自殺、年末

去年の末、苦手な知人が自殺した。

大学院で知り合った人だった。
躁鬱があるようで、私に負けず劣らず、というか私よりだいぶ情緒が乱れていた。
時に攻撃してきたかと思えば時に仲良くしようとしてきて曖昧な人だった。周りから見れば私も同じようなものだったかもしれない。

私ほど誰かを傷つけたこともなかっただろうけど、なんとなくヤバい子だった。


そんな彼女が、

年末に自殺した。


ODだった。
私は当時、病気休暇中で苦しんだ。
それは悲嘆とも違う、もっと生々しい何かだった。

悲嘆とは、

大切な人を亡くしたときにおきる様々な反応のこと

豊中市のHP

だ。
本当はもっとつらつらとあるが、一番これが簡潔だった。

とにかく悲嘆反応とは違う何かだった。
だって彼女は私にとって大切ではなかった。彼女のことは何かとよく思い出した。私は彼女に執着していたのかもしれない。

他人の自殺さえネタにする、そんな自分にも飽きてきた。
当時、彼氏がいた。
彼女と同じゼミだった。
彼氏が悲しみに寄り添ってくれなかった。
誰もいなかった。
私には何もないと思った。
幼く言えば、パパにいじめられた私はママにとっても価値がないから生きてる意味なんてないと思っていた。
それで彼氏にも見捨てられた気がしたから、


2回死のうとした。


1回目は彼女と同じODだった。
その時はただ眠たかった。2日に一回、もしくは3日に一回しか寝られない生活の中で、もう寝られればなんでもいいや、と思っていた。だから睡眠薬を片手に収まる程度の量飲んだ。

なんともなかった。
寝られたと言うこともなければ、死にそうなこともなかった。ただ、精神科でそれを言うと徐に睡眠薬を減らされた。それで私は副作用地獄に苦しむことになった。それはまた別の話。

死ななかったな、と思った私は次に首を吊ろうと思った。なんとなく生きているのを見張られている気がしていた。彼女が怖かった。

違う。



彼女の復讐が怖かった。



なんとなく、彼女が私を見ていて、どこかでキチンと臨床現場に適応できていない自分を見て復讐するのではないかと感じていた。
彼女自身が〝そう〟であったから、私と重ね合わせて次は私を殺そうとするのではないかと感じた。

ある日、上司が、

「〇〇(クライアントの立場の人)は死ぬんやったら外で死んでくれ!!」


と言ったから、もう私も死のうかな、思ってた世界と違うし、と思ってその日に首を吊った。

ただ、目の前が真っ白になって、これは無理だと思った瞬間に棚に足をかけて助かった。
そのことをカウンセラーに伝えたら、職場に報告されて職場から追加の病気休暇が出た。




彼女は死んだ。
私は生きた。
その違いはなんだったんだろう。
もしかしたら、私が生きていることも単なる偶然で、彼女が死んでなかったら私が本気で首を吊って死んでたかもしれない。


人は同じくらいのメンヘラに出会った時、初めてメンヘラがマシになるのだ。


そういう偉人の言葉もあるかもしれない。

少なくとも私は両方生き残ったとは思わない。
彼女が死ななかったら私が死んでいたと思う。
私が死んでいたら彼女は死ななかったと思う。
ここ半年は毎晩そういうことを、新しい職場から帰った後、新しい恋人と話しながら考えている。

参考:https://www.city.toyonaka.osaka.jp/kenko/kenko_hokeneisei/kokoronokenkou/grief.html

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