださった方々、また最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。
またのご来訪を切に願っております。

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