歌と随想 4

来世ではしもべと成るやみほとけの       菩提樹の花糸に止む蜘蛛


福島市佐原地区、吾妻連峰山麓に慈徳寺という寺があり、その境内に咲き散る菩提樹の花を歌にしてみました。
もう5年も前の光景です。
次々に散る菩提樹の花の下には蜘蛛の糸が張り巡らしてあり、花のいくつかを留めておりました。
その蜘蛛の巣の下では散った花の蜜を求めてか、アリ達が群がっていてなんとなく地獄でうごめく罪人を連想させました。
当時はその情景を見て芥川龍之介の小説を連想して
「菩提樹の花蜘蛛の巣に編み込みて何試みる風のみほとけ」
という歌を作ったのですが、あらためて写真を見ながら、今回は「私」が見る対象を「風のみほとけ」ではなく、「蜘蛛」にしてみました。
菩提樹といえばご存知のとおり、釈尊がこの木の下で悟りを開いたという聖なる樹木ですが、一般的に日本で見られる菩提樹は中国原産で
日本に禅の教えを広めた栄西が中国で修行していた時、その木を菩提樹として持ち帰ったものが広まったもので、インドのような熱帯地域に育つものとはまた違う種類だそうです。
夏椿が沙羅双樹と呼ばれたり、彼岸花が曼珠沙華と呼ばれたりするのと同じ経緯でしょうか?

今年に入り、若い頃憧れた有名人や身近な方々の訃報を聞く事が多くなりました。
また、古くからの知り合いと話す話題も亡くなった人の事や自分達が得た病気の事ばかり。
「歳を重ねて病気になるのは仕方ないにしてもせめて苦しまず、近親者に迷惑をかけず逝きたいね」なんてしみじみ話す始末です。
死後、輪廻転生があるのかどうかはわかりませんが、もし、あると仮定してそれを語れば「死」という物の距離感から、若い頃は来世よりも前世、老うに従って来世を意識するものかと、。

この世にし楽しくあらば来む世には
     虫にも鳥にも我れはなりなむ  
              大伴 旅人

水蜜桃の汁吸うごとく愛されて
        前世も我は女と思う
              俵万智


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