SEKAI NO OWARI藤崎彩織小説『ふたご』を読んだ感想

 SEKAI NO OWARIを好きになったのは、確か13歳中学二年生のときだった。心地よい歌声と演奏、可愛らしい見た目、そしてその歌詞たちは、多感な時期で悩みの多い中学生に深く刺さった。メンバー同士やその周りの人たちとの仲の良さも魅力的だ。私自身、幼稚園から中学校まで1学年1クラスで過ごし、幼馴染みが多い。そんな仲間たちとの時間が職業にもなっている『幼馴染みバンド』のようなものにあこがれるのだと思う。
 この小説が出版されてからすぐにTSUTAYAにいって、この本を買った。高校生三年生のときだった。高校三年間で、参考書以外に一冊読みきった本はこの本だけだったと思う。物語を進めながら、いろんな人と登場人物たちを重ねながら一緒に苦しくなって、本の最後まで走りきった。
 物語の中のエピソードには、SEKAI NO OWARIに起こったこととして聞いたことがあるものも多かった。なんだかフィクションとノンフィクションがグラデーションのようになって繋がっているようだった。この本は夏子が主人公で描かれているが、月島が主人公のバージョンを読んでみたいと感じた。
  高校卒業後の浪人期間、そして大学生になってからも、何度か読み返した。毎回思い浮かぶ人が変わるし、物語に対する感じ方が変わるから、何度読んでも楽しむことができる。大切にしたい人、大切な人を大切にするということは、時に苦しく、大変なのかもしれない。それでも、その大切にしたその先には、何かそれを乗り越えた人にしか見えない世界が、幸せがあるのかもしれない。

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