自己理解が自分を救う
自分のことが好きになれない、いつも自分を責めてしまう。
そんな悩みを抱えている方はいませんか。私もその一人です。
自分を認めてあげたい。自由に生きたい。自分らしく生きたい。
もっと生きやすい性格だったら良いのに。そんな風に思えば思うほど、自分を責めてしまっていました。
ですが、自己否定こそが自分を一番苦しめていることに気付きました。
自分を悩ませる性質や思考も、個性であり、特性である。
自分の性質や特性を理解して、認めてあげられたら楽になるのではないかと思い、この記事を書きました。
私は長年、HSPで敏感すぎる、繊細過ぎる性質で生きずらさを感じてきました。
21歳の時、たまたま立ち寄った本屋さんの本を見て自分が繊細過ぎるのはHSPの性質によるものなのだと知りました。
ですが、自分が身を置いていた環境も大いに影響していますが、繊細過ぎるが故毎日たくさんの刺激により疲弊していました。
当時私は国公立大学の看護学生で、人がたくさんいる病院で、毎日莫大な課題に追われていました。時には、厳しいご指導も頂いたりしました。
そんな中で、日々メンタルがすり減っていました。
でも、私の大学入学は凄く思い入れがあり、なかなか簡単に辞める、進路変更をするという選択肢はありませんでした。
中学3年生の時、高校受験に失敗しました。
それからというもの、高校3年間を勉強に費やしてきました。
しかし、第一志望の高校には不合格。人生初めての大きな挫折でした。
親身になって一生懸命教えてくれた塾の先生や両親に申し訳なくて、喜ばせたくて頑張りました。
そして、少しでもレベルの高い国公立の大学に行くことで、自分を認めたかった。自分をダメな人間だと思いこみから解放してあげたかった。
いざ合格し入学すると最初は喜びと充実感で満ち溢れていました。
でも実習が始まったころから、強い恐怖心や不安感に襲われついに不眠になりました。
病院に通院し、薬をもらいながらなんとか大学4年間を乗り越えました。
そして、実習や国家試験が終わったころ、高熱で、寝込みました。
もう既にそのころから自分には看護師が向いていないのではないかと悩んでいました。
心と体が、悲鳴を上げていたのだと思います。
それでもせっかく資格を取ったからと、大きな病院に就職ました。
しかし案の定多忙さと緊張感で身体を壊しました。
それでも看護師を諦めきれず外来のクリニックに転職をしました。
しかし、思わぬ落とし穴がありました。
外来は定期的に受診する患者さんが多く、苦手な患者さんと何度も顔を合わせなければなりませんでした。
そして待合室は常にざわついていました。
うるさい環境、不特定多数の人と定期的に会うという苦手な要素がたくさんありました。
高圧的な態度をとったり、急かしたりする人も多くいました。
それにしびれを切らしたスタッフは常に不満や愚痴を言っており、その言葉にも胸が痛みました。
ストレスだなと感じつつ何とか我慢してきたのですが、ついに我慢できず感情が爆発しました。
上手く対処出来れば、ストレスな感情をカバー出来ればよかったのですが、やはり苦手なことは苦手だし、性質上ダメージを受けないということもできませんでした。
自分の感情を吐き出すために始めたnoteでの執筆活動。
最初はいろいろな方の文章を読んで、様々な感性や考え方を知り楽しんでいました。
そして続けているうちに自分にとってのnoteの在り方が変わっていきました。
noterさんの中には自分の感情の整理や自己理解のために、文章を書いている方も多くいらっしゃいます。
その方々の文章を読んで、まるで自分のことを書いているみたい。そんな風に自分の気づきが多くありました。
私は、HSPの中でも、HSS型HSPで、刺激を求める繊細タイプ。
沢山のことに興味関心を持ち、挑戦するが、刺激を求めるあまり時に疲れてしまう。
そして、カサンドラ症候群であること。
この言葉自体今日初めて知しました。
ネットでは”家族やパートナーがASD(アスペルガー症候群)であるために、ASDの身近にいる人に不安や抑うつなどの心身の不調をきたすこと状態をいう”とされている。
私には2つ上の兄がいます。兄は小さいころから、周りとのコミュニケーションが下手でした。家族である父ともうまくコミュニケーションが取れず、常に家庭内には見えない壁があった。
母はいつも兄を心配していていました。
兄の社会生活のこと、父との関係性のこと。
だから、子供のころから私は家族に心配かけないように、常にいい子を演じてきました。
母や父にはあなたは大丈夫よね。自分で出来るよね。と言われて育ちました。
大丈夫な自分、一人でなんでもできる自分でいないといけない。
だから、本音を言うこと、ダメな自分を見せることは許されないと思っていました。
その思いに気付くこともなく物心ついたころには、本音が言えない完璧主義人間になっていました。
その癖は学校でも、社会人になっても体に染みついて抜けませんでした。
褒められても、なぜだか素直に喜べないどころか、なんだか息が詰まる思いすらしました。
常に不安と何かに脅かされる恐怖を感じ、外では気が抜けませんでした。
しかしこの性質に気付いたことで、長年抱えていた靄が消えました。
演じることで、頑張り成果を上げることで、自分のことを認めてもらうことに必死でした。
本当は自分の能力ではなく、一人の人ととして、認めて欲しかった。
弱いところも含めて、認めて愛してもらいたかったのだと気づきました。
自分を知ることで、性質によるものなのだと思うことで、自分を認め、受け入れて良いのだと思いました。
向上心は大切ですが、自分の性質を否定したり、無理して変わろうとする必要がないのだと気づきました。
自己理解を進めることで自分を愛し、認めることが出来るのだと思いました。
自分のことが好きになれない方、いつも自分を卑下してしまう方が少しでも、この文章を通して楽になってくれたら嬉しいです。
まずは自分を認め、本音を言っても大丈夫。否定されない。そんな温かい体験をすることで、少しずつ凝り固まった閉ざされた心を開いていきたいと思います。
読んで下さった方、ありがとうございました。今回はこのへんで。
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