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(短編小説)絵本『ラクダのネクタイ』 約3,000字



1.指輪を貴女に

「だめだ、緊張してきた」
 待ち合わせの時間までもう少し。わかっているのに、もう一度スマホを確認する。やはりメッセージはまだ入っていない。今こっちに向かってるはずだ。
 もうじき彼女がやってくる。
 僕は駅前のショーウィンドウに映る自分の姿をもう一度確認する。
 カジュアルな服装だけど、いつもよりは少しだけ特別にジャケットとネクタイも。髪も乱れていないし、おかしなところは無いはず。
 そうしていると、スマホがぶるっと震えて「もうすぐ着くよ」と可愛いスタンプとメッセージが入った。
 爽やかなブルーのネクタイをに手を添える。
 確か何かの絵本で青いネクタイの話があったっけ。青いネクタイをしたのを真似て、いろんな色のネクタイが流行るような話。ヒツジ? いやラクダだっけ?
 みんなが真似たってことは、成功者だよね。
 うろ覚えの絵本にでも、勇気を分けて欲しい。そんな心境だった。
 ポケットの中に手を入れて、小さな箱の感触を確かめる。今日はこの指輪を彼女に渡すのだ。
 喜んでくれるだろうか。


2.居場所はどこに

 小さな応接室には、重苦しい雰囲気が横たわっていた。
「私もこんなことは言いたくないんだけどさぁ」
 わたしの前に座っているのは、あるビルのオーナーだった。彼が所持しているビルの一室を借りたいというお願いにやってきていたのだ。
 電話でアポイントを取ったときから渋い返事だったけど、熱意を持って説明すれば。そう期待しての今日の面談だった。
「やっぱり、上の階に入ってる人とかさ、近隣の理解を得るのが難しいんだよねぇ」
「けど、迷惑をおかけするようなことは」
「でもねぇ」
 わたしが契約したいと思っているのは、就労継続支援B型事業所を開設するためだった。障害や症状に合わせて無理なく作業をしてもらう施設で、近隣に迷惑をかけるようなことは決して無いのに。
 世間では多様性と言いながらも、自分事になるとそうはいかないのだ。
 わかってる。いろんな色のネクタイをしたラクダがいてもいいと思っていても、身の回りは同じ色で固めたいのだ。
「近隣の方にはわたしから説明をさせていただきますので、なんとか」
 そう言って、オーナーをじっと見つめた。


3.ある碁会所の大会にて

 時間の消費は圧倒的に自分のほうが分が悪かった。
 読み合いになればどうしても若さが勝る。俺自身、十年前の自分と今の自分。どちらが読みに自信があるかといえば前者だ。目の前にいるのは、二十歳以上離れた中学生だ。
 この子と初めて会ったのは彼が小学生の頃だった。その時はまだ五子のハンデを付けて、俺が教える立場だったのに。
 どうして若い奴らは、こうも吸収が早いのか。
 だが、経験ではまだ勝る。判断力が勝負を分ける。そんな展開に持ち込むには──。
 俺はネクタイに手をかける。盤面に集中する彼に目を向けると、前髪越しにラクダのように長いまつげがみえた。思わず、口元が緩んだ。こんなときに何を考えてるんだ、俺は。
 こいつはあの絵本を知ってるのかな?
 よし、と心のなかで活を入れるとネクタイを取り払った。


4.妻の求めているものは

「いつもの納豆、二パックよろしく」
 これから帰るよとメッセージを送ると、妻からそう返事があった。
 了解と返したが、既読はつかない。
「お風呂かな」
 この時間だと、娘をお風呂に入れたり、寝かせたりと大忙しだろう。「早く入って──」と叫んでいる妻の様子を思い浮かべて楽しくなる。
 最寄り駅で電車を降りて、スーパーへ。
「あれ、一つしかないや」
 彼女が指定したいつもの納豆は、国産の中粒のものだ。ふわりとして美味しいので好んで購入してる。陳列棚には、その納豆は一パックしか残っていなかったのだ。
 とりあえず、一つをカートに入れて棚を眺める。中粒のもの、特価の小粒。ひき割りと商品が並んでいる。
 スマホを見るが、さっきのメッセージに既読はついていなかった。
「さて、と」
 この前娘に読んだ絵本を思い出した。あのラクダはどうしてネクタイを必要ないと言ったんだっけ? 数が重要なのか、質が重要なのか。妻はどちらを求めているのか。
 もう一つの納豆は、買うや、買わざるや。


5.息子のシャツ

「そんな変な色じゃなくて普通のにしなさいよ。ほら、こっちの青いシャツとか」
 小学生の息子が持ってきた服を横によけて、妻が別の服を引っ張り出した。ハンガーをつけたまま息子の胸元にあてがって「ほら、カッコいいじゃない」と言う。確かに妻の選んだシャツは爽やかで息子によく似合っていた。
 息子が選んできた服はというと、確かに少し紫の色味がきつくて、着るのに躊躇しそうな斬新な印象だった。
「ねぇ、パパのパジャマも買っとく?」
「じゃあお願い」
「この生地のでいいよね」
 俺が返事をすると、妻はサイズをみながら色違いで二つカートに入れた。
 息子は少し自分の持ってきた服を名残惜しそうに見ていたが、妻がそれに気づくことは無い。
 確かにちょっと変な色味だし妻の選んだほうが良いんだけど。こういうのも自分で選びながら身に付くんだけど。先日読んだラクダの絵本を思い出した。同調して同じ赤いネクタイをつけたラクダたち。そして様々な色のネクタイのラクダたち。
「せっかく選んできたから、これも買ってあげようよ」
 俺は息子の選んだ服をカートに入れた。
「まぁ、いいけど……」
 少し不満そうな妻だったが、俺が怒られときゃいい。息子はというと、ちょっとうれしそうな表情をしている。まぁ、着るチャンスがあるかどうかは微妙だけどな。俺は心の中で呟いた。


6.グループの中で

「ねぇねぇ、暑いからなんか飲もうよ」
 紗弥加ちゃんがそう言うと、周りのみんなは「そうだね」と口々に同調してコンビニへと入っていく。私も曖昧に笑いながら後ろに続いた。
 おなじみのチャイム音に迎えられた店内は空調が良く効いていてひんやりとしていた。紗弥加ちゃんは棚にあるポップを見て、毎日のように入れ替わるお菓子を手にとって眺めたりしている。
「あ、それこの前食べたよ」
 紗弥加ちゃんの手元をみながら、一人が声をかける。
「そうなんだ、どうだった?」
「そんなに甘くなくて、あとサクサクして食感が面白いの」
 みんなが紗弥加ちゃんの様子をみながらかたまっている中、私はドリンクの冷蔵庫に向かった。えーと、麦茶でいいか、と一本取り出す。
 やがて沙也加ちゃんもこちらにやってきて、隣の冷凍庫を指指した。
「ねぇねぇ、このマンゴーとパインのスムージー美味しそう!」
 店内に備え付けのドリンクサーバーで作るやつだ。沙也加ちゃんが「これにしよー」と、ひとつ取り出した。他のみんなも「じゃあ私も」と手にとっていく。
 あ、これは私も飲まないといけない流れ? 美味しそうだけど、今月はちょっと余裕無いんだけどな……。
 ふと、沙也加ちゃんや他の娘たちの胸元の赤いリボンが目に止まった。制服のリボンだから、私の胸元にも同じ赤いリボンが。あれ、なんだっけ。ラクダのやつ。みんな赤いけど、違う色にするラクダが出て来て――。
「あれ、恵子は麦茶?」
 紗弥加ちゃんの問いに、私は少しだけ迷って「うん、お茶にする」と勇気を出した。

絵本『ラクダのネクタイ』


暑い砂漠に一頭のラクダが歩いていました そのラクダは、首に赤いネクタイをまいています
「なんだい、その赤いのは」
「かっこいいだろ」

しだいに赤いネクタイをつけるラクダが増えていきます
砂漠では赤いネクタイをまいたラクダをよく見かけるようになりました

ある日、別のラクダが青いネクタイをまいて砂漠を歩きました
「なんだい、その色は」
「かっこいいだろ」

砂漠のラクダたちはいろんな色のネクタイをまき始めました
赤、青、黄色(ラクダと同じ色でわかりにくい!)、緑、虹色など
世界中のラクダがネクタイをまいていました
いろんな色が砂漠にあふれます

そんなある日、ネクタイをまいていないラクダが歩いていました
「君はどうしてネクタイをまかないのですか?」

彼は不思議そうに答えました
「僕には必要ないものです。あなたはなぜネクタイをしているのですか」
聞いたラクダは答えられませんでした

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